dgmこびん | ナノ

『もみじ旅館』といえば、このあたりじゃかなり名の知れた老舗旅館だ。俺もガキん頃よく遊びに行ったが、素朴でどこか懐かしい雰囲気に、まるで我が家のような居心地の良さを感じたのをよく覚えている。
神田酒造ともみじ旅館は、その営業が始まった当初からの長い付き合いになる。もみじ旅館で扱う酒類は、昔から神田酒造のものと決まっているらしい。



「あ、ユウくんやー」
「…お前、また制服のまま手伝ってんのかよ、皺んなるぞ」
「せやかて、着替える暇なかったんやもん」

当然ながら、こいつとの付き合いもそれなりに長く深くなるわけで。
当時中学生だったなまえは、よく制服のまま旅館の仕事を手伝っていた。
「ユウくんそれ新しいお酒?」
「おー、ばあちゃんの漬けた梅酒を商品化したやつ。おばさんに感想聞いといて」
がしゃんと重いケースを下ろせば、なまえは抱えていた布団を置いて駆け寄ってきた。
「おばあちゃんの梅美味しいもんなぁ、きっと母さん喜ぶわー」
まだ酒の飲めない俺らがこんな話をしているのも変な光景だが、これが俺らにとっての日常だった。
こんな話、学校の奴らとはできない。俺となまえだけで成り立つ会話。そんな特別感がどこか嬉しくて、誇らしかった。

「あ、なまえストップ」
「へ?」
「睫毛に羽根ついてる」
「え、うそ、さっき布団とりこんでたからその羽毛かもー」
「取ってやるから目ぇ瞑っとけ」
「うん」

…ガキの頃から、ずっと一緒につるんできたなまえ。特別な感情を抱くようになったのはいつから、なんて、そんなの覚えてない。

伏せられた長い睫毛も
俺より頭一つ分小さい身長も
ほんのり赤みを帯びた頬も

ガキの頃から変わらないはず、なのに、まったく変わっていくようにも思えて、俺だけ取り残されていくような気がして、よく分からない焦りを覚えた。
「ねー、取れたー?」
「…待て、もうちょっと」
もうちょっと、この関係でいたい。そう思ってた。




…なのに。
俺が酒造を継ぐための本格的な修行に入って、なまえが大学に進学した頃。
ずっと保ってきたはずの関係が崩れる出来事が起こった。
「ユウくんユウくん聞いて!」
「あ?」
「ユウくんに朗報やで!今度うちに、住み込みのバイトさんが入るんやて!」
「ふーん」
「しかもな、大学生!ユウくんやわたしと同い年なんやって!ユウくんお友達少ないから、アレンくんと仲良うできるとええなぁ」
「うるせぇよほっとけ、………『アレンくん』?」
男かよ、しかもガイジンかよ。そんな奴が来たって俺らの関係は何も変わらないと、どこかで高をくくっていた。
「そう、アレン・ウォーカーくんいうてな、イギリス人やけど日本育ちやから英語はあんまり喋られへんねやってー。楽しみやんなぁユウくん」
誰が楽しみなもんか。俺は心の中で悪態をついた。





アレンという新人バイトは、俺の予想をはるかに超えてなまえに接近してきやがった。しかも友達どころか、俺との相性は最悪だった。奴の言動も存在そのものも、見事に俺のイラつきポイントをついてきやがる。
それだけじゃない、完全に奴はなまえを女として見ていた。あいつを見る目が、俺と同じだった。
俺は一発であのモヤシ野郎が嫌いになった。尤も、向こうも早い段階で同じ感情だったようだが(それは好都合だ)。

住み込み、だ?
ふざけんな
ただでさえ、なまえが大学に行ってから会える頻度がぐっと減ったっつうのに、てめぇみてぇなひょっこり出てきた新参者なんかに邪魔されてたまるかっつんだ。

