60000kikaku* | ナノ

「…また忘れてやがる」

みょうじなまえという人物は、どうやら相当頭のネジが抜けている女らしい。図らずも自分の口から漏れるため息がひどく濁って見えた。渋った挙句、俺はため息の元凶であるそれをがしっと乱暴に手に取り、重い足取りでいつもの部署へ向かった。

「…おい、また忘れてんぞ馬鹿女」
ドアにもたれてそう声を張れば、何故か一斉に振り向く女共。その合間から、案の定顔面蒼白を纏った一人の女が慌ててこちらに駆けてくる。あ、コードで躓いた。どんくせぇ。
「す、すすす、すみません神田さんっ…わたしまた研究室に社員証忘れてきちゃって…っ」
「すみませんと思うならいい加減学習したらどうだ?てめぇの頭はネジ何本抜けてんだ、広報部みょうじなまえ」
ひらひらと社員証を振って名前を読み上げれば、どんくさ女は首がもげるかと思うほどぺこぺこと頭を下げ続けた。
「す、すみません本当に…っ、け、研究室って白衣に着替えないといけないから…ど、どうしても着替える時に外したまま忘れちゃって…」

端から見れば、何もそんなに責めなくても…という光景だろうが、最早ここまで頻回だと呆れてくる。広報部の社員も「またか…」といった表情で、すっかり各々の業務に向かい始めていた。

(みょうじさん、また神田さんの研究室に忘れ物したんだ…)
(ここまでくるとさぁ、神田さん目当てでわざと忘れてるんじゃないのって思うよねぇ?)
(そうなんじゃなーい?大人しい顔してやること悪女だね)

ひそひそと、陰で彼女を嘲る女共を見やる。はた、と目が合えば、女共はかぁっと顔を赤らめて慌ててデスクに戻っていった。

(…まぁ、どう見たってそんな巧妙な手を使うほど要領いい女には見えねぇけど。)
ちらりと視界に入った彼女は、先程躓いたコードをすみませんすみませんと謝りながら膝をついて直していた。はたから見れば広報部の雑用係のような不憫な役回りに見える。まぁ、そんなのどうでもいいが。彼女を尻目に、また無駄な労力を費やしたことに疲弊しつつ、広報部を後にした。



俺の所属している研究室は、この会社の扱う商品の品質を衛生的、科学的に分析・管理するために設置されている。そのため、研究室に入る者は社員か否かに関わらず白衣に着替えることが原則だ。その原則に気を取られるあまり、あの広報部の馬鹿女は着替えのたびに外す社員証をそのままこの研究室に忘れていく。うっかりにも程がある。社員証なしでどうやって会社から出入りするつもりなんだあの馬鹿は。
「神田くーん、そろそろ休憩入っていいよー」
上司のコムイの間延びした声が俺の耳に届いた。そうか、もう昼過ぎか。手に持っていた試験管をケージに戻し、席を立った。
「あ、ついでになまえちゃんにそれ持ってってくれるー?」
「…あ?また社員証忘れてったのかあの馬鹿」
「あはは違う違う、それ広報部に渡す新商品の資料。なまえちゃんに頼まれてたやつだから、お昼食べた後にでも持ってってあげてよ」
「何で俺が…」
ただでさえ、毎度毎度あいつの社員証をわざわざ届けてやってるっつーのに。
「まぁそう皺寄せないでよ、それともこの糞難しい化学式の解析と交換する?」
「……ちっ」


がしっと乱暴に引っ掴んできた資料を片手に、苛々しながら社食に向かう。その入り口の自販機の影に、小さく縮こまる人が目にとまった。女…?何してんだあいつ、腹でも痛ぇのか?

「…うん、今ちょうど昼休み、…え、今日検査じゃないの?」

ブツブツ聞こえる声から、電話しているようだ。

「…だめじゃない、ちゃんとベッドで寝てなきゃ…お母さん、また病院の先生に怒られちゃうでしょ?…うん、また夜にお見舞い行くから、ね、切るよ?」

電話を終えた彼女が立ち上がり、くるりと社食の入り口に向かう。そのタイミングで、俺は彼女と目が合った。…あいつだ、広報部のみょうじなまえだった。
「わっ、びび、びっくりした…!か、神田さんもお昼ですかっ…?」
俺を見て過剰に驚き、何故か少しだけ後ろによろけた彼女は、その拍子で自販機に頭をぶつけた。
「丁度良かった、お前に渡すもんがあったんだ」
「へっ!?わ、わたしまた社員証…!?」
「違ぇよ馬鹿、お前の首にぶら下がってるそれは何なんだよ」
「え、あ、ほんとだ、ありました社員証…!」
「これ、コムイから。頼まれてた資料だと」
「あっ、ありがとうございますわざわざ…!…あ、あの、良かったらお昼、ご馳走させてもらえませんか…?」
「は?」
「いつも社員証届けてもらってるお詫びです」
ふにゃりと微笑んだ彼女に、一度は断ったが、「神田さん、無類の蕎麦好きって聞きました。今日ならえび天もつけちゃいますよ」と言われ、俺は仕方なく(あくまでも仕方なく)彼女の誘いに乗ることにした。

