30000打企画 | ナノ


人魚の海には、齢幾百を超す老婆が住んでいた。
地学、海洋学、占学、医学、薬学、人間学…あらゆる分野に秀でていた老婆は、わたしたち人魚のすべて、ひいては人間界の何たるかを知り尽くしていた。
老婆は言った。

『本当に愛する人から、特別な靴をもらいなさい。その靴を履いたとき、お前は本当の人間になれるだろう。』



にんぎょのくつ*Chapter 3





アレンと最初に出会ったあの日、わたしは衝動的にある場所へ向かった。珊瑚礁の集落を幾つも越えた秘境に住む、老婆の家。

『ばあさま、わたし、にんげんになりたいの』

わたしの話を聞いたばあさまは、両目を真ん丸にして、一度ゆっくりと瞬きをした。
『人間になりたいなんて…お前の人間好きはそこまで及んだか』
『ちがうのばあさま、わたし、アレンといっしょにいたいの』
『アレン?』
『にんげんの、おともだちよ』
『……そうか、お前、<掟>を破ってしまったのだな』
ばあさまの低くしゃがれた声に、一瞬身を縮こませたわたし。だけど、幼いながらもわたしは知っていた。…わたしの泣き落としに、ばあさまはめっぽう弱いのだ。
『ばあさま、おねがい…わたしをにんげんにして…っわたし、アレンにもういっかい、っ…』
『わ、分かった!分かったから!』
ばあさまはあわてふためいてわたしを宥めた。そして諦めたかのように、木製の古びた棚から小さな小瓶を取り出した。七色にきらめく不思議な液体が入っていた。ばあさまはそれをわたしの小さな手に握らせた。
『よいか?これはこの世にふたつとない貴重な薬だ。これがあればお前の願いも叶うであろう。…だが、とても強くて危険な薬でもある。お前が本当にその覚悟を決めた時に使いなさい』
わたしはばあさまにお礼を言って、ぎゅう、と小瓶を大事に握りしめた。



ばあさまからもらった薬は、一時的に人間になれる薬。
服薬してから効果が続くのは、人間時間で言う『一週間』。それを過ぎると効果が切れる。

人間になるための条件は、4つ。
「薬に耐えられる身体になるために、身体の成長を待ってから使うこと」
「薬を使うまで、人間に会ってはならないこと」
「本当に愛する人から、愛されるようになること」
「本当に愛する人から、人間の靴を貰うこと」

薬の効果は一週間。そのあいだに条件が満たせなければ、人間になることはおろか、人魚に戻ることもできない。泡となって消えてしまうらしい。ばあさまが『危険な薬』と言ったのも肯ける。


それから15年間、わたしは人間になるための条件を忠実に守った。幼いままでは薬は使えない。大きくなるまでは、アレンに会いに行ってはいけない。アレンと話した岩場に何度も行きたくなった。何度もアレンに会いに行こうと思った。それでもわたしは、今の自分で会いに行くことを我慢し続けた。人間になって、ずっとアレンのそばにいたいと思った。




15年後、わたしは薬の入った小瓶を開けた。誰にも見つからない場所で、わたしの身体はこっそりとかたちを変えた。オーロラ色の自慢の尾びれは、2本の足になった。エラ呼吸ができなくなって、急いで海面に上がった。『行ってくるね』と、心の中で海に別れを告げた。

アレンと再会したのは、それから4時間後のことだった。


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