60000kikaku* | ナノ

ねぇ先生、わたし思うんです。
例えばね、先生の目の前にすごーくおいしそうなケーキがあるとするでしょう?あたかも「食べてください」って言ってるみたいに、これみよがしに置かれていたら……そうでしょ、食べるでしょう?人間ってね、いくら高等な頭脳を備えていても、目の前のものに理性を削がれちゃったらそれしか考えられなくなっちゃうんだよ。アレン先生も、わたしも、おんなじなの。


「その話と小テストの点数がひどかったこととは関係ありません。」
ずばっ、と軽快な音を立てて、わたしの話をぶった切ったアレン先生。うわあぁ、えげつない!
「…だって、目の前に睡眠欲が湧いてきたら、勉強よりも本能的にそっちを選ばざるを得ないでしょう?」
「それはただ自分に甘いだけの話です。詭弁ばっかたれてないで、さっさと手ぇ動かしたらどうですか?…ああ、それともアレですか、君には少々難解な問題でしたか?」
「ち、違うもん!今やろうと思ってたんだもん」
「へぇ、その割にはさっきから1文字も進んでませんね?」
「うぐ…っ」
「もう居残り組はなまえさんだけですよ?いい加減素直に諦めて、『アレン先生教えてください』って助けを求めたらどうですか?」
ほら早く、って、悪い笑顔を浮かべながら目の前で腕組みをするのは、塾のアレン先生。最早塾講師の顔ではない。わたしを見下すかのようににんまりとそびえ立つ、憎たらしい悪魔だ。くすくすと、無様なわたしの姿に苦笑を溢しながら、続々と帰っていく友達。そんな彼女たちに、「気をつけて帰ってくださいね」と、実に爽やかな笑顔で見送るアレン先生。何この人、多重性人格障害?
「そうやって難しい用語を覚える頭があるなら、もっと日本語を有効に学習したらどうですか?」
そう言って、また黒い顔で課題プリントをトントンと指差した、悪魔。
「あと、僕は 多重性人格障害じゃないです 」
「…何で聞こえてんのよ」
「地獄耳なんで」
「…地獄に帰れ悪魔」
「何だと?」
「何でもないです」



…わたしは勉強なんて嫌いだし、塾なんて、できれば行きたくなかった(お母さん、偏差値60なんて目標が高すぎます…!)。学校以外でテキストと睨めっこするなんて、正直まっぴらごめんだ。
国語も数学も英語も嫌い。何より、いつもわたしにだけ厳しい塾のアレン先生が大っ嫌いだった。
「…早く成績上げて、こんな塾さっさと辞めてやるんだ」
「『有言実行』っていう日本語知ってます?無茶な宣言は自分の首を絞めるだけですよ」
「もー!何でそんな冷たいことばっか言うの!?」
「偏差値60になるまでここに通うっていうお母さんとの約束でしょう?今の自分の偏差値ご存知ですか?」
「……頑張るもん」
「だったら、僕の出す小テストぐらい満点を叩き出してほしいものですね」
はぁ、とわざとらしくため息を吐いて、アレン先生はわたしの解答用紙をひらひらとかざしてみせた。
「…アレン先生の作る問題は、ひねくれてるのばっかりだから嫌い」
「当たり前です、捻らないと応用力が身に付かないでしょう?丸暗記しか能のない君に必要な能力です」
「暗記力だって立派な特技です」
「カタブツ人間まっしぐらですけどね」
「…先生って、ほんとひねくれ者…」
「何とでも。所詮負け犬の遠吠えです」
「先生と生徒の間に勝ちも負けもないもん!」
「そうですね、端から上下関係出来てますもんね、もっと教師を敬えバカ生徒」
「んなっ…!!」

