30000打企画 | ナノ


ばしゃんっ、

「ゎぷっ」

「ああ、すみません、少し驚かせてしまいました」
がらんがらん、とバケツが床を転がり回る音がした。
何が『少し驚かせてしまいました』だ。少しどころの話じゃない。
「…せめて一言いってからにしてほしかったです」
突然頭から水をかけられたわたしは、水を含んで重たくなった髪をぎゅっと絞った。





にんぎょのくつ*Chapter 10





別室に連れていかれたと思えば、何の予告もなしにわたしに思いきりバケツの水を被せてきた彼。突然のできごとに追いつかないわたしの頭。水気を含んで重たくなった髪や服からは、ぽたぽた、ぽたり、大粒小粒の水滴が落ちてきた。
…そういえば、この前『テレビ』を見ていたら、人間の世界にはどうやらバケツの水をかけられたり、机に落書きをされたり、仲間外れにされたりする『いじめ』という行為が存在する、というのを見たなぁ。
「…これは、『いじめ』でしょうか」
そう尋ねると、彼は一瞬目をまん丸くしたあと、ぶはっ、と吹き出した。
「あはっ、面白いことを言いますね、…先程も申し上げました通り、これは『いじめ』ではなく、あなたの正体を知るための『実験』です」
彼はそう言って目を細めた。そしてびしょぬれになったわたしをじぃ、と見据えて、それから徐々に表情を険しくして、「…おかしいなぁ」と呟いた。何が『おかしい』と言うのだろうか。

「…なまえさん、ご存じですか?今から数十年前にも、この街で人魚が目撃されたことがあるんですよ」
「…え…?」
「と言っても、役所のごく一部の関係者のみに言い伝えられてきたもので、一般市民にはほとんど知られていないんですけどね。
…お話ししてさしあげましょうか、数十年前の『人魚騒動』――」



…彼の話は、まるでわたしの正体を知っているみたいに、ひどく心に痛みを残すものだった。


数十年前にも、『人魚を見た』という目撃情報が数人から寄せられた。
その情報から容疑をかけられたのは、人間の姿をした一人の女の子だった。
人魚の疑いをかけられ、わたしのように『捕獲』された彼女は、水をかけられるとその足を尾びれに変えたという。
そのまま水槽に閉じ込められた彼女は、3日目の朝に泡となって消えたという。


最期に、ある『言葉』を遺して。

「最期にその人魚、何て言ったと思います?


…『靴があれば、人間になれたのに』」


「っ、」


  クツ ガ アレバ

 ニンゲン ニ



今のわたしと、同じ。



「この言葉、どういう意味だと思います?おかしいと思いませんか?そもそも人魚が靴を履く必要なんてないですし、足がなければ物理的に履くことだって不可能でしょう?
人魚の存在を肯定するつもりは毛頭ありませんが、その存在に強い興味を抱いている人間は数多くいます。もし仮に存在するとなれば、研究者達も大人しくしていないでしょう」


彼の無慈悲な言葉の数々が、わたしの表情を歪ませる。
だめ、挑発に乗っちゃだめ。ここでばれてしまったら、人間になれるチャンスを失ってしまう。

アレンに、二度と会えなくなる。

わたしは彼をきっと睨みつけて、ただ「何も知りません」と言った。
彼はそんなわたしを見るなり、今度は声を殺して笑い始めた。

「あなたは本当に分かりやすい方ですね。
…ご存知なのでしょう?『人魚の靴』の真相を」

彼の有無を言わさぬ物言いに、つぅと背中に嫌な汗を感じた。それでもわたしは彼を睨み続けた。暫くの睨みあいののちに、彼はいよいよその笑顔を崩して、冷たい冷たい目をわたしに向けた。
そして、がしっとわたしの髪を乱暴に掴んで顔を近づけた。その痛さに思わず彼の手を掴んで離そうとした。それでも彼の力には及ばなかった。

「…いい加減、白状したらどうですか?」
「…っ、知ら、ない…っ」
「あなたが一言、『わたしは人魚です』と言えば全て済む話です」
「誰、がっ…言う、もんか…っ」










   かちゃり、


「はい、そこまで。」






唐突に部屋に響いた、
無機質な音と

優しい声。

「お役所の方が一般人の女の子相手に『いじめ』ですか。うわぁーえげつないですねー。社会の闇を間近で見ると結構ショックですね」

彼の頭に『何か』を突き付けながらそう言った、のは、

「…あれ、ん…っ」

「遅くなってごめんね、なまえ。うちに帰ろう」

あれん、アレンだ。優しい笑顔を浮かべた、温かい、アレン。助けに、来てくれ、た。力の緩んだ隙に彼の手を離れ、アレンに抱きついた。

「…君は、」
「先程はどうも。どうやら僕の彼女を人魚か何かと勘違いして誘拐したそうですねー。ところで南町第三倉庫って数年前に廃墟になったって聞いたんですけど今は『こういう目的』で役所の方が利用されているんでしょうか?」
「…上層部から許可を得て利用しているまでです。…ところで、先程から突き付けているその銃は…」
「あ、これですか?勇気ある園児が貸してくれたんです。ニセモノなんで安心してください。へぇー、じゃあこの事実を一般市民は知らないわけですよね?それって世間的にアリなんでしょうか?」
「…君には申し上げる必要はありません」
「へぇー、じゃあ、この録画した映像を公に公開しても構わないってことでいいですよね?」
「なっ…!」
ぴろりん♪と陽気な音を立てて、アレンはその不思議な機械のボタンを押して小さなリュックに仕舞い込んだ。そして何事もなかったかのようにわたしを抱き上げて(いつだったか、わたしにやってくれた『お姫様抱っこ』だ)、「帰ろっか」と微笑んだ。

「あ、そうだ」
「?」
「忘れ物です、なまえ」
そう言って、先程の小さなリュックから取り出したのは、
小さくてころんとした、ラウンドトウの赤い靴。

アレンはそれを、わたしの足に履かせてくれた。


「…さてと、あんまりここにも長居できなさそうですね」

わたし達の後ろには、白い服の彼。そして、前にも横にも、何だか物々しい雰囲気の人達。
「ここまで内部情報を知ったからには、タダでは帰しませんよ、ってことですか」
アレンはふぅ、とため息をついて周りを見渡した。
「妙な光景ですよね、まるで僕達が悪者みたいになってるじゃないですか。言っておきますけど、僕は誰にも手を上げていませんからね」
「どうしよう、アレン…」
うろたえるわたしを、大丈夫ですよとアレンがたしなめる。

「今度は、僕がなまえを助ける番だから」

アレンはまた小さなリュックから何かを取り出した。
「何でこんな物まで…ユウタくんさまさまですね」
苦笑しながらそう言って、丸い小さなボールをころころとたくさん手に取り、そしてそれを、びゅんっ、と彼らに思いっきり投げつけた。それはもう、渾身の力で。
その瞬間、あちこちでどんっどんどんっ、という爆発音が響いて、そこらじゅう白い煙で覆われた。
「煙玉!?」「くそっ、前が見えねぇ!」「いってぇなぶつかってんじゃねぇよ!」という罵声が飛び交うなか、アレンはわたしを抱えたままあり得ない速さで駆け抜けていった。

「伊達に毎日園児抱えて走り回ってるわけじゃないんですよ」

そう言って不敵に微笑むアレンは、今まで見たどのアレンよりも、いちばんいちばん、かっこよかった。



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