10000打企画 | ナノ

さくら はらはら あいのおと

まばたき しては ささやいた

はかない きみと ぼくのてで

はらはら つむぐ あいのおと



…また聞こえる。小さな小さな、囁くみたいな唄。バスの音にかき消されそうなほど、儚い唄。みんなには、聞こえてないのかな、気になるのは、僕だけなのかなぁ。

名前も知らない唄を口ずさむ、名前も知らない彼女。毎朝、僕と同じ時間のバスに乗り合わせる、彼女。
今日もまた、あの唄を口ずさみながら、彼女がバスに乗ってきた。ほわほわ柔らかい春風と、陽だまり。それと似た雰囲気を纏う彼女。…あ、今日は、席が近い。一人掛けの座席に座る僕の傍らで、手すりを掴んだ彼女が立つ。…こういう晴れた日は、彼女の唄がよく通る。




「…紺色のブレザーに、赤いリボン、チェックのスカート……それ、N大附属の制服さ」
自信満々にそう結論付けて、びし、と僕を指差したのは、中学からの友人ラビ。やっぱり彼の情報網は群を抜いている。
「そっか〜、アレンはN大附属のかわいこちゃんにお熱なわけね」
「なんかその言い方ムカつくので、ちょっと一発殴っていいですか」
「ちょっ…先にその子のこと聞いてきたんはアレンだろ!?オレが殴られるのはおかしいさ!」
ラビは手元にあった教科書を盾に防御した。行き場をなくした左手の拳がふわふわと僕のもとに帰還した。確かに、彼女の身元を何一つ知らない僕が、ラビの情報網に頼ったことは事実ではある。

「…好きとか、そういうんじゃないんです」
ただ、知りたいと思った。彼女のこと、何でもいいから。
「ふーん、いいんじゃねぇの?恋愛とかも大体そんなんから始まるもんだろ」
ラビはだるん、と肩の力を抜いて、気だるそうに携帯をぽちぽちと弄り始めた。この肩肘張らない空気が、僕には丁度良かった。

暦は春。桜の花はまだ満開には至らず、そこかしこで蕾を疼かせていた。暖かい日差しと、ほんのり甘い匂いを運んでくる風。バスの中で感じたそれは、今まさにこの教室にも訪れていた。

「んじゃ、今度の土曜に駅前のカラオケ集合ね」
「はい?」
携帯をぱちんと閉じて、乱暴にポケットに突っ込んだラビ。あまりに唐突過ぎる発言に、僕は意味が分からずすっとぼけた声をもらした。
「N大附属の子と合コンとりつけといたさ。運が良ければバスの子にも会えるんじゃね?」
「なんてことしてくれたんですか」
…彼の欠点は、いらないお節介を迅速に提供してくれるところだ。




***

「はい!次アレンくんの番っ!」
ずいっ、と容赦なく向けられるマイクと、過度の期待を孕んだ表情。僕は苦笑いをもらし、遠慮がちにそれらを押しやった。
「何だよ、ノリわりぃさアレン!」
「僕はこんなところ来るつもりなかったんです」
朝っぱらから人んちに押し掛けて、こんな騒がしい場所まで無理やり引き摺ってきたのはどこのどいつだ。この変態兎。どこのハーレムだここは。そして君はどこの王様だ。

「んで?この中にバスの子は?」
「…いるわけないでしょ」
彼女はこんなところに来るようなタイプではない。それは僕がそうであってほしいという理想を含んだものではあるが、少なくともあの雰囲気からは想像もつかない。
「どんな子なんさ、その子」
僕から彼女の容姿の特徴を聞いたラビは、すぐに女の子たちの群れへと押し掛けていった。かと思えば、すぐに引き返して僕の元に戻ってきた。
「『そんな容姿の子なんて、いっぱいいすぎて分かんない』だとさ」
ご愁傷様。ラビはそう言って、また女の子の元へとハートを飛ばしながら駆けていった。…もう帰っていいかな。