何、何なのこの人…!わたしはわなわなと震える拳を、だんっ、と思いきり机に叩きつけた。そして、自分が出せる最大限の低音で、言い放った。

「…今度の学校の期末試験で、偏差値60に相当する成績を残してみせます」

もう決めた、こんな塾とっとと辞める。死ぬ気で勉強してやる。

「…果たして何日で挫けるでしょうか」
「…挫けないもん!」
「へぇー、まぁ過度な期待はしないでおきますね」
「…そのうさんくさーい笑顔、引っぺがしてやる」
「あはは、精々頑張ってください」

バチバチッ、電磁波のぶつかる音がした。




***

それからの数週間、わたしは宣言通り、鬼のように勉強し続けた。
「…なまえ、何事?」
「何って、試験勉強」
「…どうしたの?雪でも降るの?」
「え、いやあの、今夏ですけど?」
「槍でも降るの?何なの?」
「え、いや、こっちが何なの?」
家族や友達に不審な目で見られながら(普段どんだけ勉強しない子だと思われてるのかなわたし!)、慣れない試験勉強に嫌悪感を抱きながら、わたしはアレン先生を見返したい一心でペンを走らせ続けた。
「みんなー、なまえが勉強してるよ、今日は台風が来ると思うよ」
「やべっ、傘忘れた!」
「電車止まる前に帰ろうぜ!」
「何なのみんな」

…どうやら、見返す必要があるのはアレン先生だけではないらしい。何だか視界が潤んで、前がよく見えなかった。




***

「…小テスト、ご期待通りの点数取りましたよ」

スタッフルームで優雅にコーヒーを飲むアレン先生の目の前に、採点したばかりの答案用紙をずいっと突き出してみせた。○ばかりが並ぶ、文句のつけようがない満点だ。アレン先生はきょとん、と目を丸くした後、「…ああ、ラビの作った問題は形式通りですからね」と冷ややかに言い放った。
「先生知ってます?ラビ先生ってこの塾内で一番人気なんですよー?」
「女の子にいつも採点が甘いからでしょ?」
「そうやってひがむから、ラビ先生より人気ないんですよ」
「あのね、僕たちは人気だの何だのをねらうような仕事じゃないんです。君達が勉学に励みやすい環境を設定し、且つやる気を引き出すお手伝いをするのが仕事なんです」
「だったらアレン先生は職務を全うしていないと思います」
「生徒の内的要因によってはその能力や意欲を引き出しにくいケースもあるんですよ」
「わたしのせいって言いたいの!?」
「ああもう、うるさいなぁ、小テストぐらいで天狗になってる暇があるなら、その時間を勉強にあてる方がよっぽど効率的だと思いますけど?」
僕を見返してくれるんでしょ?
そう言ってにっこりと笑ったアレン先生。それもそうだ、この人をぎゃふんと言わせるためにも、来たるべき期末試験に向けて知識を蓄えなくては。

「あ、すみません答案用紙にコーヒーこぼしちゃった」
「何てことしてくれんですか!」

覚えてろ、悪魔!




***

期末試験まで、残り一週間を切った。塾は変わらず嫌いだったけど、今はこの自由に使える自習室が何よりありがたいと思った。


「…慣れないペースでやると、息が続きませんよ」

夜、貸し切り状態で自習室に籠るわたしに、アレン先生が話しかけてきた。
「大丈夫です、意志の強さは誰にも負けませんから」
「…でしょうね、相当な負けず嫌いですもんね」
「…あの、邪魔しに来たなら帰っ………」


コロン、


可愛らしいフォルムのチョコレートがひとつ、机に転がった。

「…何ですか、これ」
「チョコレート。お裾分けです」
さらりとそう言ったアレン先生の手には、チョコレートの大袋が抱えられていた。
「…それだけの量を抱えといて、1こって…」
「『ありがとう』は?」
「…いや、別に、いらないですけど…」
「『ありがとう』は?」
「……ありがとう、ございます」
「はいよろしい。」
人の好意は素直に受け取るものですよ。
そう小さく微笑んだアレン先生の顔は、いつもの腹黒い笑顔とは少しだけ違う、ような気がした。アレン先生の背中を見届けた後、こっそり口にしたチョコレートは、すごくすごく甘くて、ちょっとだけ、ほろ苦かった。





