60000kikaku* | ナノ

「…仲村、くん…」
「離さないっすよ、本気っつったでしょ」

わたしの耳のすぐ近くで、声がした。それはわたしの知っている声だけど、わたしの望んでいた人の声ではなかった。

「なまえさん、俺なら、こんな風に泣かせたりしない」
仲村くんの、声が、いつもよりずっと静かで、穏やかで、子どもに言い聞かせているみたいに思えた。
「ウォーカーさんみたいに、不安にさせたりしません」

不安


…ああ、そうだ、

わたし、ウォーカー先輩が好きで、

大切で


だから、

今、すごく不安だったんだ。


寂しかったんだ。



 あわせいと*8




『寂しい』

その一言が、ずっと胸につっかえて、苦しかった。
わがままだって、分かってる。もう子どもじゃないし、仕事に追われればゆっくり話せる時間が取れなくなることくらい、仕方のないことだと思ってる。先輩が他の社員さんと仲良くなったって、わたしはただ先輩を信じていなくちゃいけない、そういう彼女にならなくちゃいけない、って思ってる。

あのね、ウォーカー先輩。

本当はそんなのただの理想論で、わたしには綺麗過ぎたの。
本当は先輩を一人占めしたいし、本当は他の社員さんと仲良くなんかしてほしくないの。
不安になるのは、それと同じくらい、先輩が大好きだからなんです。

こんな我が儘、先輩が聞いたらどう思うのかな。



「…あの、なまえさん、聞こえてます?」
「…聞こえてるよ、何でどさくさに紛れて覆い被さってるのよ、どいてよ」
「あ、ばれてました?」
そう言って小さく笑う彼に、わたしは堪らず彼の肩を押しやった。けれど彼は「いててて、ちょ、痛いっすよなまえさん」と笑うばかりで、わたしの力では到底彼を離すことができなかった。

「だって、なまえさん泣いてたから」
「っ、」
「一人で泣かせたくなかったし、何とかしたいって思ったから」
囁くようにそう言って、仲村くんはどくどころか、ますます両手に力を込める。
本当に、何なんだ、この後輩は。
「…何で、そんなに、構うの」
酸素の薄い彼の腕の中で、わたしは言った。
「何で、って…なまえさんだから」
「それ、答えになってないよ…何で、わたしなの…」
「だぁから、言ったじゃないっすか、本気だって」
本気、って、何それ、確かに全力で腕に閉じ込められてる感覚だけど。

「本気で、なまえさんが好きだから、だから、離したくないんです」
「……へ、」
「やっと伝わりました?どんだけ鈍いんですか、まぁそんなニブチンなとこも堪らなく可愛いんすけど」
「な、え、ちょ、なな、なかむら、くん」
「つーわけで、ウォーカーさんやめて俺にしてくれませんか」
嫌っつっても、離しませんけど。
そう笑う仲村くんの声は、明るい反面どこか凄味を含んでいた。
彼の言う『本気』って、きっとそういうことなんだと思う。

表情は見えない、けど、

彼が本気で向かってきているのが、分かった。伝わった。

「…仲村くん、手、離して」
「えぇー」
「ちゃんと、話したいの」
わたしの言葉に、仲村くんは渋々わたしから手を離した。長いこと彼の下でうずくまっていた自分の身体がようやく陽を浴びる。わたしはずっと伏せていた顔をゆっくり上げて、彼を見やった。
「…なまえさん、目ぇ真っ赤っすよ」
「…笑わないでよ」
少し拗ねた態度でそう言えば、彼はまた少し笑って「ふは、すみません」と口元を押さえた。

「…ありがとう、好きになってくれて」

彼は、わたしの言葉に少し表情を固くした。

「…ごめんなさい、やっぱりわたしは、ウォーカー先輩が好きなんです」


大好きなんです。
だからこそ
不安になることもいっぱいある
泣きたくなることだってある

だけど

そういうのもちゃんと全部受け止めて、向き合わなくちゃいけない。

「心配してくれて、ありがとう」

ちゃんと、話そう。ウォーカー先輩と。
思っていること、全部話そう。


「…心配とか、そういうことじゃないんすけど…」
「え、だって、こうやって様子を見に来てくれたじゃない」
「それは単に俺がなまえさんに会いたかっただけで…つーかどっちかと言えばウォーカーさんと別れちまえばいいのにって思ってた方で…」
「あ、そうなんだ、ご、ごめん何か…」
「何なんすか、もう…俺何回振られるんすか…」
しぼんでいく仲村くんの声と姿勢に、思わずごめんと言えば、彼はとうとう顔を手で覆って泣き(真似?)始めた。え、あれ、これどうしたら…!





「…見つけた」


うろたえるわたしと、一見しくしく泣いている仲村くん、という何とも微妙な雰囲気の中、少し遠くから小さく、だけど確実に届いた、声。

その声の主は、ゆっくりとわたし達の方へと歩みを進める。
きらきらと、銀灰色の髪が、風に揺らいで、綺麗だ。

「ウォーカー、先輩…」

…いや、綺麗とか言ってる場合じゃない、これ…

(ちょっとした修羅場だ…!!!)


先輩はそのままわたし達の近くまで来ると、にっこり、と笑って見せた。
途端、わたしと仲村くんは、ピシッと音を立てて凍りついた。
先輩の笑顔の背景に、何か黒いものを感じ取ったからだ。

「こんなとこで何仕事サボってるのかな、なまえちゃん」
「…す、すみません…っ」
背中に嫌な汗が伝う。先輩の目が見れなくて、わたしは斜め下に目線を送る。だめです、怒った先輩怖すぎて直視できません。
ウォーカー先輩はゆっくりと視線を仲村くんのほうに移し、そして再び微笑んだ。
「…で、そんな彼女を迎えに行ったはずの仲村は、どうしていつまで経っても戻らないのかな?」
「…すみません(怖ぇぇ!!)」

変な汗をだらだらかいて固まるわたしと仲村くんをひとしきり笑顔で睨んだウォーカー先輩は、しばらくしてはー、と大きなため息をついた。
「…今すぐ仕事に戻れ、って言いたいとこだけど…ごめん、ちょっと私情挟んでもいいかな」
先輩はそう言って、わたし達の顔を再び見やる。
「…二人で、何してたの?」

疑うとか、責めるとか、そういう表情じゃなかった。ただ本当のことを教えて欲しい、って言ってるみたいに見えた。
どこからどう説明したらいいのか、必死で頭で考えた。だけどわたしが口を開く前に、仲村くんのほうが先に声を発していた。

「告白、してました」

仲村くんの言葉に一瞬目を見開いたウォーカー先輩。そしてすぐに小さく息を吐いて、次の言葉を待った。
「なまえさんに、好きだって言いました」
「…で、なまえちゃんは何て返したの?」
「…えっと……」
「ウォーカー先輩が好きだ、って言われました」
「ちょ、仲村くん!」
「だって、本当のことでしょ?こんなこと隠したって誰も得しませんよ。つーか本当はなまえさんの口から言うべきなんじゃないっすか」
まったくもって正論を述べた仲村くん。そうだね、本当その通りですよ…。

「…ウォーカーさん」
仲村くんは、ゆっくりと先輩を呼んで、その顔を上げた。先輩もそれに応えるみたいに、仲村くんを真っ直ぐに見ていた。
「なまえさん、さっきまでここで泣いてました。誰にも見つからないように、一人で」
「ちょ、ちょっと仲村くん!?」
「泣いてた理由、分かりますよね?心当たり、ありますよね?」
「…うん」
静かに、ウォーカー先輩の口がひらいた。その声と表情が、何だかとても苦しくて、泣きそうになった。
「俺なら、こんなふうに泣かせたりしません。ウォーカーさんよりも、なまえさんのことを大事にできる自信があります。どうしても、なまえさんを泣かせるあなたが、許せません」
「…そう」
「…まだ、諦められないんです。彼女に意思があるのも分かってる、でも、俺はそれでもなまえさんを好きでいたいんです」

仲村くんの表情は、泣きそうなくらい、真剣だった。

「すぐに別れろ、なんて言いません。でも、彼女がいつ俺のところに来たいって思ってもおかしくないくらい、すぐ近くにいるのを、忘れないでください。
これ以上、彼女を泣かせないでください。不安にさせないでください。自分がいつだって一番彼女を幸せにできるだなんて、自惚れないでください。油断して彼女の手を少しでも離したら、俺が速攻で奪いに行くんで、覚悟しててください」

仲村くんはそう言って、「仕事サボってすみません、戻ります」と頭を下げ、早足で戻っていった。


何を言ったらいいのか分からなくて、先輩の方も見れなくて、ただ少し俯いて口をつむんだ。
少しして、隣の先輩がふぅ、と小さく息を吐いたのが聞こえた。
「…ごめん、泣かせて」
ごめん、という言葉に、堪らず胸が張り裂けそうになって、わたしは咄嗟に先輩を見上げた。
「ちがっ…違います!先輩は何もっ、」


…言えなかった、それ以上。
ウォーカー先輩が、こんなにつらそうに顔を歪めているのを、見たくなかった。

「ごめん、なまえ、僕は、不安にさせてばかりだ」

違う、違うよ、そんな顔しないで、先輩が悪いんじゃないよ。

潤む視界を振り払うみたいに、わたしは首を横にぶんぶんと振り続けた。


「っ、なまえ、」

ヴー、ヴー、
先輩の言葉を遮るように震えた、携帯電話。きっと、社員さんからの呼び出しだ。
「先輩、もう戻らなくちゃ、ね、」
わたしはウォーカー先輩の背中をぐいぐいと押して、半ば強引にこの場を去ろうとした。だってこの人は、企画開発部にいなくてはならない人だから。

ぱし、
先輩の手が、わたしの腕を軽く掴んだ。一瞬だけ動きを止めた。

「…今日、8時にA会議室で待ってて。
話そう、ちゃんと」

耳元でそう言って、ほんの少し切なそうに微笑んで、先輩は翻して歩いていった。
慌ててその後ろを追いかけるわたしの足が、何だかおぼつかなくて、少しだけ笑えてきた。
チカチカ、目の前が光で瞬いているように、見えた。



咲くのは、光の輪
(高鳴るは、胸の鼓動)
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