dgmこびん | ナノ

ほんと、ちっちゃいなぁ。

目下からぽつりとそう呟く彼に、最早反論する元気も残っていない。いつものことだと自分に言い聞かせ、「そういえばおんなじ電車使ってたんだねー、知らなかったなぁ」と平静を装いながらにこ、と微笑むわたし。なんて大人なんだろう。こんな心理状態の中でも平静を取り繕うことのできる自分を心から褒めてやりたい。えらいね、なまえ。誰も褒めてくれないからわたしが力いっぱい褒めてあげるよ。えらいよ自分。

「あ、シカトしたー」と、ぷくーっと頬を膨らませて眉間に皺を寄せたアレンくん。この顔ばかりがやたら整った後輩が、「かわいい」だの「弟にしたい」だのと周りからちやほやされているのも肯ける。肯けるのだけど、
「なまえさんて僕より年上ですよね?え、ほんとに大学生ですよね?実は中学生でしたーとかそんなことないですよね?」
にこにこにこにこしながら、あたかも純粋な疑問だとばかり質問攻めを繰り返す彼は、間違いなく性格がぐにゃんぐにゃんにねじ曲がっていると思う。ピュアボーイ装うのもいい加減にしろよこのクソガキー!むきぃい!

「はは、中学生だったらバイトできないよねー!何度も言うようだけど、れっきとした大学生ですよー。背が小さいから歳より若く見られちゃうんだよねーあはは!」
「ああ、それもありますけど、なまえさんの場合は身長だけじゃなくて童顔だからじゃないですか?言動も子どもっぽいし。ほら、今日のバイト中だって、接客中の敬語がなってないって店長に言われちゃったじゃないですかーあはは!」
「あはは、そうなんだよねー!つい『少々お待ちください』が『ちょっと待っててくださーい』になっちゃうんだよねー!って、うるさいなぁ何ちゃっかり目撃してるのよ仕事しろばか!」
「わっ、そういうの何て言うか知ってます?逆ギレって言うんですよー?」
「知ってるよ!どうせ逆ギレだもん!わたしがいけませんでしたすみませんでしたー!」

大人だと自分を褒めていたさっきのくだり、なかったことにしてください。
ああもう、いらいらする。どうしてこんな生意気な後輩とバイト上がりの時間が被っちゃったんだろう。おまけに帰りの方向も同じときたもんだ。店長のばか、ラストまで入れてくださいって言ったのに、何で時間削られちゃったかなぁ。

電車のつり革にも背伸びをしないと手が届かない自分と、かたや余裕でつり革に掴まってわたしを見下ろす生意気高校生。なんか、惨めな気持ちになってくる。
だけど、身長のことなんて今更問題ではない。いや、コンプレックスではあるけど。

「アレンくんは高校生なのにしっかりしてるよね。接客も丁寧だし、厨房入れば立派な戦力になるし」
「何ですか急に下手に出て。気持ち悪いなぁ、何でそんなに気持ち悪いんだよ」
「さっきまでの敬語はどこへやった!」
「あ、すみません鞄の中に入ってました」
危ない危ない、とアレンは鞄からエアーで『敬語』を取り出した。何そのコント。どうやって突っ込んだらいいのかな。
「話戻しますけど、さっきから何落ち込んでるんですか、なまえさんらしくないですよ」
「わたしらしさって、何なんだろう」
「いい歳してアイデンティティに疑問を持たないでくださいよ」
「だってなんか、分かんなくて」


アレンくんがうちのバイト先にやってきたのは3か月前。彼の指導係を任されたわたしは、初めてのバイトの後輩にうきうきしながら「分からないことがあったら何でも聞いてね」と言った。するとどうだろう、まず彼の第一声。
「わ、ちっちゃいなぁ」
そして記念すべき質問一発目は、
「どうしてそんなに小さいんですか?」
もちろんわたしに向けられた質問である。バイト初日からそんなんだったから、わたしは彼を即座に『危険人物』としてインプットした。
さらに憎むべきは、彼の仕事の早さと丁寧さ。教えたことはスポンジのように吸収し、みるみるうちに自分のスキルにしてしまう。高校生という若さだけでなく、彼自身の器用さと要領の良さがそれを助けているのだろう。あっという間に店の戦力となった彼に、わたしは合わせる顔がなくなった。彼よりも長く勤めているのに、できないことだらけの自分、失敗ばかりの自分。

「わたし、バイト続けられるかなぁ…」
ぽそ、と思わず弱音が口からこぼれた。はっとして口を押さえるも、既に彼の耳に吸収されてしまったようだ。
「バイト、辞めるんですか?」
「…分かんない。でも、ちょっと今自信喪失中」
ばかだなぁ、わたし。こんなこと彼に話したところで、どうにかなるものでもないのに。どんどん沈んでいく気持ちに、どんよりという表現がぴったりなほど、青紫色のオーラを纏ってしまう。相当落ち込んでいるみたいだ。


がたん、がたん、
規則的に音を立てて走る電車。まだこの時間帯は人が多くて座れない。わたし達はドア付近でひたすら立ち続けた。
何だかアレンくんと顔を合わせられなくて、自分が握る手すりにひたすら視線を送った。アレンくんは相変わらずわたしを見下ろすかたちで手すりに掴まり、視線を逸らさなかった。