***

宣言後、あれからわたしの成績は面白いくらいうなぎ昇りだった。(「やればできる子なんだよわたし」とアピールすると、「調子に乗るんじゃない」という答えが即座に返ってくるが。)やった分だけ結果が出てくる充実感で、自分でも信じられないほど、勉強が苦痛でなくなった。塾の小テストは軒並み高得点で、塾の友達にも信じられないといった目で見られるようになった。どうしよう、勉強って案外楽しい。


「…なまえさ、アレン先生の影響でしょ」
「はっ!?」
塾の講義中、隣の友達がこっそり耳打ちした言葉に、思わず声を荒げた。案の定、教壇に立つアレン先生からは睨まれた。
「…どういう意味よ」
「好きだからでしょ、アレン先生のこと」
「なっ……ない、それはない」
こそこそと友達に否定の意思を示すも、にんまりと笑顔であしらわれた。
「それに…期末でいい成績取ったら、わたしこの塾辞めるもん」
「え、うそ、やめちゃうの?アレン先生に会えなくなっちゃうよ?」
「いや、だからね…」
「はいそこー、さっきから何の話してるんですか?この源氏物語桐壷更衣の一節よりも重要な話ですか?」
「「すみませんでした」」
精一杯頭を下げながら、わたしは隣の友達をちょっとだけ憎んだ。次の小テストは、古文の難関問題が出されるであろう。そういう出し方をするのだ、この先生は。わたしは明日来るであろう小テストに備えて覚悟を決めた。



***

―…期末試験が始まった。
答案用紙をめくった瞬間から、わたしの中で小さな確信が生まれた。




「なまえ、凄っ!8割9割ばっかり!」

確信は、点数となって目の前に表れた。(驚いたことに、古典は塾の小テストと類似する問題がごっそり出題された。悔しいが、アレン先生様々だ。)
「…わたし凄いね」
「え?うん、凄いよ、凄いけど何で自分が一番驚いてるの」
「うん、びっくり」
自分でも信じられない。立派な点数の立ち並ぶ答案用紙に、気持ち悪いくらいの高揚感を覚えた。


「良かったねー、これで堂々と塾辞められるじゃん!」


…あ、

「…そっか、そういえば、そっか…」
「何よその反応、あんなに塾辞めたがってたじゃない」
「うん…そう、だね…うん」

そうだ、これでお母さんに何の躊躇いもなく塾辞めるって言えるし、放課後友達といっぱい遊べるし。
何より、大嫌いなアレン先生と顔を合わせなくて済むし、会うたびにいちいち小言を言われることも、なくなる。


それは、すごく、嬉しいことで。
ずっと、わたしが望んでいたことでもあって。



「…あ、れぇ…?」



なのに、


おかしいな、







もやもや、ずきずき。


痛い。




出来の良い答案用紙をカバンに押し込んだまま、重い重い足取りで、塾へと向かった。

「あ、テスト結果返ってきました?」

スタッフルームに入るのを躊躇うわたしの後ろ姿に、聞き慣れた声。びっくりして思わず振り返ると、案の定アレン先生が立っていた。なぜだか先生の顔を見られなくて、わたしはあからさまに視線を横にずらした。
「…何ですか、そのリアクション」
「…いや、アレン先生には会いたくなかったなぁって…」
「のっけから何て失礼な発言してんですか君は。ここに来たら僕の顔を見ないわけにはいかないでしょう」
そう言って、ほんの少し苦笑いを浮かべたアレン先生。
「その様子だと、結果に納得いってないんですか?」
そう言って、なぜか手のひらをわたしに差し出してきた。どうやら、カバンに入ってる答案用紙を見せなさいと言っているらしい。わたしは恐る恐る、カバンからそれを取り出してアレン先生に手渡した。
「……、」
「……何か、言ってくださいよ」

「…立派な点数じゃないですか」

よく頑張りました。
微笑んで、ぽすん、とわたしの頭に手を乗せた、アレン先生。思いがけない返しに、不覚にも心臓が高鳴った。
何これ、こんな時、どんな顔したら、いいの?