「おいしいですよねー、ここのえび天そば」
「…悪くはない」
「ですよね!わたしもお蕎麦大好きなんです。あ、神田さん駅前のお蕎麦屋さん行ったことあります?」
「鴨南蛮が有名な北口のとこだろ」
「さすが神田さん!あそこの鴨南蛮も美味しいんですよねー、あ、あと南口のー…」

楽しそうに目を細めて笑う彼女を見て、ふと、先程の電話の内容が頭をよぎった。
「…母親、入院でもしてんのか?」
その一言で、彼女は一瞬、笑顔を固めた。
「…あ、もしかして、さっきの電話聞こえてました…?」
今度は苦笑いを溢した。そしてお茶を飲んでから、ふうと一息ついた。
「…全然大したことないんですよ、手術すればすぐ快方に向かうってお医者さんからも言われてて…ただ、うち母子家庭で、弟もまだ学生で、あんまり余裕はないんですよね。だから手術の費用はわたしが払ってるんです。あ、でも全然払えない金額じゃないので大丈夫なんですけどね」
「…そうか」
「な、何かごめんなさい、変な話しちゃって…」
尚もそう笑う彼女は、慌てるようにまたお茶を飲んだ。そしてむせた。その横で俺は静かに手を合わせ、「そろそろ行く」と告げて席を立った。そしてポケットから千円札と数枚の小銭を手に取り、2人分の食券代をテーブルに置いた。
「えっ?か、神田さんこれっ…」
「いい、お前なんかに奢られる筋合いなんて端からねぇよ」
別に妙な話を聞いたからじゃない。元々女に奢られるなんて癪だと思ったから。それだけのことだ。




***

「……おいガキ、親はどうした」
「うわあぁあぁぁん、ままぁー!!」

…どういうことだ、休日に出かけたはずの俺がどうしてビービー煩ぇガキのお守なんざしなきゃならねぇんだ。つーかガキ、いつまで俺のシャツを引っ張るつもりだ。そして鼻水を擦りつけんな刻むぞてめぇ。

「か、神田さん!?」

どこかで聞いたような声が聞こえ、気がつくとすぐ隣に見知った女が駆け寄ってきていた。
「…みょうじ?何でここにいんだよ」
「神田さんこそ…っていうかこの子は?神田さんのお子さんですか?」
「んなわけねぇだろ、迷子だ」
「あはは、神田さん頼られちゃったんですねぇ」
「…笑ってねぇで何とかしろ」
「はっ、す、すみません…!」

…彼女のガキの扱いは、実に手慣れたものだった。そういえば、弟がいるとか言ってたな。あれだけ泣きわめいていたガキはすっかり気を良くし、彼女にべったり抱きついていた。
ショッピングモールの迷子センターに行くと、ガキの母親が不安そうに待っていた。ガキと再会を果たした母親はひっきりなしに頭を下げ、半ば強引に俺達に何かを押しつけていった。


「良かったですね、無事にお母さん見つかって」
「ああ。とんだ災難だった…」
「そうでもないじゃないですか、お礼にお食事券貰っちゃったんですし」
母親が押し付けてきた食事券は2枚。有効期限は本日中。
「ん。」
「え?」
「やる。お前が泣きやませたんだろ」
「そんな!わたしはたまたま通っただけですし、神田さんが使ってください」
「2枚もいらねぇし、今日中だろこれ」
「じゃ、じゃあほら、彼女さんとかと一緒に…!」
「……じゃあ、お前付き合え」
「へっ?」
「一緒に使っちまえば文句ねぇだろ、オラ行くぞ」
「え、あのっ、神田さんっ?」
もう色々面倒臭くなった俺は、丁度目についたレストランめがけてすたすたと歩き出した。慌てて後ろを追う彼女は、何もない道で躓いた。



