はろ | ナノ

なんてことはない。ただ、今までと変わらない生活に戻っただけだ。ひっそりと生きて、バイトして、ただ衝動的に、目についた人の血を、死なない程度に吸う。今までずっとそうしてきたんだ、今更そんなの、どうってことない、はず。なのに、

「……あー、くそ、くらくらする…っ」

バイトを終え、どさりと、質素なベッドに倒れこんだ。正直、身体はもう限界だった。
なまえと離れてから、他人の血を一度も吸っていない、のだ。立っているだけでぐらぐらするし、息は荒くなるし、意識がとびそうになる。顔色は最悪で、蒼白いを通り越して透過しているんじゃないかと思うほどだ。


吸わないと死んじゃうようなひとが、吸うのを我慢してるとか、それこそ意味が分からないよ


「…確かに、僕は馬鹿な吸血鬼だ」

そう呟いて、自分を嘲笑った。なまえの言葉が頭の中で何度も反芻する。
何のための『契約』なのか、と彼女は言った。そもそも僕が一方的に押し付けた『契約』なのに、彼女はその『契約』を忘れようとしなかった。
『契約』とは名ばかりで、契約書があるわけでもなければ、契約者以外の血を吸うことが許されないわけでもない。言ってしまえば、『契約』なんてものは実在しないのだ。ただ吸血鬼が、自分の異端な性質を武器に人間を脅して、自らの生きやすさを優先しようとするだけの、都合のいい縛りなのだ。

だけど、彼女は、…



ブー、
遠のく意識を引っ張り上げたのは、携帯電話のバイブ音。着信相手の名前を見て、再び意識がとびそうになる。このタイミングでこいつの声を聞くことになるとは。自分の運のなさをとことん悔やみながら、乱暴に通話ボタンを押した。

「……はい」
『お、出た。めっずらしー、今日はちゃんと携帯してんだな』
電話口から聞こえてきた、艶のある低音。いっそ、携帯電話ごとへし折ってしまいたいと思うほどの、嫌悪感。
「…何の用ですか、用がないなら切りますよ」
『まぁそう怒んなって。少年どうしてるかなーと思って。引っ越し先でいい獲物は見つかったかー?まさか貧血でぶっ倒れてないよな?』
「……」
…ムカつく。こいつの言い方は、いつも癇に触る。いつもそうだ、僕を怒らせると分かっていながらこういう聞き方をするから余計にたちが悪い。

電話の相手
ティキ・ミック。
現代では希少な、血統正しい吸血鬼一族の一人。僕たち下っ端の吸血鬼を、上から総べる存在。会社で言えば、社員を束ねる上層部の役割である。その権力は絶大であり、僕たち吸血鬼の必然ともなり得る。要するに、彼の指示や命令には逆らえない。所謂、『上の命令は絶対』というやつだ。彼に逆らうことは、自分の生命を脅かすことにつながる、らしい。僕はムカつくからあまり関わっていないけど。
それでも、こうして定期的にコンタクトを取らなければならないという規則なのだ。面倒臭い。


「…残念ですが、あなたが喜ぶような情報は何一つ持っていませんよ」
ゴシップ好きの彼に差し出すネタなど、僕は持ち合わせていない。そう皮肉を込めて僕は答えた。
『嘘つけ。とっておきの情報持ってる奴の言うセリフじゃねぇよなそれ』
電話の相手はそう言って、含み笑いをこぼしながら僕に皮肉を返した。
「……何のことですか?」
『とぼけんじゃねぇよ。残念ながら、こっちにちゃあんと情報が流れてんだよね』
「は…?」
一体何だと言うんだ。彼は何を握っている?