「良かったですね、これで気兼ねなく辞められますよ」

微笑んだ顔のまま、言い放たれた言葉。




…ねぇ、先生、




…嬉しくないよ、そんな言葉。


「ちょっと待ってくださいね、今退会手続きの書類持ってきま…、」


ぎゅ、



…わたしの手が、アレン先生のYシャツを掴んでいた。突然後ろに引っ張られたアレン先生は、ほんの少しよろめいて、まん丸の目でわたしを見た。

何より、一番驚いたのは、

わたし自身だ。


「…あ、あれ?」
「…なまえさん?」
「や、えっと…あれ?」

わたし、何がしたいの?

アレン先生を引き止めて、驚かせて。

言いたいことが、言葉になって出てこない。それに反するように、Yシャツを掴む手には力がこもる。



おかしいかな、

先生から、離れたく、ないの。




「……この、口下手。」

「…へ、」
「だからいつも言ってるでしょう、もっと日本語を有効に学習しなさいって。この口は飾りですか?」
「い、いひゃい…っ」

「…そんな、泣きそうな顔しないでください」

何言ってるの、アレン先生。わたし、泣きそうになんて、なってないよ。
ただ、このまま塾を辞めちゃうことに、何だか釈然としなくて、もやもやして、
ねぇ先生、わたしはどうしたらいいんだろう。


「…君には、まだまだ学習が足りませんね」
「へ、」
いつの間にか零れていた涙を、アレン先生の指が拭った。そして、持っていたクリアファイルから1枚のプリントを取り出して、どうぞ、とわたしに手渡してきた。

「…っ、これ…」
「誰が『僕から離れなさい』と言ったんですか。君を手離す気なんて毛頭ありませんよ」


「特進コースへようこそ、なまえさん」


先生はそう微笑んで、またわたしの頭を撫でた。


…先生から受け取った用紙には、『クラス指導コース退会手続き兼 特進個別コース申込書』の文字。
要するに、塾は辞めずコース変更だけしなさい、ってこと…!
「…また、アレン先生が教えてくれるんですか?」
ほわん、謀らずも胸が温かくなった。

ああ、そうか

わたし、嬉しいんだ。

「…嬉しい」
今の自分の感情を、一番素直に言葉にできた。アレン先生は一瞬ぽかんとして、それから少しだけわたしから目を逸らして、にこりと微笑んだ。

「…『人間は、目の前のものに理性を削がれる』、でしたっけ?」
「へ、」
「なまえさんが先日言っていた言葉ですよ。
…あながち、間違いじゃないかもしれませんね」
「…どういう意味?」



「…2人きりの時にたっぷり教えてあげます」


こっそり耳打ちされた言葉は、わたしを火照らせるには十分すぎるものだった。






愛しい悪魔と日本語偏差値
(目の前にこんな手のかかる可愛い子がいたら、理性なんてあってないようなものですよ)





***************

*優陽さまリクエスト*
『塾のアレン先生に居残りで教えてもらう切甘なおはなし』


……なんだこれ笑
居残りしてたの前半だけだった…気付いたら時系列をかなり跨いでた…。アレン先生は国語担当で、かなり毒舌。女の子は勉強嫌いの文系苦手っこ。アレン先生がちょっと気になりかけるあたりで終わる感じを目指したつもりですが、もういっこの塾講師アレン先生で続編にしてみようかなぁ。
優陽さん、リクエストありがとうございました!リクエストから若干逸れてしまってすみません…!

2012.7.29*

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