dgmこびん | ナノ


…あれ、どこだろう、ここ。

「――――」

アレン、先生、あんな遠くに、いる。…あ、こっちに、来る。

「――――」

……え?今日クリスマスなの?嘘、まだマフラー完成してないよ。

「――――」

先生、待って、どこ行くの?待って、行かないで。





「せん、せぇ…っ」


…自分の声で、目が覚めた。徐々にはっきり映りだした視界に見えるのは、もう随分と見慣れた自分の部屋の天井だった。
「…あたま、いたい…」
ずきん、ずきん。心臓が脈打つたびに、頭に響く痛み。軋む手足。あれ、この感覚はまさか、あれか。

「あら、目が覚めた?」
「…おかーさん、わたし、どうやって帰ってきたの…?ていうかお母さん仕事は…」
「今日は3時まで。びっくりしたわよー学校から電話があって、あなた廊下で倒れてたって。もー熱があるなら無理しちゃだめじゃない」
「…あ、そーなんだ…それはごめん…」
「英語のアレン先生が見つけてくれたそうよ。今度ちゃんとお礼言っておきなさいね」
「…アレン、先生…」
「そう、あの若くてイケメンの。お母さん結構タイプなの」
「…何を言ってるのおかーさん…」
血は争えない。うきうきしながらわたしのお粥を準備する母に、まさかそのアレン先生と付き合ってますとは、言えない。

(…アレン先生、助けて、くれたんだ。)

ほわんとした不確かな心地良さに戸惑いながら、スプーンを口に運ぶ。お母さんの作ってくれたお粥は、ほんのりと卵の味がした。





Chocolate melts in a star





結局、わたしの熱はそれから2日下がらず、漸く登校出来た頃、カレンダーの日付は25日を指していた。
『…えー、明日から冬休みですが、高校生らしく節度を守って…』
校長先生の長い話を聞き流しながら、体育館の脇に立つアレン先生を見つけた。
…あ、寝癖発見。
(せっかく、誕生日なのに。何だか決まらないなぁ)
アレン先生の耳上でぴょこんと跳ねる髪を見て、思わずふ、と笑みがこぼれる。先生、そんな髪型してたらまた皆に「可愛い」ってからかわれちゃうよ。

…もうわたしは随分と、アレン先生のことでいっぱいだ。


あのね先生、わたし、単純なんだ。たった数日先生に会えないだけで、こんなに寂しくなっちゃうし、顔が見られただけで、こんなに心臓が高鳴るの。こんなに、泣きたくなっちゃうの。
どうしよう、どうしたらいいのかな。
訳もなく溢れそうになる涙を、ばれないように必死に堪えた。



終業式が終わり、友達と別れた。「帰らないの?」と尋ねてくる友達に「休んでた分の課題整理していく」なんて、白々しい嘘を吐いた。
誰もいなくなった教室に、一人、ぽつんと座ってみる。しんとした空気と、先程までの温かさを奪っていく冷気。まるで初めから誰もいなかったみたいに静寂だった。

別に、喧嘩をしたわけでも、会う約束をキャンセルされたわけでもない。数日ちゃんと顔を合わせて喋っていないのは、わたしが休んでいたせいだ。
あの時の先生が、わたしの中で更新されない。ただずっと、あの時の先生の様子が頭から離れなくて、思い出すたび、ずき、と胸のあたりが小さく痛みを主張する。
顔を逸らされた。冷たく声をかけられてしまった。
たったそれだけのこと。今までそんな先生は見たことがなかったから、少し驚いているだけ。
(アレン先生の会議が終わるのは、5時…)
時計を見ながら、小さく息を吐いた。わたしの心臓は違う意味を伴ってどくんと弾む。それは、どこかで小さな『可能性』を感じたから。