『…上等な獲物、見つけたんだって?もっとも、もう手離しちまったみてぇだけど』

もったいねぇよなー。
ティキ・ミックは、大袈裟なほど感嘆の声をもらした。


僕は、一瞬息をすることを躊躇った。…息をする前に、彼に問いたいことが山ほど浮かんできたのだ。
嫌な汗が、背中をつう、と伝った。


『あそこまで近づいておいて、今更怖気づくなんて、少年もまだまだお子様だねー』
「何を、知っているんですか、ティキ・ミック」
もったいぶる彼を急かすように、口調を強める僕がいた。
『はは、そう怖い声出すなって』
きゃらきゃらと、まるで鈴のように笑った彼。その声が一層僕をいらつかせた。
『言っただろ?こっちにもちゃんと情報が流れてんだよ。その獲物のことも、お前が、その獲物を手放したことも』
彼が言わんとしていることが、どうか、僕の予想とは外れますように。そう願ったけれど、


『…なまえ、だっけか?すげぇ気になんだよね、そいつ。どんな“味”だった?』


軽々しく彼女の名前を呼んだ声に、正気を失いそうになるほどの怒りが、こみ上げてきた。みし、と、左手で握っている携帯電話から、小さく軋む音がした。

なんで、
どうして、
なんでこいつが、
彼女のことを、


…上は何でもお見通し、というわけか。


『なぁ、何で手離したんだよ?噂じゃ相当な“当たり”なんだって?もったいねぇよなーほんと、同じ吸血鬼としてどうかと思うわ』
「……」
『…おーい、少年?聞こえてるー?もしもーし?』

言葉を発さない僕に、彼は至極楽しそうに呼びかける。

『…ま、いいや、それくらい自分で確かめろ、ってね』
「…は、」
『少年も、手離した奴には用はないもんな?まぁとりあえず、お前が元気でやってるのが分かっただけでも収穫、だな。上の奴らにしっかり伝えておくわ』
「待てよ、っ、」
『じゃあな、少年』
ブツ、と乱暴に切れた電話。ツー、ツー、という規則的な電子音だけが残った。


「…くそっ、」

小さく舌打ちをして、ぐらつく身体を無理矢理叩き起こした。

『用はない』だと?
ふざけるな、大ありだ。
まだ、彼女に伝えなきゃいけないことが、山のようにあるんだ。

鉛のように重たい身体を引き摺り、部屋を出た。向かう先なんて、決まってる。


手離してなんか、いない。最初から彼女を手離すつもりなんてなかった。
離れたくなんか、なかった。

自分の不甲斐なさが嫌で、異端な自分の存在が怖くて、色んなものから目を瞑り、色んな声から耳を塞いで逃げてきた。本当はそんな自分が嫌で嫌で、捨ててしまいたいと何度も思った。


信じるよ

彼女は僕の話を、信じると言ってくれた。初めて、だった。誰かが信じてくれる、そんな自分になれたのは。

彼女の存在に、言葉に、僕がどれだけ救われていたかなんて、きっと誰も知らなかった。僕自身も気付かなかった。



なまえ、なまえなまえなまえ!

怖い思いをさせてごめんなさい。
だけど、信じてくれてありがとう。

なまえ、


…会いたいよ。




壁をつたい歩き、辿り着いたアパート。懐かしいそれに、胸がしめつけられた。
彼女の無事を願いながら、ドアに手を伸ばした。
途端、


ガタガタッ、と物が崩れる音がした。


まさ、か、


「なまえっ!!」



「…あれ、早かったね、少年」

ドアの向こうに広がった光景は、ひどく現実離れしたもので。

「…ア、レン、くん…?」
弱々しく僕の名前を呟いたなまえは、長身の男に腕を掴まれて壁に追いやられ、逃げ場を失ったばかりのようだった。
「何だよー、空気読めよな少年ー」
「なまえを、離してください」
「…嫌だ、と言ったら?」
「ふざけるな、離せ」
「おー怖っ、なに、いつからそんな反抗期になったわけ?」
一向に離す気配を見せない彼に苛立った僕は、部屋に入って彼の腕を掴んだ。
「なに、契約解除したこと今更悔やんでんのかよ」
「契約なんて関係ない。離せって言ってるんだ」

「……へぇ、ははっ、オレに歯向かうってわけね、

………いーよ、乗ってやるよ」

そう言って、僕の掴んだ手を振り払ってから、彼が拳をつくって僕にめがけるまで、ほんの一瞬、だった。



お菓子よりも甘い悪戯
(『悪戯』なんてレベルじゃない!)





まさかの彼登場に、一番びっくりしているのはわたしです。上司対部下の下剋上対決です。次で一応完結する予定。
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