あいつは、俺のモンだ。

どれだけあのモヤシがあいつとの時間を共有しようが、こちとら20年近くの付き合いなんだよ。付き合ってきた長さも付き合いの質も、何一つ敵わねぇよ。


なぁ、そうだろ?なまえ。

「大事に決まってんだろ」

当たり前じゃねぇか。こいつは家族と同等か、俺にとってはそれ以上の意味を持つ存在なんだよ。てめぇなんかが手ぇ出していいような奴じゃねぇんだよ馬鹿が。





「この間の告白の返事、聞きてぇんだけど」

『こっ…!?』
電話越しに、あからさまに動揺するなまえの姿が容易に見えた。受話器を落とさなかっただけまだマシか。
『…ユ、ユウくんや…あれは、こ、こくはくだったん…?』
「あ?決まってんだろ他になにがあるっつんだよ」
『え、や、だって、兄妹みたいなもんやし…そういうんと違うん…?』
…違ぇよ、全っ然違ぇ。俺ははぁぁー…と全身の空気を吐きだすようなため息を漏らした。
「疑うんなら、今もう一回言ってやるよ」
『え!い、いや、ええよそんな…!』
「ふっ、何の遠慮してんだよ」

…好きなんだよ、なまえが。

『っ…』
なまえの耳元に囁くように、俺はじっくりと溜めて、言った。案の定、なまえはガタガタッ、と受話器越しに動揺し、言葉をなくした(すげぇ面白ぇ)。
「おら、これでも俺が信用できねぇか?」
『…し、信用とか、そういうんやなくて…っ』
「いいからてめぇははいかイエスで答えればいいんだよ」
『…あ、あれ、ユウくん、それ選択肢になっとらんよ…』
「早くしろよ、じゅーう、きゅーう、」
『ええええ!!な、ちょっと、ユウくっ…』
「はーち、なーな、」
『ちょ、ほんまに待ってユウくんっ…い、今はまだっ…』
「ろーく、ごーお、よーん、」
子機のコードをくるくる指で弄びながら、俺は受話器越しにただただ混乱するなまえの声に耳を傾けていた。
早く、早く頷け。
早く俺のモンになれ。


3、2、1、



『もしもし、お電話代わりましたアレンです』


突如、耳に響いた、ムカつく男の声。
「…モヤシ?」
『アレンです。何やらなまえさんがひどく混乱しているようでしたので、とりあえず今横になってもらってます』
は?横に?居間だろそこ。
「…ふざけんな、なまえに代われ」
『君、今の話聞いてました?なまえさん今頭から湯気が見えるほど混乱中なので、横になってるんですってば』
「うるせぇよ、今そいつと話してんだよ、てめぇは引っ込んでろ」
『由緒正しき酒屋の息子さんなら、もっと日本語を正確に聞き取って処理してください。…まぁ、何を言ったのかは大方予想つきますが』
抜け駆けなんて、フェアじゃないでしょう?バ神田。

そう言い放ったあいつの口を、今すぐ、今すぐにぶん殴ってやりたかった。みしり、と受話器が唸った。
「…そう言うてめぇが一番危ねぇんだよ」
『へぇ、よく分かりましたね。さっき見事に君の電話に邪魔されましたよ。何か察知できる野生の力でも持ってるんですか?』
「…おい、あいつに何しようとした」
『あれ、見えてるわけじゃなかったんですね』
「見えねぇから聞いてんだよ。何した」
『まだ何もしてませんって』
「まだって何だ」
『少なくとも、僕はこれから行動に移そうと思ってますよ。ただでさえ君に先越されて腹が立ってるんですから』
「…なまえは、てめぇなんかに渡さねぇ」
『その言葉、そっくりそのままお返しします』
「ふざけんな、てめぇ…」
俺の怒りが沸点を超えそうなタイミングで、
『あ、なまえさん、もう起きて大丈夫ですか?』
受話器からやや遠いところで聞こえた、声。
『…すみません、少し考えたいそうなので、一旦切りますね』
「は?ふざけんな、いいから代わっ…」

ぶちっ

ツー、ツー、ツー…


「……あんの、くそモヤシ…っ」
ミシミシ、パキッ、
握っていた受話器から異質な音が響いていたことに、俺は気付かなかった。
それほどに、あのモヤシをぶっ殺したかった。





はらはらもみじ
(ぅおーい、誰だ受話器壊したの!ヒビ入ってんぞ!?)
(…知らね、親父がやったんじゃねぇの)
(こんな馬鹿力持ってんのおめぇぐらいだろ!)
(馬鹿言うな)





********

…うわぁ、アレンさんチャレンジャー!(笑)


- 26 -


[*prev] | [next#]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -