10000打企画 | ナノ

「あははははは!なっ、何ですかその前髪!あははははっ!」
「……っ」
ぐ、と奥歯を噛み締めながら、こみあげてくる羞恥心に必死に耐えていると、ようやく笑いがおさまった彼はわたしを席へと案内した。…まだ片手でお腹を抱えてひいひい言ってるのが大変気に入らないが。
「…あー、おかしいー」
「…笑いすぎですよアレンさん」
まだ若干の笑いを引き摺りながら、ぶーたれているわたしの首に手際よくタオルやらクロスやらを巻いていくアレンさん。
「だからいつも言ってるじゃないですか、前髪だけのカットもしますよ、って」
「なんか、今回は自分でいけそうな気がして…」
「何の根拠ですかそれ。大体、なまえさん不器用なんだから、もう自分で前髪切るのやめてくださいよ」
「う………努力します…」



アレンさんは、わたしの行きつけの美容院でいつも担当してくれる美容師さん。彼の爽やかな笑顔と雰囲気に、最初こそは胸を高鳴らせていたわたしだったが、今となってはこうしてズバズバと非難の言葉を浴びせてくる、結構いい性格をしているひとだということが分かった。その言葉がきちんと理にかなっているものだからこそ、いつも彼に言い返すことができない。

「髪、まだ伸ばします?」
「あ、はい」
「結構伸びましたよねー…なんかこう、思わずバッサリいってしまいたくなります」
「ちょ、やめてくださいよ!」
「あは、やだなぁ冗談ですよ」
「冗談って言いながらハサミがジャキジャキ動いてるんですけど!?」
片手でわたしの髪を束ね、もう片手にハサミを携え、これみよがしにハサミを動かしてみせたアレンさん。
「多分僕、前世はザリガニか何かだったんじゃないかなと思うんですよね」
「そんな前世で嬉しいですか」
「なまえさんなんて、多分前世はこけしか何かだったんじゃないですか」
「ちょ、人の前世を何だと思ってるんですか」
「え、だってほら……ぷぷ、こ、この、前髪…っ」
「そうやってひとの失敗を何度も蒸し返さないでくださいよ!」
まったく、接客マナーがなってないぞこのひと!
…と、わたしがひとしきり心の中で悪態をついた頃、彼はひっきりなしに動かしていたその手とハサミをゆっくりとわたしから離した。

「……はい、その失敗、なかったことにしてあげましたよ」
「……おぉぅ…!」
…すごい。さすがプロ。あれだけパッツンパッツンだった哀れな前髪が、実にいい感じに馴染んで、自然なかわいい前髪になっていた。そして間髪入れずに、後ろ髪に取りかかり始める。

「…やっぱ、アレンさんすごいや、伊達に美容師名乗ってないですね」
「当然です、何回あなたの失敗したパッツンな前髪を切ってあげたと思ってるんですか、あなたも大概ばかですね」
「…すみませんね」
容赦ない言葉が、ぐさぐさと身体中に刺さった。痛い。
「僕の好みですけど、なまえさんはパッツンより、こういう…斜め分けっぽいほうが似合うと思いますよ。大体、前髪パッツンの人はろくな人がいません」
「後半のくだり、何があったんですか。思いっきり私情挟んでますよね」
「いえ、僕の知り合いでパッツン前髪の馬鹿な男がいるんです。だからパッツンは嫌いなんです」
そう言うアレンさんは、顔は笑っているはずなのに、目は恐ろしいほど笑っていなかった。どれだけ嫌いなんだろう。

「……はい、できましたよ」
あれだけ喋り続けていながら、手をずっと動かしていたアレンさん。気づけば、わたしの髪はきれいに整っていた。
「うん、かわいい、なまえさん」
アレンさんは満足気に呟いて、優しい笑顔でわたしの髪を手櫛で梳いた。…『かわいい』っていう言葉は、わたしの髪が思い通りにいった結果出たものだ、っていうことは、重々分かっている。分かっているんだけど…!
「…何赤面してるんですか、何を勘違いしたんですか?」
「赤面してませんし勘違いもしてません!」
どーもありがとうございましたっ!
にやにや顔のアレンさんに、わたしは恥ずかしくなって、乱暴に言葉を吐いてすくっと席を立った。…あぁもう、ちゃんとお礼言いたいのに!

