60000kikaku* | ナノ

あああ、もう、心臓が警報を鳴らしてる。
これ以上は危険だよ、って。何度も何度も、うるさくそう警告する。

「なまえさん?どうかしました?」
「…なん、でもない…」
…そんなわけ、ない。
ぐらぐら。今にも茹だってしまいそうなわたしを知ってか知らずか(いや、この人ならきっと分かってる)、すぐ隣にいるアレン先生が「具合でも悪いですか?」って、容赦なく顔を覗きこんでくる。
「…大丈夫、です」
「本当ですか?…顔、すっごい熱いですよ?」
「………っ!!」

ふわり、頬を掠めた細い指、少しだけ眉を下げて苦笑する顔。

だめ、もうだめだ、この人絶対確信犯だ。策士だ。
「…っ、トっ、トイレ行ってきますっ!」
すくっと勢いよく立ち上がり、わたしは行きたくもないトイレに駆け込んだ。そうでもしなければ、わたしの心臓が爆発しそうだったのだ。
「…今は、塾の時間…塾の時間…!」
危うく忘れてしまいそうになる。わたしは自分に言い聞かせながらも、さっき先生が触れた頬に、そおっと触れてみた。

触れた頬は、先生の言うとおり、すっごく熱かった。






…大嫌いな塾に通い始めてから、もう随分と経つ。初めは『偏差値60になる』という母の条件をクリアするまでは通うつもりだった。元来わたしは大の勉強嫌いで、塾なんて成績が落ちた罰にしか思えなかった。本当は放課後もっと友達と遊びたかったし、遊ぶ時間を削ってまで勉強するなんて、鳥肌がたつほど嫌だった。
もっと嫌だったのは、塾講師のアレン先生。見た目は爽やかなくせして、口を開けば嫌味と暴言しか出てこない。腹黒ってこういう人のことを言うんだと身をもって知った。だけどしがない塾生のわたしが圧倒的権力を持つ腹黒塾講師に敵うはずがなかった。だからわたしは、手っ取り早く成績を上げて、さっさとこんな塾辞めて後腐れなくアレン先生から離れよう、と心に誓った。

はず、だった。
のだが、


「…ばかなまえ、」
本当にばかだと思う。いざ塾を辞められるとなった途端に、自分の心境の変化に漸く気づいたのだ。

……この感覚、
心臓がある場所を、手のひらで確かめながら、きゅうぅ、と押さえ込んだ。


全く、実に不毛な恋愛感情が生まれてしまったものだ。





***

「やっぱり個別指導っていいですよね」
わたしの答案用紙を採点しながら、ぽつりと笑顔で呟いたアレン先生。(あ、相変わらずひねくれた問題ばっかり…この人本当に容赦ない…!)
「…どうして?」
「だって、こうやってみっちりマンツーで教えられるほうがいいじゃないですか。それぞれの得意不得意が明確になるし、癖もわかる」
「…そうかなぁ」
「僕はこっちのほうが性に合ってます」
確かに個別の分、丁寧に教えてもらってる感じはする。それに、アレン先生を独り占めできるのは、う、嬉しくないわけじゃない、…けど…ある意味心臓に悪いし、下手すると勉強どころじゃなくなるというデメリットも…。
「…なまえさんは、僕のマンツー指導じゃ嫌ですか?」
「え、や、そ、そんなんじゃ…」
心臓には悪いけど、クラス指導の時よりも分かりやすいし、しっかり理解して次に進めている感じはする。
でも、ひとつだけ違和感。
「…個別指導になってから、あんまり暴言吐かれなくなったなぁ、って…」
それが、逆に恐ろしい。
「……そう、ですか?」
「今まで、『丸暗記しか能のない』だの『バカ生徒』だの、あれだけボロクソ言ってきてたのに…」
「…まぁ、君の頑張りは素直に認めてますし、頑張る子には優しくしたいんデスよ、先生は」
白々しくそう言って、先生はわたしに答案用紙を手渡した。…あ、これ、
「90点。予習頑張ったご褒美です」
……ほら、もう、
「……こういうことするから気が抜けないんだ」
「何か言いました?」
「…なんでもない」

背を向けて、火照った頬を隠しながら、ご褒美のチョコレートを口に放り込んだ。
わたしは完全に、アレン先生に餌付けされている。



***

「…あれ?」
いつものように塾に向かうと、掲示板に『アレン・ウォーカー:研修の為本日不在』の文字。そういえば、前回の個別の時に言ってたなぁ。
そっか、今日は、アレン先生に会えないんだなぁ。
「つーわけだから、今日はオレがなまえちゃんの先生ね!」
「ぅわびっくりした!いきなり後ろから話しかけないでくださいよ!」
ラビ先生の声に驚きながらも、おかげでちょっぴりしんみりモードから脱却できた。