がた、たんっ、
一瞬、ざわついた車内。
急カーブにさしかかり、絶妙なバランスを保っていた人混みが形状を崩した。その被害がアレンくんの背中にぐわり、とのしかかった。「もっと詰めろよ」というサラリーマンの無言の圧力を察した彼は、手すりに掴まるわたしの手のすぐ上を掴んで、ぐぐ、とわたしとの距離を縮めた。急に縮まったことに一瞬身を引いたけれど、生憎わたしの背後はドアが占拠していて詰められない。
「な、なんか…混んでる、ね」
咄嗟にそう声をかけるものの、アレンくんは「ん、」と小さく声を出しただけだった。その小さな声だけでも、自分のすぐ上の辺から聞こえてきたことで、わたしは予想以上に近づいてしまったこの距離を恨んだ。気づけば、アレンくんの右手はわたしの背後のドアに置かれていて、パーソナルスペースも何もあったもんじゃない、こんなの、抱きしめられているという錯覚を起こしかねないほど、近距離だ。


「もっと、教えてくださいよ」
「…え、」
ふいに、小さく聞こえてきた声。
「『分からないことがあったら何でも聞いて』って言ったのは、なまえさんでしょう?」
覚えて、たんだ。
「…まだ、聞きたいことが山ほどあるんですから」
「…嘘だ。あれだけ仕事ができてまだわたしに聞きたいことがあるというのですか」
今となっては、いかに下手くそに仕事をこなすことができるか、ということしか教えてあげられないよ。

なのに、何であなたがそんなに泣きそうな表情をしているの。



次はー、○○です、お乗換えのお客様は……


「…あ、次、降りなきゃ、」
アレンくんが独り言のように呟いた。そっか、この駅だったんだ。意外とうちの大学とご近所さんなのかも。なんてどうでもいいことをだらだら考えた。
「じゃあね、お疲れさま」
「何言ってるんですか、なまえさんも一緒に降りるんですよ」
「…へ?」
しれっと言ってくれたけど、ちょっと待って、意味が分からない。
「何言って、って…わたしまだ降りないよ」
「この馬鹿が」
「ば!?」
聞き捨てならない暴言を吐いた瞬間、タイミングよく開いたドア。そのまま手すりを握っていた手をぐいっ、と彼に掴まれ、お構いなしに車外へと引き摺り出された。…え、えぇ?え?頭上にあるクエスチョンマークが消えない。あれよあれよという間に、無情にも閉まったドア。
「…あのー、どういうことですか」
「まだ話は終わってないでしょう?」
「は?まさかそのためにわざわざわたしまで降ろしたの?」
信じられない、そんなのまた今度会ったときにでも話せばいいのに。
「だって、今日を逃したら、次いつなまえさんとシフト合うか分かんないし」
今、伝えたかったんです。
そう言って、いつになく真剣な表情を見せたアレンくん。時々、「本当にこの子は高校生なのか」と思わせるほど、神妙な顔つきをするなぁと思う。
「…で?何を伝えたいの?」
催促するように彼を見上げると、「……何ですかその上目遣い、誘ってるんですか?」と、ニヒルに笑みを浮かべたアレンくん。
「…帰ろうかな」
「次の電車は20分後だそうですよ」
「……じらすなぁ」
「僕にとっては好都合です」
にこ、と微笑んだアレンくんに、わたしはもうどうにでもなれ、と半ば自棄になったようにベンチに腰を下ろした。当然のように隣に座るアレンくん。

「……バイトは、辞めないよ、失敗ばっかりだけど、あのお店好きだもん」
だからもう、大丈夫だよ。
「心配、してくれたんでしょ?後輩にまで心配かけさせるようじゃわたしもだめですねー」
「別に心配なんかしてないですよ、自意識過剰も甚だしいですね」
「…そーですか、それはすみませんでした」
なんかアレンくんの前では更にだめだめだなぁわたし。
「…でも、安心はしました。辞めないって聞いて」
「そ?寂しかった?」
「いや、僕があまりに敏腕過ぎるのが辞める原因になったら無駄に責任感じちゃうから嫌だなぁと思って」
「どこまでも性格悪いよねアレンくんて。なんか清々しくなってくるよね」
「そんな後輩に育てたのはどこの先輩でしょうね」
「わたしのせいにしないでよ!」
失礼な発言を連発する彼は、もはやわたしを先輩だとは思っていないだろう。
もう、いいや、それがアレンくんなんだ。

「…ね、なまえさん」
「はいはいなんでしょうかアレンくん」
「僕がなまえさんに聞きたいことって、仕事のことじゃないですよ」
はい?と、続きを催促すると、

ふ、と、耳元に、柔らかな感触。ホワイトソーダみたいな色の、さらさらの髪が、頬に当たってくすぐったい。

「ちょ、耳…」
何するのこのへんたい!離れろ!ぐぐぐ、と肩を押しても、びくともしないアレンくんの身体。高校生とは言え、やっぱり力では敵わないようだ。
「僕が聞きたいのはね、」




なまえさんのことを、もっと教えてほしいってことだよ。





ちゅ、と小さく音を立てて耳元から離れた顔。

「伝わりました?」
「……ませがき。」
「うるさい茹でダコ。」
にっこりと胡散臭い笑顔を貼り付けた彼に、きっとこの先も敵わないんだろうなぁ、と感じた。
まぁいいか。こんな後輩も悪くないのかも。
そう思ったわたしは、相当彼に毒されてしまったようだ。





慰め下手な後輩くんへ。
仕方ないから、もう少しそばにいてあげるね。

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