「おいしかったですねぇ」
ふにゃりと頬を緩ませる彼女と、すっかり暗くなった駅までの道を歩いた。
「まさか神田さんとお休みの日にお会いするなんて、しかも美味しいご飯までいただけて」
「…そういえば、何であそこにいたんだよ」
「母の病院がすぐ近くなんです。丁度明日が手術の日で、色々と準備があって、その帰りでした」
ああ、そういえば母親が入院中だとか言ってたな。ぼんやりと考えていると、「神田さんはどうして?」と質問が返ってきた。
「…別に、普通に買い物」
「へぇ、神田さんあそこでお買い物するんですね。そういえば、私服の神田さんは初めて見ます」
やっぱり私服もかっこいいですね。
彼女は相変わらず柔らかい笑みでそう言った。うるせぇよと小さく返せば、すみませんでもかっこいいですもん、と苦笑いを浮かべた。
「広報部でも有名なんですよ、神田さんが社内で一番かっこいいって」
「何だそれ」
「わたしもそう思います。わたしがうっかり社員証忘れちゃっても、毎回届けに来てくれるし、かっこいいだけじゃなくて優しいひとなんだなぁって」
「…てめぇはその前に、まず社員証を忘れるなよ」
こつ、と頭を小突けば、彼女はいたっ、と小さく呟いて、そしてまた、笑った。
「やっぱり、神田さんは優しいです」




***

「失礼しまーす、コムイさん、頼んでいた商品のサンプルいただきに来ました」
ひょこ、と研究室のドアを覗きこんだみょうじ。コムイに声をかけた後、俺の方に小さく会釈をした。
「…あれ、なーに、2人いつのまに仲良くなってんの?」
「なってねぇよ勘違いすんな馬鹿コムイ」
「ちょっと神田くん口悪すぎ!なまえちゃんからも何とか言ってやってよ!」
ぴーぴー騒ぎ立てるコムイはいつものことだが、そこに彼女をいちいち巻き込まないでほしい。刻むぞクソコムイ。
「そんなことないですよ、神田さんは優しいです」
にこにこと効果音がつくほど、満面の笑みで彼女はコムイをあしらった。意外な返答に、コムイはますます興味津々な表情を見せる。うぜぇ。
「あっれぇー、やっぱり仲良しじゃんかーどういうこと神田くん!」
「うるせぇよさっさとサンプル渡せよ、んでお前もさっさと出ていけ」
コムイの手元からサンプルを分捕り、彼女に押しつけながら出入り口に追いやった。わわっ、す、すみません!と焦ったように、彼女は研究室を出た。
「…あ、おい」
ドアを閉める前に、思わず彼女に声をかけて呼び止める。
「社員証、忘れんじゃねぇぞ」
そう言えば、彼女はまたふにゃりと笑って頷いた。
「あ、神田さん」
今度は彼女が俺に話しかける。
「母の手術、無事に終わりました。色々とご心配おかけしました」
「…別に、心配なんかしてねぇ」
「また今度、今度こそご馳走させてくださいね」
「いらねぇよ」
つっけんどんに返しても、彼女は尚も笑ってみせた。

何なんだよ、何がそんなに彼女を笑顔にするのかが分かんねぇ。ドアを閉めて自分のデスクに戻れば、
「…神田くん、何か嬉しそうだねぇ」
と、コムイのねちっこいコメントが耳に届く。うるせぇよ嬉しくなんかねぇよぶん殴んぞ。




***

それは、彼女がいつものように研究室を出ていった数分後のことだった。
「…何してんだよ」
「…え、あ、かか、神田さん…!」
数分前に出たはずのみょうじは、未だにドアの前に突っ立ったままだった。そして俺の存在に気付くと、焦ったように後ろに何かを隠した。
「…何隠してんだ」
「…な、内緒、です…」
えへへと、ごまかすように笑い、そのまま去ろうとする彼女の後ろからは、ぽた、と水滴の落ちる音がした。
「……貸せ、それ」
「へ…って、あっだだだだめです!これはっ…」
彼女から強引に奪い取ると、それは水浸しになった彼女のジャケットと社員証だった。
「…何だよ、これ」
「え、えと、ぺ、ペットボトルの水、溢しちゃって…」
「嘘吐け、てめぇここに水なんか持って来なかっただろ」
そう返せば、困ったように笑うも、彼女は何も返答できなかった。その瞬間に、確信した。
「…誰にやられてんだ、今回だけじゃねぇだろ、こういうの」
そう問い詰めると、ますます困ったように口ごもる彼女。
「…だ、大丈夫ですよ、ブラウスだけでも十分過ごせますし、」
「そういう問題じゃねぇだろ、このままだとまた同じことやられんぞ」
「……いいんです、自業自得だから」
陰湿な嫌がらせを受けても仕方ないようなことを、彼女はしたというのか。
「…女子同士だと、悪気がなくても反感を買っちゃうことがあるんですよ。…多分、わたしが研究室に頻繁に出入りしてることが、気に入らないひとがいるんじゃないかな」
顔を伏せて、静かに微笑んだ。
「何で、そんなことで…」
「嫌だなぁ、神田さんがいるからに決まってるじゃないですか。みんなだって神田さんに会いたいのに、わたしが新商品の担当だからって頻繁に神田さんと会ってるのが許せないんですよ。それが仕事だろうと何だろうと、関係ないんです」
神田さんのせいとかじゃないですよ、これはわたし自身のことだから。
最後にそう弁解して、彼女は研究室を去った。




