10000打企画 | ナノ

もう嫌だ、帰りたい。そう嘆いても彼はただ口角を上げるだけで、結局はその愉快そうな表情を崩すことはできなかった。玄関へと強行突破を試みるも、その細腕からどれだけのパワーが出ているのか、掴まれた腕はびくともせず、虚しく引き摺られて部屋に戻されるだけだった。
もうだめだ、わたしはきっとこのままこの悪魔のような男に囚われて二度とおうちに帰れないんだ。

「…なんか人聞きの悪いこと考えてるでしょ」
「だってほらアレンさん、もうすぐ夜の10時になりますよ、そろそろおうちに帰りたいんだよわたし」
「だめです帰しません。君は今から僕とピンクタイムです」
ピンクタイムて何ですか。
「ピンクタイムにそのDVDは必要ないと思うなぁー」
「だめですこれは必須アイテムです」
そう言ってにこっと澄んだ笑みを浮かべたアレン。その手には、今世間で話題沸騰中の映画。…これがうっとりするような恋愛モノなら、どんなに素敵だっただろう。


アレンのうちで、こうやってまったり過ごすことは珍しいことでもない。今日は夜ごはんを作って食べた後、「DVD借りに行きたい」と言いだしたアレンと一緒に、近所のレンタルショップへ出かけた。そこでの収穫が、今まさにアレンの手にあるDVD。


「ずっと観たかったんですよねーこれ。人気でなかなかレンタルできなくて、今日やっと空きが出たんですよー」
あああ、このひと何の躊躇もなくプレイヤーにセットしだしたよ…!何そのうきうきな感じ、そんなに観たいの?
「そんなに観たいなら一人で観ればいいじゃない…」
「嫌です、なまえと観たいんです」
…これがうっとりするような恋愛モノなら(以下略)。アレンはよいしょとソファの定位置に腰を下ろし、まるでオプションのようにわたしを隣に座らせた。…あああ、なんか始まりそうだよ、本気で逃げたいよ。でも逃げようとすればするほど、アレンに腰をしっかりホールドされてびくとも動かない。はたから見れば、ソファでいちゃいちゃしながらDVDを観ているようにしか見えない。何なのこのひと、どんだけ力強いの。



「…あ、始まった」
「…いやだぁぁああぁ」
「何始まって早々泣いてるんですかなまえは」

静かなBGMとともに映し出されたのは、霞みがかったとある湖。その傍らには、ごく普通の、幸せそうな家族。はしゃぎまわる小さな子どもが、湖のほとりに手を伸ばす。ゆっくりと。




その 瞬間、





ばしゃんっ
『キャアアアアアアッ!!!』
「いやーーーっ!!」
「わ、びっくりした」

テレビから響いた絶叫に、思わずアレンの腕にしがみついた。何も見えないように、顔を一生懸命伏せた。
「いっ今っ、う、うでっ!湖っ!!」
「湖からなんか手ぇ出てきましたね、腐った感じの」
「もうやだぁー!心臓止まる!!」
「やだなぁ、まだ始まったばっかじゃないですか」
「もうやだ!ほんとやだ!帰る!!」
「え、一人で帰れるんですか?」
「………!!!」
「こんな暗い夜道を、一人で?まぁ、何も出ないとは思いますけど?」
…やられた。もう観始めてしまった手前、わたしが怖くて帰れなくなることを彼はとっくに見抜いていたのだ。
「そこまで言うなら、仕方ないですね…気をつけて帰ってくださいね?…特に、背後には…」
「……やっぱ、泊まる」
「…じゃあ、続き、観ましょうか」
ぱぁ、と眩しいほどの笑顔を見せたアレンに、わたしは屈辱的な思いだった。

