60000kikaku* | ナノ


もう2週間もの間、彼女とゆっくり話ができていなかった。
同じ職場、ましてや同じ部署にいながら、こんなにすれ違うのは初めてだった。
彼女のいるところに、いつもあいつがまとわりついて邪魔をした。
お昼を一緒に食べようと彼女を誘いに行けば、決まってあいつが取引先に彼女を引っ張り出していたり、「仕事で相談したいんす」とこじつけては彼女の手を引いて部屋を出ていく。


…ああ、もう、不満だらけで気が狂いそうだ。



 あわせいと*6




仕事がずれ込んで、今日も彼女とすれ違っている。昼時を過ぎた食堂はいつもより閑散としていて、僕はいつも以上に静かな環境で食事を取っていた。この穏やかな環境が、今は少しつらいと思った。余計な思考をかき消してくれる賑やかさが欲しかった。
しかもこんな時に限って仕事は忙しさを増す。コムイさんはまた新規の取引先を僕に任せてくるし(いや信頼されてるのはありがたいけど)、毎日帰宅時間が終電ギリギリってしんどすぎる。おちおち食事もゆっくり取っていられない日もある。

…なまえちゃんは、ちゃんと食べてるかな。彼女にも少し厄介な案件が回ってるみたいだし、体調とか、崩してないかな。…次は、いつちゃんとデートとか、できるんだろう。
ていうか、そんな話すらもできてないってどういうことだ。メールしても、何だか最低限の内容しか交わせてないし。

…今日も、彼女は仲村とともに昼食を取ったのだろうか。あの押しの強さに彼女が敵う日は来るのだろうか。…それとも、僕よりもあいつと一緒の方が良い、なんて、思ったりするのだろうか…。彼女は、もう…
「…はぁ、情けな…」
深いため息とともに、ぱちんと箸を置く。こんなんじゃ、ラビにどやされたって文句は言えないな。ここまでネガティブになるなんて、自分でも相当参ってきている。
あれだけ仲村に強く言ったはずなのに、どうやら逆に彼の闘争心に火をつけてしまったのだろうか。



「どうしたんですか、疲れた顔して」

カシャン、僕の隣でトレイが着地する音がした。俯いた顔を起こしてゆっくりと隣を向けば、そこには

「…神木、さん」
「ウォーカーさんらしくないじゃないですか、さっきからずっと箸が止まってますよ」
隣、失礼します。
彼女はそう言って僕の隣に腰かけた。

「えっと、珍しいね、こんな時間に神木さんが社食にいるなんて」
「さっきまで外回りだったんです。ウォーカーさんは?みょうじさんと一緒じゃないんですか?」
神木さん言葉に、嫌でも自分の表情が反応するのが分かった。すぐに返答しない僕を不思議に思って、神木さんはサラダをつついていたフォークを止めた。
「…みょうじさんと何かあったんですか?」
「…何か、ってわけでもないんだけど、ね…」
そこから上手く言葉が続けられなくて、僕は思わず苦笑いを漏らした。
「大丈夫だよ、別に喧嘩してるとかそういうわけじゃないから」
これ以上人を巻き込むのは面倒だ。僕は小さく笑って再び箸を手に取った。
「企画開発部の、新人、ですか?」
カシャンッ、思わず箸を落とした僕に、神木さんは少し苦笑して箸を拾い上げた。
「なんかウォーカーさん、可愛くなりましたね」
箸を受け取ってお礼を言えば、予想外の返答。可愛い、って…。
「…どういう意味、それ…」
「こんなに分かりやすく動揺してるウォーカーさんて新鮮だなって思っただけです」
ふふ、と尚も笑う神木さんに、僕は最早どういうリアクションを取ったらいいのか分からなくなっていた。
「わたしで良ければ相談に乗りますよ、どうせこの後少し時間に余裕ありますし」
「…や、それは…」
いくら悩んでると言っても、後輩の女の子…しかも、以前自分に好意を寄せてくれてた子に彼女の相談をするなんて、そんなこと…
「もしかして、わたしがウォーカーさんのこと好きだったからって、変な気ぃ遣ってませんか?」
「う、」
「安心してください、弱みにつけこんでどうこうしようだなんて思ってませんから、多分」
「…いや、えっと、うん…え、多分なの?」
「…それに、お二人のことです、どうせ単なるすれ違いと変な遠慮が物事を複雑にしちゃってるだけだと思いますよ。ウォーカーさんもみょうじさんも、変なとこ身を引いちゃうし、気ぃ遣っちゃうし、肝心なとこで怖気づくんですから。見てる周りの方がやきもきっていうか苛々しますよ」
「……結構、ズバズバ言うね、神木さん…」
「それに、みょうじさんの彼氏はウォーカーさんでしょ?彼氏ならもっと強く出た方が良いんじゃないですか?そんななよなよしてたら、あっという間に強い新人に根こそぎ持ってかれちゃいますよ?」
「…それは、困る」
「だったらもっと主張しないと。『空気読めよ、これ以上言わせんじゃねぇよ』的な出し方じゃ相手は怯まなかったってことでしょ?そんなんじゃ駄目ですよ、彼氏なら力づくでも何とか彼女を取り返さないと、みょうじさんだって不安になっちゃうでしょ。そんなんだからラビさんにまで駄目出しされるんですよ」
「…おっしゃるとおりです、っていうかラビ経由で情報聞いてたんだね…」
何だか情けなさ過ぎて顔を上げられなくなってきた。
「…ありがとう、神木さん」
でも、何だかんだで突破口が開けそうな気がする。
「その笑顔、みょうじさんに向けてあげてください。ていうかちゃんとスキンシップとかしてるんですか?キスとかしてあげてますか?」
「ぶっ、げほっ…!」
何なんだこの人、会社で何て発言してるんだ。
「こうやって、ちゃんと手ぇ握ってあげてますか?」
ぎゅ、と僕の手を上から握る神木さん。うわ、僕より男前。ってそうじゃなくて。
「…えーと、神木さん、手ぇ…」
じいっと僕を見つめたまま動かない。あの、下手したらこれ、周りから誤解される絵面ですよ。
「…神木さーん?そろそろ…」
「ウォーカーさん、睫毛ついてます」
「え、あ、ほんと?」
「今とります、目ぇ瞑っててください」
「え、う、うん?」
ゆらりと神木さんの手が、僕の瞼をめがけて伸びてくる。思わずぎゅっと目を瞑って事が過ぎるのを待った。


はず、だった。






    ちゅ、


「っ!?」
…え、今、頬に、何かが…え!?
動揺しながら、僕は慌てて頬を触って神木さんから遠ざかった。
「あ、すみません嘘でした」
「な、なんっ…!」
「相談料ってことでいただきました。じゃあ失礼しまーす」
「え、ちょっ、えええ!?」
ひらりと身を翻して去っていく神木さんの背中を見ながら、僕は今自分の身に怒った出来事を必死で整理しようとした。
何なんだあれ、どんだけ小悪魔的なんですかあの人。




青年とスパイス




混乱する頭を抱えながら、ふと、見知った背中が視界に映った、気がした。
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