***

事態が動いたのは、いつもの朝のバス車内。

「あ、すみません降ります!」

…初めて聞いた、彼女の話し声。囁くような唄声しか聞いたことがなかった僕は、堪らなく胸が高鳴って、彼女の後ろ姿から目が離せなかった。瞬きすらも、躊躇われた。
いつも終点の駅前まで乗っているはずの彼女が、今日はいつもと違う場所で降りるらしい。…何でだろう、今日は学校には行かないのかな。やけに慌てた様子で、がさごそと鞄を探って定期を取り出した彼女。
…と、それと一緒に、ぽろりと彼女の鞄から何かが落ちた。「あっ、」と思わず声が出た。だけど、彼女はそれに気づくことなく、逃げるようにしてバスから降りていった。バスが発車する直前、僕は彼女の落とし物をそっと拾い上げた。彼女が降りていった場所は、総合病院前。



「まじ!?やったじゃんアレン!」
彼女の落とし物を拾ってしまったことをラビに伝えると、これはチャンスだとばかりに喜々としていた。
「生徒手帳とか入ってねぇの?もしくは携帯番号とか!何でもいいからその子に連絡できる情報!」
「はは、そんなベタな話あるわけないでしょう」
乾いた笑いを溢し、彼女の落とし物を眺める。少し小さな、花柄のポーチ。まさしく彼女らしい持ち物だ。
「そんなん、開けてみないと分からねぇさ」
「ちょ、勝手に開けるんですか!?」
「だって、落とし主の身元が分からないことには届けようがないさ」
それはそうだけど、人のものを勝手に開けて見るなんて、ましてや、あの彼女のものとなると、そこらじゅうから度胸と勇気を集めてこないとできそうにない…のだが。
「ほら、今まさにポーチがなくて困っている彼女のためにも」
「う…」
…ごめんなさい。僕はラビの誘いに負けて、えいっ、とポーチのファスナーに手をかけた。

「……あ」
「何!?何入ってたんさ!?」
「……ハンカチと、ティッシュ」
「…連絡手段はないってことデスネ」
なんだよもー!とラビはひどく消沈していた。だけど僕の中で、密かな勇気が湧き始めたことを、彼は知らない。




***

…あ、桜、そろそろ満開かな。
とある学校帰り。始発で乗ったバスはエンジンを止めて、のんびりと発車時刻を待っていた。穏やかな夕焼けがバスの中に差し込んできて、うとうとし始めた僕。窓越しに見える桜並木が薄いピンクを纏い始めているのが見えて、もう春なんだな、と今更ぼんやり考えた。
「…さくら、はらはら、」
いつも彼女が口ずさんでいる、あの唄を思い起こす。童謡みたいに短くて、単調で、優しい唄。耳に残るのは、彼女の声だから、かなぁ。
「…あいの、おと、」
気づけば彼女のことを考える時間がむくむくと増している、自分。好きとか、そんなんじゃ、ない。だって、好きになるにしては、僕は彼女のことを知らなすぎるのだ。

まばたき、しては、ささやいた
はかない、きみと、ぼくのてで

「…儚い、君…と、僕の、手で」
小さく小さく呟きながら、自分の手のひらを見つめた。



「…はらはら つむぐ」

「…っ!」


…驚いた。眠気が一気に吹き飛び、僕は目を見開いた。
聞こえてきたのだ、彼女の唄が。バスの入り口から。制服姿の彼女が、今まさに、バスに乗り込んできた、のだ。

僕は、鞄の中をゆっくり探って、ぎゅ、と何かを握りしめた。



さぁ早く、言わなきゃ。







「…あ、の」




声、ちょっとうわずっちゃった。

きょろきょろと座席を探していた彼女は、僕の声に足を止めた。…そしてまた、きょろきょろと辺りを見渡した。
「…え、いやあの、君です、君」
「え、あ、わたしっ?」
彼女はさも驚いた表情で自分を指差した。そりゃあそうだよな。
「これ、君のじゃないですか…?」
僕は鞄から、花柄のポーチを取り出して彼女に手渡した。彼女は目を見開いて、「…探してたんです、これ…」と、それを大事に抱えた。
「良かった、大事なものだったんですね」
「ありがとうございます、あの…」
「ああ、えっと、S高2年のアレン・ウォーカーっていいます」
「アレン…さん…?」
僕がにこ、と微笑むと、彼女もまた恥ずかしそうに小さく笑んだ。…内心、緊張でどうにかなりそうだった。初めて、君と話したのだから。




***

桜は、満開を迎えた。
「なぁアレン、N大附属の子がまた遊ぼうっつってるんだけど行かね?」
…彼の頭の中もまた、満開らしい。
「行くわけないじゃないですか」
「んなこと言うなさ、今度はバスの子かもしれないっていう友達連れてくるらしいからさー」
「だから、みょうじさんはそんなとこに行くような人じゃな…」

…しまった。慌てて両手で口を塞ぐも、にんまりと嫌ーな笑顔を浮かべたラビには、もう何もかも隠しようがなかった。
「へぇ〜、みょうじさんっつーんだその子。いつの間に名前教えてもらったんさ?いつの間にそんな仲良くなってんさ?」
「べ、別に仲良くなったわけじゃないですけど…」
「けど?」
「……も、いいじゃないですかそんなこと。ほら次移動教室ですよ!」
「後で根っこまで問い詰めるかんなー」

…やばい、顔が熱い。彼女の話題だけでこんなにも熱を持つ自分は、どこかおかしくなってしまったんじゃないかと思うほどだ。




***

「…あ、」
「あ、おはようございます」
見ているだけ、唄を聴いているだけだった朝が、大きくかたちを変えた。あれ以来、欲深くなった僕は、彼女の隣にいたくて一人掛けの座席に座ることを止めた。彼女と毎朝挨拶を交わし、終点まで会話を交わす。唄が聴けなくなったことで寂しさを感じながらも、今まで知らなかった彼女のことを一つひとつ知っていく毎日に、僕は嬉しさを噛み締めていた。
(ちなみにあの日は、彼女の姉が産気づいて急遽病院に降りたらしい。)


「…唄、?」
「はい、よくバスの中で口ずさんでましたよね。何の唄なのかなと思って…」

この日、僕はずっと聞けなかった疑問を思い切って彼女に尋ねてみた。
「…ずっと、聴いてたんですか…?」
「…え、あ、いや…えっと…」
目を丸くして問う彼女を、僕は直視できずにいた。遠回しに、ずっと君のことを見ていました、とほのめかすような発言をしてしまったのだ。

「…春になると、なんか口ずさんじゃうんです」
狼狽えた僕を宥めるみたいに、ゆっくりと話しだしたみょうじさん。
「小さいときから、母がよく歌ってた唄で、もう染み付いちゃってるというか」
「へぇ…素敵ですね」
「姉もよく口ずさんでるんですよ、最近は赤ちゃんにも聴かせてるみたいで」
「あは、立派に受け継がれてますね」
ですね、と彼女は笑った。ふわりと、周りの空気をほぐす笑顔。声。

もっと、最初から、こうやって話し掛ければ良かったんだ。僕は今更になって自分の意気地のなさを悔いた。

バスはぷしゅう、と息を吐いて終点に行き着いた。

「…アレンさん、」
バスから降りた後、みょうじさんは僕の名前を呼んだ。何ですか?と振り向いた先には、少し顔を赤くした彼女。


「あの時、ポーチ拾ってくれたのが、アレンさんで良かったです」


…そのまま、身を翻して去ろうとする彼女の手を、僕は咄嗟に捕まえた。…言い逃げなんて、そんなのずるい。

「…今の、どういう意味ですか?」
驚いて目をぱちくりさせた彼女は、直後、りんごみたいに顔を真っ赤にした。
「それって、ちょっとは期待してもいいの?」
「なっ…えと…っ」
わたわたと狼狽える彼女に、僕まで顔が熱くなりそうだ。

「みょうじなまえさん、」



儚い君と、僕の手で、

はらはら、紡ぐ、


愛の 音



それがこの手で叶うのなら、僕はきっと幸せなのだろう。そう思わせたのは、この手を通して伝わる心音と、嘘みたいに熱い体温。



春を待つ唄
(もっと、君が知りたいんです)



*゚
凛さまリク
『アレンさんほのぼの甘』

『好き』に片足突っ込んだ感じで終わるおはなしが書きたかったのですが、色々詰め込み過ぎな上に中途半端…すみません…!もっと名前を呼ばせたかった。
凛さま、すてきなリクありがとうございました◎


2011.3.31
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