「そんなにホラー系が苦手だったなんて知りませんでした…もっと早く言ってくれればよかったのに」
「わたし何度も言ったよね?怖いのだめなんだって何度も言ったよね?それを無視してこんなのレンタルしてきたのはアレンさんですよね!?」
涙目でそう訴えるけど、今の彼には何を訴えても喜ばせることにしかつながらないようだ。ドSなのは知っていたけれど、さすがにここまでくると自分の身の安全が心配になってくる。
「…すみません、泣いて怖がるなまえの顔が見たくて」
「全然すみませんなんて思ってないくせに…っいやぁーーっ!!またなんか出てきたぁぁっ!!」
「あはは、楽しいなぁ」
「も、ほんと最低だよこのひと…!」
「あれ、そんなこと言ってていいんですか?」
突然、DVDを一時停止したまま(しかも、まさになんか気持ち悪いのが出てきたシーンで)、ソファから立ち上がったアレン。
「…や、やだっ、どこ行くの!?」
「ちょっとトイレ行ってきます、先に観ててもいいですよ」
「…や、やだやだ行かないで!一人にしないで…っ」
がしっ、とアレンの腕にしがみついて、恥を承知で頼み込んだ。
「(…ちょ、堪んないこれ…!)…仕方ないなぁ、なまえはほんと怖がりですね」
…楽しんでる。絶対このひとわたしのことからかって楽しんでる。だけどこんな状況で強がってなんかいられないわたしは、ぎゅう、とアレンの腕にしがみつきながら、映画が終わるのをじっと耐えて待った。
「あ、なんか内臓が出「実況しなくていいから!!」…ちぇ。…あ、今度は片足がな「アレンさんんんんん!!!」
「あはは」
アレンはわたしの制止を笑顔でかわしながら、懲りずに実況してくださった。ほんと有難迷惑な男だよこのひと!
「あ、目玉が飛び出「いやあぁあぁ!!」





***

…映画も中盤を過ぎた頃だろうか。耳から入ってくる音声を手掛かりに、物語は少しだけ落ち着きを取り戻しつつあることがうかがえた。わたしはほんの少し腕の力を緩めて、アレンから距離を取り始めた。ふぅと一息吐いて、テーブルに置いてあったマグカップに手を伸ばした。

その、とき、



ふわ、と耳元を掠めた、何か。


わたしは声になりきらない声を反射的にあげて、ばっ、と自分の耳を両手で塞いだ。
「どうしたんですか?」
「…なん、でもない…」
ばくばくと踊り出した心臓を必死に落ち着かせて、きっと気のせいだと自分に言い聞かせる。もう一度、マグカップを手に取り、温くなったお茶をほんの少し含んだ。ちらり、と横目で彼の姿をうかがう。アレンは映画に集中しきっているようで、テレビから視線を離すことはなかった。




………すぅ、

「っや…っ」
やだ、やだやだ、何、これ。首筋に、すぅ、って、何か、触った。怖い、怖い。わたしはマグカップを置いて、急いでアレンにぎゅう、としがみついた。
「…なまえ?どうかした?」
アレンが優しく声をかける。わたしは怖くて声にならなくて、代わりにアレンにしがみつく腕に力を込めて、アレンとの距離をなくした。アレンは、いつの間にかわたしの腰から離していたその手を、再び戻した。ちょうどアレンの首筋に顔を埋めるかたちで、わたしは小さな子どもみたいに、アレンにすべてを委ねた。
「大丈夫?」
「…だいじょぶじゃ、ない」

大丈夫だよ、と言うように、わたしの背中をぽんぽんと撫でるアレン。それが心地よくて、騒ぎっぱなしだった心臓がゆっくりと波打つように動く。首筋から鼻を伝って感じる、アレンの匂い。石鹸みたいな、陽だまりみたいな、不思議な匂い。

「くすぐったいよ、なまえ」
首筋でわたしの髪が動くたび、小さく笑って身を捩るアレン。背後では相変わらず映画が流れているのだけれど、いつの間にかアレンが音を小さくしてくれていたようだ。
「…や、ちょ、アレン」
「仕返し」
そう悪戯っぽく笑って、わたしの首筋をくすぐりだすアレン。わたしはくすぐったくて、アレンの手を取った。そのまま、スロー映像みたいに、わたしの背中がソファに横たわった。視界には天井と、愛しい愛しい、彼の姿。ゆっくりと目が合うと、それが合図みたいに、あまりに自然に合わさった、唇。

耳元で厭らしく囁くアレン。
「…ね、なまえ、」
「…なぁに」
その、いつもより艶のあるアルトが、わたしの奥の奥を疼かせる。



「…電気、消してもいいですか?」




小さく頷いたわたしを見て、アレンの少し冷たい手が、服の下から、わたしの腹部に触れた。

その感触が、先程すぅ、と感じた気味悪い感触とどこか似ていて、わたしは恐ろしさとくすぐったさの相矛盾する感覚に、溺れ落ちた。


ももいろに染まる、わたし。

いとも不思議な、気味悪さ。







桃色ホラーと彼の策略
(…さっきのは、ちょっと悪戯が過ぎたかな)
(ど、したの、アレン…っ)
(いーえ、何でもないです)







*゚
未紗さまリク
『アレンさんできゅんきゅん』
ホラー映画で彼女を怖がらせることも、なんかいい雰囲気にしちゃうのも、彼女の耳元と首筋に最初に触れたのも、全部全部、アレンさんの策略。
ありきたりなおはなしですみません。リクありがとうございます◎

2011.3.26
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