「なまえさん」
身支度を整えたわたしに、アレンさんがにこ、と笑って声をかけた。
「また来月、今度は前髪自分で切らないで来てくださいね」

…なんで『来月』?と思った。けど、わたしがまた前髪を切りたくなってきた頃、それがアレンさんの言う『来月』だったのだ。そこまで見越して、彼はわたしにそう声をかけたのだ。
…まったく、かなわないなぁ。



「―…あ、今回はちゃんと切らないで来てくれましたね」
「…だって、来月来いって言うから」
「ハイハイ、今日混んでるので、ちょっと待っててください」
アレンさんは少し余裕のない笑顔でそう言い残して、すぐにお客さんのほうに向かった。そっか、今日混んでるんだ。ちゃんと予約すればよかったかな。
…でも、働いているアレンさんの姿を第三者の立場から見られるのもなかなか面白そうだ。そう思ったわたしは、ちょこんと椅子に座って観察することにした。


アレンさんが担当していたのは、長い髪がきれいな、女の人。会話はよく聞こえないけど、何だかすごく、楽しそう。アレンさんも、笑って話しながら、大事に大事に、髪にハサミを入れる。
…わたしのときも、あんなふうに、大事に大事に、切ってくれる。




(……あ、れ?)




「―……なまえさん?何ぼさっとしてるんですか」
目の前でアレンさんが顔を覗き込んで、ひらひらと手のひらを振っていた。
「―ぅあ、びっくりした!」
「びっくりしたのはこっちですよ。席、空いたので案内します」
わたしが通された席は、さっき、髪がきれいな女の人が座っていたところ。
「…どうしたんです、座らないんですか?」
「…座ります」
「?変なひと」
アレンさんに不思議がられながらも、慌てて座った。
「今日は前髪だけですか?」
「…はい」
「…分かりました、後ろ髪まで切らないよう気をつけますね」
そう笑って、わたしの前髪に手を伸ばしたアレンさん。おでこ全開な自分を鏡で見ながら、上手く働かない自分の頭を自覚し始めた。

「…待ってる間、眠くなりました?」
「いえ」
「……何か、悩んでます?話聞きますよ?」
「いいえ」
…何だか、今日はアレンさんと上手く話せない気がして、わたしは近くにあった雑誌に手を伸ばそうとした。

「ストップ」
「あぅ、」
アレンさんは急に、持っていたわたしの前髪をぐいっと後ろに引いた。反動で上半身もぐいっと持っていかれる。何これ、ストッキング被ったひとみたいになってますよ。
「前髪やってるんですから、動かないでください」
「いや…じゃああの、雑誌だけ取らせてください」
「だめです」
えええ…!雑誌読んじゃいけない美容院なんて初めて聞いたよ。
「…いつもそんなの見てないじゃないですか」
そんなのって言った!じゃあ置かないでください、non・n●に謝ってください!
「…やっぱ変ですよ、なまえさん」
「そんなことないです、ちゃんと前髪切らないでいたじゃないですか」
「そうじゃなくて、いつものなまえさんらしくないってことです」
「…別に、いつもと変わらないですよ」
「まぁ確かに、いつも変ではありますけど、でもそういうことじゃなくて」
さらっと失礼なことを言ったアレンさんに、わたしはいつもみたいに言い返そうとは思わなかった。

「……そんなに、僕と話したくないですか?」
その言葉も予想外だったが、何より、アレンさんの声が、悲しそうに聞こえた。わたしが答えないでいると、アレンさんもそれ以上何も言わなかった。
今まで、こんなに無音になることなんて、なかった。








前髪が、また伸びた。
だけどあれっきり、アレンさんに会えなかった。わたしが勝手にもやもやして気まずくさせただけなんだけど。
でも、このもやもやの原因も自覚、してしまった、から、だから尚更、会いに行けない。