***

「…じゃ、お疲れ様でしたー」
年内総括の長い会議を終え、唸りながら背伸びをすると、ぐぅ、と鳴りだしたお腹。隣で聞いていた伊藤先生が「おっ!さすがアレン先生の腹、正直だなぁ!」なんて大声でからかう。それを苦笑いでかわしながら、僕はちら、と職員室の時計を見る。長引いた会議のせいで、時刻は5時半を回っていた。
…彼女は、もう帰ってしまっただろうか。
「……」
最後に彼女を見たのは、教室で友達を見送る姿。体調は、あれから大丈夫だろうか。また無理してないだろうか。彼女が人一倍頑張りやってことくらい、僕が一番よく知っている。反面、頑張り過ぎて無理してしまう性格なことも。
「一緒に過ごす」なんて言っておいて、
あんなに嬉しい顔をさせておいて、
たった『あれだけのこと』で、こんなにも余裕をなくしてしまうなんて。自分自身が一番驚いた。あんな態度を取っておいて、彼女が気にしないわけがない。
(…これじゃあどっちが年下だか、分からないや)
「アレン先生?どうしたー帰らないの?」
「…すみません、やり残したことがあったのすっかり忘れてました。少し残っていきます」

…ちゃんと話そう。例え彼女が待っていなくても、その時はその時でどうにかしよう。細かいことは後回しだ。

「戸締まりも一緒に確認していきます」
「おー、じゃああと頼むわ!お疲れ!」
今日が金曜日で良かった。クリスマスで良かった。そうでなければ、先生達も一刻も早く帰りたいだなんて思わなかったかもしれない。
先生達の背中を見送った後、僕はすぐに2階への階段をダッシュで駆け上がった。


ガラガラッ
「…っはぁ、はぁ…っ」
勢いよく開けた英語科研究室のドア。中は薄暗くて、人の出入りがなくなってもう何時間も経過したことを物語るひんやりとした空気だった。…やっぱり、いないかな。きょろきょろと周りを見渡してみる。ふと、彼女がいつも座るイスが目に入った。彼女の残像を浮かべ、それだけでぐわっと心臓を掴まれた気持ちになる。何だ、僕ってこんなに単純だったのか。
いつもの席に、ゆっくり腰を下ろした。そうだ、いつもこうして僕が座って、その傍らには、熱いカフェオレをちびちび飲む彼女がいて、僕はそれを猫舌とからかっては2人で笑って。

(…あれ?僕、マグカップしまい忘れてたっけ…)

机上の隅にちょこんと居座るマグカップを手に取り、くるりと回した。


( あ れ、これ…)


「…っ!」

ガタンッ

音を立てて動いた椅子を構う余裕もなく、僕は慌てて研究室を飛び出した。永遠に続くような錯覚を起こす廊下を駆け抜け、いくつもの教室を見送った先に、漸く辿り着いた教室。はやる心臓と整わない息を携えて、その教室のドアに手をかける。灯りがついていないのはもう分かっている。それでも、どうしても、彼女がここにいる気がしてならなかった。

ガラガラ…と静かに開かれたドアの向こうは、沈みきった夕焼けにも照らされることなく、ただひたすらに暗かった。薄ぼんやりと教卓が見え、その左側には、綺麗にいくつにも並んだ机と椅子。
窓側の席、前から4列目。
いつもの席に、彼女の姿があった。
ゆっくりと、その席の前に立つ。


会いたかった。会ってすぐに触れたかった。力いっぱい抱き締めたかった。
なのに、今こうして机に伏せる彼女を見て、僕はすぐに手を伸ばすことを躊躇った。安易に触れたら、壊れてしまうんじゃないか、って、怖くなった。もう何度も触れてきたはずなのに、なぜか今それができなかった。
「…風邪、引きますよ」
病み上がりなんだから。そう呟いて、僕はそこで漸く、彼女の髪にそっと触れた。するすると僕の手のひらが滑り落ちる。その滑り落ちた先に、グレーの布地があった。小さく畳まれたそれを広げ、彼女の後ろ首にするりと掛けた。その柔らかな感触に、僕は少しほっとして、彼女の前の席に腰掛けた。
…例えば、僕が彼女と同級生だったら、僕はそれでも、こうして彼女を見つめて、そして好きになっていただろうか。同じ制服を着て、同じ目線で授業を受けて、テスト勉強に嘆いて、回ってきたプリントを彼女に手渡して、落ちた消しゴムを拾って、教科書の落書きに笑って、…誰の目を気にすることなく、彼女に堂々と好きだと伝えられただろうか。

(…そんなこと、考えたって答えなんて分からないのに。)

あるはずのない今を、例えもしもの話だとしても、夢見て想像してしまった自分が、堪らなく滑稽に思えた。
今間違いなく言えるのは、僕がこの学校の教師で、彼女が生徒でなかったら、僕達は出会えなかったということ。
この広い地球で、そうでなければ彼女という存在すら知らないまま今日を生きていたかもしれない。それもまたひとつの人生なのだろうが、少なくとも今の僕にとってそれは望む人生ではなかった。
人はそれを、大袈裟だと笑うだろうか。


どう足掻いても、彼女は僕の生徒なのだ。
そして、僕は、……


「…こら!みょうじ!こんなところで寝たらまた風邪引きますよ!」

「…う、?」

小さな呻き声を上げて、ゆっくりと顔を起こした彼女は、数秒かけて僕の顔を認識し、途端、がばっと一気に上半身を起こした。その反動で、首に掛けてあったグレーのマフラーがはらりと前に垂れ下がった。
「なっ…せ、先生、何で…あれっ、わたし…?」
ひどく動揺する彼女は、申し訳ないが見ていてとても面白かった。実年齢よりも若干大人びて見える落ち着いた彼女にも、こんな高校生らしい一面があることに、僕は何だか嬉しくなって、思わず噴き出して笑った。
「ふっ、あははっ、びっくりしました?」
「び、びっくりも何も…え、あれっ、先生、会議は…」
「終わりましたよ。…お待たせしてすみませんでした」
待っていてくれて、ありがとう。
反射運動のように彼女の頭を撫でた時、僕はそこで、久しぶりに声を出して笑ったことに気付いた。
「…いつもの、アレン先生?」
彼女はまるで、親に怒られた後の小さな子どものように、僕の顔色をおずおずと伺う。その原因に心当たりがありまくる僕は、あるかどうかも分からない良心がずきんずきんと痛んだ。情けなさと申し訳なさで涙が出てきそうだ。
「…えと、その、す、すみませんでした…」
気持ちと比例するように、僕の姿勢はしゅるしゅると小さくなった。
「あの時、本当はあんな態度を取るつもりなんてなくって…」
顔を見れた、話ができた、それだけで十分嬉しいのに、
「…君が誰と話をしようと、誰に頭を撫でられようと、僕がそれに一喜一憂していちゃダメですよね」
そう情けなく笑えば、彼女は大きな目を更にまん丸くして見せた。
「……すごい」
恐らく、思ったことがそのまま口から出たのだろう。彼女の意外な言葉にびっくりした僕は、図らずもぽかんと口を開けてしまった。


「…アレン先生も、やきもちとか、妬くんですね」


そんな風に、目を輝かせて嬉しそうに言うものだから、僕はぽかんと動きを止めることしかできなかった。

「…や、やきもちとか、そういう、」
「え、違うんですか?」
くすくすと小さく笑いながら、彼女は答えを待つ。…だめだ、そんな顔で待たれたら。
「……や、違わない、です」
「ふふ、正直でよろしいです」
恐らく真っ赤になっているであろう僕の顔を見上げながら、彼女は尚も楽しそうに笑った。
「…でもね、先生、いっこだけ、間違ってます」
そう呟いて、彼女は自分の首にかかっていたマフラーを解いた。そして背伸びをして、それを僕の首にかけた。ふわりと、彼女の匂いがした。
「これは、先生にプレゼントしようと思って編んだマフラーですよ」
「え、」
「お誕生日、おめでとうございます、アレン先生」


…ああ、もう、この子は、なんて、


「思いがけず体調崩しちゃったから、実はさっきまで編んでてようやく完成したんですよ。あ、ケーキもね、作ったんです、保冷剤入れてこっそり持ってきちゃいました。ろうそくは火つけられないので吹くフリだ、けで……」




「大好きです、なまえ」



教師だろうと生徒だろうと、人から何を言われようと、これが僕の素直な気持ちだ。
大好き。
抱きしめたい。
愛おしい。
大切。
そのどれもが本当で、でもどれも僕の気持ちを100%表せない。もっと深くて、もっと濃いものな気がする。だから、ちゃんとなまえに伝わるように、何度も言おう。何度も抱きしめよう。
「好きです、大好きです」
「…せん、せい、苦しいよ…」
「ごめんなさい、でも、もう少しこうさせて」


とくん、とくん、

腕の中で小刻みに動く心音が、体温が、背中をぎゅっと掴む小さな手の感触が、くすぐったくて、愛おしくてたまらなかった。

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