「えーっと、確かテキスト68Pのあたりからだったよな?オレ専門は英語だからさー国語はアレンより教えんの下手くそだと思うけど、まぁ大目に見てね」
「はい、がんばります」
「おおう、まっじめー」
「当たり前でしょ、勉強しに来てるんですから」
「へぇー、アレンともいつもそんな感じ?」
「そうですけど?」
「じゃあ、あんまりプライベートな話は聞かねぇんさ?」
「…そう、ですね」
「へぇ、まぁあいつも真面目だからなー。よし!今日はアレンのこと何でも教えちゃる!」
「ラビ先生、べんきょーは…」
「人生において最も重要なのは人間関係の勉強さ!」
「先生、それ職務放棄じゃ…」
「はい!テキスト閉じて!」
「…ええー…!」
ハイになったラビ先生を、わたしはこれ以上止めることができなかった。

「とか言って、ホントは知りたくてしょうがないっしょ?アレンのこと」
「……っ、」

……なんでバレてるんだろう。



***

「ラビの指導はわかりやすかったですか?」
アレン先生が研修から戻り、またいつもの個別指導が始まった。
「…なんだか、色々とすごかったです」
わたしの返答に、アレン先生は「いったい何を教わったんですか」と苦笑いを漏らした。

…色々聞いたよ、先生のこと。

「…アレン先生は、採点中いつもドーナツのこと考えてるとか」
「はっ?」
「あと、デスクの引き出しにはお菓子がぎっしり詰まってるとか」

「パソコンのデスクトップは、蜂蜜色のワンちゃんの写真だとか」

「生徒それぞれの個別プログラムを作って、『ちょっと頑張れば解ける』問題を考えてくれているとか」

次々明かされる話に、さすがのアレン先生も「ちょ…何ですかそれ」と、少し困ったように笑った。


「…それから、わたしの答案用紙を採点する時だけ、顔がにやけてる、とか」


「……へ、」

アレン先生が、固まった。困ったような笑顔のままで。

パーテーションを隔てた向こうでは、他の生徒が勉強してるという、のに、ここだけただならぬ雰囲気だった。わたしはすぐ隣の先生を直視できなくて、ただただ気まずくて、何もなかったみたいにテキストを開いて気を逸らした。

あんなこと、言わなきゃ良かった。

でも、だって、
だって、言ったらアレン先生がどんな反応するのか、知りたくなってしまったの。

ばかなまえ。ふざけて、ごまかして、なかったことにしちゃえばいいのに。何でできないの。

先生、ごめん、変なこと言ってごめんね。
困らせるつもりじゃ、なかったの。




「…参ったなぁ」

ぽつりと、アレン先生から発せられた、言葉。
「まさかラビに見られてたなんて」

…へ、

「先生、それ、どういう…」
「しー。」
アレン先生は人差し指を口に当てて、きょろり、辺りを軽く見渡した。それから、手元にあったわたしのノートにペンを走らせて、

「―はい、ちょっと5分休憩ね。」

ぽん、とわたしの頭に手を置いて、席を立った。


…なん、だったんだろう、この数分間。先生の背中はスタッフルームへ消えていった。わたしは呆気にとられたまま、ふと先生の書いた文字に目を通した。


途端、
ぐらり、
身体が歪んだ。



   ガタガタッ!

「……っ、せんっ…!」


何 これ、

何書いてんの、先生。



わたしは両手で口を押さえながら、ただ必死に何かに耐えた。周りの視線を振り払う余裕もなかった。













【僕と一緒に、道を踏み外す覚悟はありますか?】









…顔が、熱かった。ぐらぐら湯だつ頭、よろける足取りで倒れたイスを戻した。


先生、どれだけわたしを骨抜きにするつもりなんですか?



「…アレン?どうしたんさ、まだ指導中だろ?」
「いえ…あまりの可愛さに殺されるところだったので避難してきました」
「は?」



悪魔はとうに落っこちた
(愛しい愛しい少女の元へ)





***************

*花音さま・ミリさまリクエスト*
『塾(予備校)講師のアレン先生の個別指導』

『愛しい悪魔と日本語偏差値』と続けてみました。ちょっと無理やりすぎたかなぁ…?
学校の先生とは背徳感があるけど、塾の先生だったらアリな気がしますよね…しますよね!笑 甘くてとことんピュアな感じを目指してみましたが、アレン先生に手を出してほしくてうずうずしてました、わたしが。変態ですみません今更ですが。
花音さま、ミリさま、リクエストありがとうございました*

2012.8.19*

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