***

「最近なまえちゃん研究室に顔出さないねぇ、神田くん何かしちゃった?」
「何でだよ、知らねぇよ」
「だあってさぁ、僕と神田くんだけじゃどうしたって癒しが足りないんだよー、つまんなーい」
「うぜぇ…」
「あ、神田くんさ、広報部に行ってなまえちゃんに新商品の広告できたか聞いてきてよ」
「あ?それ来週の予定じゃ…」
「いいからー、ほら早く行ってきて!」
「ちょっ、おい!」

半ば強引に押し切られ、俺は仕方なく広報部へと足を進めた。何なんだよコムイの奴、別にみょうじが来なくたって仕事に支障ねぇだろうがまじうぜぇ。

広報部のドアを覗くと、探している人物の姿は見当たらなかった。
「あ、神田さんだー、どうしたんですか?」
通りかかった広報部の社員にみょうじの所在を確かめると、どうやら昼休憩に向かったところらしい。
「…ちっ、面倒くせぇな」
イラつきながら社食に向かえば、隅の方でひっそりと飯を食う後ろ姿が見えた。

ガシャン、と粗雑にトレイを置く。その音に気付いた彼女が隣を見やった。
「…あ、か、神田さん…?」
「…お前、昼飯それだけかよ」
彼女の手には小さなおにぎりが1つ。傍らにはパックの野菜ジュースがあるだけだった。
「…食欲、なくて」
「…服と社員証、もう大丈夫なのか」
「え?…ああ、はい、大丈夫ですよ」
「……何で、笑ってんだよ」

何なんだよ、わけわかんねぇよ
そんな細い身体で、何が大丈夫なんだよ

「…ん。」
「……かん、だ、さん、」
「えび天。好きなんだろ、いいから食え。そんなんじゃもたねぇよ」
蕎麦に乗ったえび天を小皿に乗せて彼女の前に置いた。
「…あと、無理して笑うな、笑って誤魔化そうとすんな」

「……っ、かんだ、さん、やっぱり、やさしい、なぁ…っ」
笑うなと言ったそばから、彼女は眉を下げて笑った。ぼたぼたと、大粒の涙を落としながら、笑った。
堪らず、彼女の頭をがしがしと掻き回した。






***

すっかり定時を過ぎた、人気の少ない社内を、俺は資料室を目指して歩いた。(コムイの野郎、急に5年前の資料がほしいとかほざきやがって。自分で取りに行けよくそが。)


ほとんど消灯されているはずの会議室の一室から、小さく灯りが漏れていた。そのドアの隙間から、小さく、声が聞こえた。

「…あれだけ忠告したのに、まだ神田さんに近づくんだねー」

…俺?

「社員証とか、担当だからとか、あんたの口実もいい加減聞いてて苛々するのよ、あんたも神田さんに近づきたいだけなんでしょ?」


……有り得ねぇ、いい歳してまだこんなガキじみた嫌がらせが続いてるっつーのかよ。…ドアの隙間に垣間見えた、みょうじと広報部の女数名の姿。

「あんたのその良い子ちゃんぶりも見ててむかつくのよね、いかにもわたしか弱いです的な?」
「もうさぁ、あんたこの会社辞めれば?いい加減自分が身分違いだって気付きなよ」
「そうそう、神田さんに近づいたって本気で相手にされるわけないんだからさ」



俺がドアノブに手をかけようとした、その瞬間だった。




「あの、もう帰っていいですか?」


怖さだとか、怯えだとか、そういった感情を微塵も感じさせない、淡々とした声だった。

「言いたいこと、全部言えました?これで満足ですか?」
「なっ…何その態度!」
「ねぇオバサン、さっきから神田さん神田さんって言いますけど、じゃあそんな若作りして研究室に行けば、神田さんが取り合ってくれるんですかね?鏡見て考え直したらどうですか?」
「こいつ…!」
「自分たちが神田さんに近づけないからって一方的に当たってくるのはまぁ仕方ないとして。やり方もまぁ陰湿で姑息で、低レベルだなぁって思ってましたけど、でもよく考えてみてください、そのおかげでわたし神田さんに心配してもらってるんですよね。お昼ご飯奢ってもらったり、頭撫でてもらったり。普段からか弱い子振る舞ってると、いざって時に得することの方が多いんですよ。
…そうですよね、神田さん?」


どくん、

心臓が、まるで彼女の目に射抜かれたように、大きく波打った。


「…何でバレてんだよ」
「えっ!?か、神田さん…何で…っ」
「はめたわね、あんた…!」
「違いますよ、元々この部屋に呼び出したのはそちらでしょう?ご自分の不運をわたしのせいにしないでください」

にっこりと彼女がいつもの笑みを浮かべると、女共は俺を避けるようにして部屋から出ていった。


「バレちゃいましたね」
ふにゃりと、人の良い笑顔を向けた彼女に、俺は未だ動揺する自分の脳内を落ち着かせようとした。
どうやら、みょうじなまえという人物は、相当歪んだ性格の持ち主だったらしい。あまりの変貌ぶりに笑えてくる。
「…ずっと猫かぶってたのかよ」
「わたし別に嘘は何一つついてないですよ?母の入院も、迷子の時も、今回のことも、すべてが事実ですし、わたしはわたしの思うように動いただけです。神田さんがわたしに同情して、特別視してくれるように謀りましたけど」
「…いい性格してんな、お前」
「でも神田さんは、もうわたしのこと放っておけないでしょ」
「…そんだけ図太い神経してりゃ、放っておいても平気だろうが」
「わたしが平気でも、神田さんはわたしがいないとだめなんじゃないですか?」
ゆっくりと俺に近づき、手を引いて、ドアを閉める。ガチャンと静かな音を立てて、ドアの鍵が施錠された。
「何のつもりだ」
「…ねぇ、神田さんは、わたしのこと良い子だと思って疑わなかったでしょ」
ぎゅ、と、俺のネクタイを掴み、ゆっくりと顔を近づけるみょうじ。柔らかい匂いが鼻を掠めて、謀らずも心臓が反応する。
「それでも神田さんは、わたしのことが気になっちゃうでしょ?」
みょうじの潤んだ目は、相手を怯ませるには十分すぎるものだった。ましてや、その相手が男なら、尚更だ。
「…ハッ、てめぇも大概悪い女だな」
「その悪い女に惚れちゃったのは神田さんですよ?」
「…うるせぇよ、黙っとけ」
乱暴に彼女の両手を掴み、自由を奪った。尤も、彼女は俺から離れようともしなかったが。
「あは、可愛いひと。そんなに掴まなくても逃げませんよ」
くすくすと、やけに余裕のある笑みを溢す彼女にイラついた。
「黙れっつってんだろ」
掴んだ両手を押して、そのまま壁に追い詰めた。それでもなお笑う彼女。感情的に、掴んだ両手を彼女の頭上に固定して、食らいつくように彼女の唇を塞いだ。
「…、だれか、きちゃいますよ」
「知ってて誘い込んだのはてめぇだろ」
「あ、バレてました?」
飄々と言い放つ彼女の口を、俺は再度強引に塞いだ。何度も角度を変えて、息を吸い込む暇さえ与えず、舌をねじ込んで彼女の中まで支配する。

「っ、ん、」
「あ?何だよ、さっきまでの余裕ある顔はどうしたんだよ」

ほんの一瞬の隙が、彼女に生まれた。俺の右手がするすると、顎から鎖骨、その下へと降りていく。




「ここまで俺を巻き込んだんだ、責任取ってくれんだろうな」


そう不敵に笑えば、彼女はふ、と小さく笑って、



「最初から、そのつもりです」


そう囁いた。





ナノ感情論



********************

*いあさまリクエスト*
「自分にだけさりげなく優しくしてくれる神田さん」

今まで書いた女の子の中で、一番性格が歪みました…。途中までは本当にか弱い可愛い子路線で行ってたのに、途中から歪ませたくなったの。そしてラビさんに続き、オトナな路線に走ってすみませんでした。だってもう、これ、オフィスでそういうことしたらそうなっちゃうでしょ…!笑 生々しく書く前にスパッと終わらせるのがけい流です(ただの小心者)。
いあさま、遅くなりましたが、リクエストありがとうございました◎

2013.5.6*
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