dgmこびん | ナノ

「あれ、まだ寝てなかったの?」
寝室のドアを静かに開けると、とっくに寝室に入っていったはずの彼女は、ベッドに入ってはいるものの、電気をつけたまま身体を起こしていた。
「何だか、寝るのが怖くて…」
苦笑いを浮かべながらも、暗い声色で答えたなまえ。
今朝までは同じ寝室で、同じベッドで寝ていた僕達だけど、さすがにこの状況ではそうもいかないので、彼女が寝室を使い、僕はしばらくリビングのソファで眠ることにした。
「…怖い?」
「寝て起きて、明日の朝にまた知らないことが増えてたりしたら、って思うと…」
「…大丈夫、もしまた忘れても、僕がまた教えてあげるから」
彼女の不安を誰よりも近くで分かってあげられるのは僕だ。僕が支えてあげないと、彼女の零れ落ちた記憶は誰にも気づかれないままだ。
「……」
僕の返答では腑に落ちなかったのか、彼女はその首を縦には振らなかった。おそらく僕に気を遣っているのだろう。どこまでも律儀だ。
「じゃあ、今日覚えたことを忘れないように、メモにして残しておこう」
それならなまえが自分でできるし、僕に気を遣う必要もないでしょう?
そう言って家にあったメモ帳とペンを渡すと、彼女は少し考えた後、ペンのキャップをあけてメモを取り始めた。
「今日覚えたこと、書ける?」
君の彼氏はアレン・ウォーカー。この家は2人で住んでいる家。僕の言葉を聞いて、ゆっくりと文字にして記すなまえ。
「朝起きてすぐ見られるよう、このメモは枕元に置いておこう」
枕元のスタンドライトの下にメモ帳を置き、僕はパチンと電気を消した。
「さ、もう寝よう。明日またゆっくり話そう」
「…はい、ありがとうございます」

明日は日曜日だ。彼女のストレスが少しでも軽くなるように、どこかに出掛けてみよう。












いつもより早く目が覚めた。顔を洗って歯を磨き、朝食にはなまえの好きな甘さ控えめの卵焼きと、野菜たっぷりの味噌汁を作る。
不謹慎と分かっていながらも、実は少しはりきっている。普段はあまり僕を頼らない甘え下手な彼女だから、どういうかたちであれ、僕を頼ってくれることが嬉しいのだ。
(…我ながら、単純というか、ひねくれてるというか…)
だってよく考えなくたって、今の状況は僕にとってある意味試練だ。今の彼女は、まだ僕を好きになる前の彼女だ。付き合い始めたあの時だって、僕からアプローチし続けてようやく実った恋だったのだ。この危機的状況で、果たしてなまえは再び僕のことを好きになってくれるだろうか。…なんか、ひたすらに自信がなくなってきた。先程までトントントンとリズミカルに野菜を切っていた音が、気持ちの沈みと比例してテンポダウンしていく。…今は考え過ぎないでおこう、ご飯が不味くなる気がする。
ちょうど卵焼きが完成する頃、リビングのドアがそっと開いた。
「おはようなまえ、よく眠れた?」
卵焼きをお皿に盛りつけて、なまえに声をかける。僕の声に一瞬はっと動きを止めた彼女は、僕の姿をとらえると、
「…おはようございます、アレンさん」
と、少し気恥ずかしそうに言った。

「…覚えてるね、ちゃんと」
嬉しい。心から嬉しいと思った。本当は今すぐ抱きしめたいくらいだけど、ぐっとこらえて、両手でぎゅ、と拳を作った。ああ、頬が緩む。
「…あの、アレンさん…?」
「は、すみません、噛み締めてました!ごはん食べましょう!」
「?」
今はこのままでも、僕は十分幸せなようだ。


2人で朝食を摂りながら、僕はこれからのことについて彼女に相談した。
「ねぇなまえ、明日から仕事どうするの?」
僕の作った卵焼きを小さな口でかじるなまえにそう問えば、彼女はぽかん、とその動きを一瞬止めた。
「…普通に、行こうと思ってますけど…今は、ここから通うとちょっと遠いけど、通えない距離ではないし…」
「…『今は』って?」
上手く消化できない言葉を拾った僕は、再度なまえに投げかけた。なまえは、口の中の卵焼きを飲み込んでから、言葉を選ぶようにして話しだした。
「…あの、いくら付き合ってて、ここに一緒に住んでたからって、今の状況でいつまでも甘えるわけにはいかいかなって……だから一回、実家に帰ろうかなって思ってて…」

「だめだよ、そんなの!」

がたんっ、と、立ち上がったはずみでテーブルの牛乳が倒れる。なまえが驚いてびくんっ、と肩を揺らす。
「…あ、ご、ごめんっ、牛乳が服にかかっちゃったね」
手近にあった布巾を手に取り、反射的になまえの服を慌てて拭く。
「っ、あ、あのっ大丈夫です、じ、自分でできます…っ」
「早く拭かないと、染みになっちゃう…」
早く、拭かなきゃ。そう思って動かす僕の右手は、震えている。
なまえが、この家を、出る?
そんなの、だめだ、絶対に。
これ以上、僕から離れていくなんて、嫌だ。

ぼと、と床に布巾が落ちる。
僕はいつの間にか、ぎゅうぅ、と、なまえの身体を抱きしめていた。僕の腕の中で、なまえが懸命に身じろぐのが分かる。それでも僕は、この小さな身体をもう二度と離してはいけない気がした。
「…お願いなまえ、もう二度と、僕から離れていかないって約束して」
「っ、はな、して…っ」
「なまえ、聞いて、君は僕と一緒にいないと…また記憶をなくしたらどうするの…っ?」
なまえお願い、落ち着いて、大丈夫だから。宥めるように、彼女の背中をトントンと小さく叩いた。ずっと抵抗していたなまえも、ようやく落ち着きを取り戻し、大人しく僕の腕におさまった。彼女の柔らかな匂いを感じたのが、もう随分久しぶりであるかのように思えた。
「…アレン、さん、ごめんなさい、少し一人になって考えたい…」
勝手に出ていったりしないから、お願い。
何度もそう言う彼女に、僕は仕方なく腕の力を緩めて彼女を解放した。息を整え、彼女の足は寝室に向かった。ぱたん、と虚しく閉まるドアの音を聞きながら、僕はただその後ろ姿を何度も反芻していた。

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