前髪をくいくいといじりながら、バイト後の夜道をとぼとぼ歩く。さあさあと雨が降っていて、吐く息も白かった。…ふと、目先に見つけてしまった、美容院。そうだ、この道だとあそこの前を通っていかないと帰れないんだった。まだ美容院からは灯りがもれていた。

(……平気、ちょっと、覗くだけ。)

こっそりと覗くと、
………いた。アレンさんが一人、マネキンの前でハサミを動かしては手を止めてを繰り返していた。すぐに帰るはずだったのに、ずっと見ていたくなった。
わたしはようやく足を動かし、見つからないようそおっと離れて歩き出した。

アレンさん、あのね、わたしは、




がしっ、


「っ!?」
後ろから突然腕を掴まれた。振り向くと、思ってもみないひとが、わたしの腕を、掴んでいた。

「…アレン、さん?」

はぁはぁ、と、肩を上下させながら、びしょぬれで白い息を吐いていたアレンさん。わたしはぎょっとして、「ちょ、何してるんですか!風邪引きますよ!?」と慌てて傘を差し出した。
その直後、今度はその腕を掴んだまま、ぐるりと元の道を引き返し始めた。
「えっ、ちょ、アレンさん!?何っ、」
アレンさんは何も言わず、ただずんずんと早足でわたしを引っ張っていく。意味が分からない、何でわたしに気付いたのかも、何で急いで追いかけてきたのかも、…何で、お店に戻されたのかも。
「わぷっ!」
お店に引き摺りこまれた瞬間、近くの引き出しからタオルを出し、乱暴にわたしの頭を拭き始めたアレンさん。もう何もかもがよく分からない。何なんだこれは。


「…前髪、また伸びたじゃないですか」
「へ、」
わしゃわしゃとタオルを動かしていた手が、今度はゆっくりと、わたしの前髪に触れた。
「後ろだって、そろそろ切らないと」
そう呟いて、わたしの髪を一束手に取って、なぜか悲しそうに見つめた。俯くアレンさんの髪から、ぽた、と、滴がわたしの髪に落ちた。わたしはアレンさんの髪を拭こうと、自分の頭にかかったタオルを取ろうとした。

だけどそれは、アレンさんに頭からすっぽり抱きしめられたことで叶わなかった。


どきどき、どちらの心音かもよく分からないまま、少なくとも自分の体温が急上昇していることだけは分かった。


「…なまえさんは、ずるいよ」
「え、」
「何で、僕ばっかり、こんなに苦しいんですか。何で、あんな別れ方しといて、謝りにも来ないんですか、この馬鹿」
「…え、ええ?」
言われていることがよく分からなくて、わたしは疑問でしか返せなかった。ていうか何か理不尽な言われ方してる気がします。
「す、すみません…」
「何あっさり謝ってるんですか君にはプライドってもんがないんですか、馬鹿」
どっちみち怒られる。何でだろう。わたしはどうしたらいいんだろう。

「…アレンさん、苦しかったんです、か?」
「…そうですよ、これくらい」
そう言って、ぎゅうぅぅ、と抱きしめる腕に渾身の力を込めてきたアレンさん。ちょ、苦しいっていうか何か出る!絞られる!
「伝わりました?」
「つたわりましただからもうゆるしてくださいなんかでそうです!」


「じゃあ、僕と付き合ってください」


…どういうこと!?あまりにもすっ飛んだ返しに、わたしはアレンさんを見上げて次の言葉を待った。
「だって、なまえさんに会えないだけで、これだけ苦しいんです」
「…いや、えっと…!」
「あ、返事はもう分かってるので結構ですよ」
「へっ?」
わたし、いつ返事なんてしました!?




「だって、僕が他の女性の髪を切るところ、見たくないんでしょう?」
それだけで、十分です。



アレンさんはそう微笑んで、わたしの前髪に、ゆっくり唇を寄せた。





恋するハサミと愛しい前髪
(もっともっとふれさせて)



*゚
花音さまリク
『美容師アレンさん』
すてきなリクエストありがとうございました◎

2011.3.13
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