dgmこびん | ナノ


「せーんせっ!」と文字が飛び跳ねるように呼ばれるのは、実は存外嫌いではない。…ないのだが、オレはこの言葉が彼女の口から飛び出す日は、どれだけ待っても訪れないのでは、と思っている。
我が2年A組の規律をひっそりと整える、影の黒子的存在の彼女。
目立たず、騒がず、ただそれがわたしの仕事であると言うかのようにその業務を日々淡々と全うする彼女は…もうお気づきの通り、我がクラスの学級委員長である。
オレみたいにちゃらんぽらんな奴が担任してる時点でクラスの風紀は乱れに乱れてしまうのだろうと我ながら悲しい予測がつくのだが、その予測を裏切り、オレの生徒たちは成績優秀、加えて明るく素直で快活な生徒ばかりが揃う、実に模範的な優秀クラスへと成長していた。それはもちろんオレの人望や才能による結果ではあるのだが(コラそこ、鼻で笑わない。)、彼女の存在なしでは成し得なかった偉業であることを忘れてはならない、と思うのだ。


「ラビ先生、課題のプリント集めてきました」
「ん。お疲れー委員長」


この、くそ真面目でくそ可愛い学級委員長、みょうじなまえの存在を。





雫と睫毛





「ちょお待って、いいんちょー」
プリントをオレに手渡し、さっさと退室しようとする彼女をとっさに呼び止めた。
「…何ですか?」
「せっかく職員室まで来たんだから、コーヒーでも飲んでいくさ」
「結構です、コーヒー苦手なんで」
…あ、そうなんか、コーヒー苦手なんだ。何それめっちゃ可愛い。また一つ委員長の情報ゲット。
「じゃあ、何かお菓子でもやるさ。何が好き?」
「ラビ先生、『校内での生徒のおやつの持ち込み禁止』っていう規則忘れたんですか?」
「オレのおやつだからいいんですー。ほんっとお前はクソ真面目だねぇ」
まぁ、そこがまた可愛いんだけど。そう口には出せないが、思わずにんまりと変に鼻の下が伸びる。
「A組始まって3か月経つんだからさぁ、もっとこう、担任との親睦も深めようっつー気持ちはないわけ?」
「…十分生徒との親睦を深めていらっしゃるじゃないですか、先生は」
「そーじゃなくって、お前との親睦をもっと深めたいっつってんの。」

あ、やべ、この発言って下手したらセクハラか。…まぁいっか、こいつ以外誰も聞いてないし。

「学級委員長っつったら、クラスの代表だろ?だったら担任とクラスで一番近しい存在になってもらわねぇと」
「……」

うわー、めっちゃ悩んでる。めっちゃ難しい顔してる。こいつなりに正当性を探してるんだろうか。

「オレもまだまだ新任デショ?今年から初めて担任持つことになってさ、色々分からんことも多いんさ。完全下校までまだ時間あるだろ、色々と相談に乗ってよ、いいんちょー」
ね?と首を傾げて委員長の顔を覗きこんだ。案の定、まだ気難しい顔をする彼女に、オレはまたどうしようもなく構いたくなる。




真面目な言動ばかりが目立つため、最初こそ「あー、苦手なタイプだ」と思った。それこそ去年、彼女のクラスで副担任をしていたオレには、彼女は根っからのカタブツに思えて仕方がなかった。当時まだ高校に入学したばかりだった彼女だが、その優秀さは職員間でも噂になっていた。
真面目だが、決して周りに馴染めないようなタイプでもない。それなりに友人にも信頼されているようだし、親しい間柄では笑顔も見せているようだ。
部活は写真部。これまた幽霊部員ばかりで存続の危うい部活だが、真面目な彼女には妙にしっくりときた。



『…新聞部から、頼まれて…』

と、なぜか言葉少なに彼女がオレの元に訪れてきたのは、浮足立った入学シーズンが一段落した5月のことだった。彼女の言葉から推測するに、『今年新しく赴任してきた先生の特集を校内新聞で組むことになり、その先生の写真を写真部に依頼されたので、写真部員のわたしが仕方なく撮りに来ました。』といったところだろうと思った。

『キミも1年なのに大変さねぇ』
『…ほかに、都合のつく部員さんがいなかったので…』
使い古された一眼レフのカメラを、小さな手で抱えていた彼女。不覚にも可愛いと思ってしまったのは、この時からだ。
『写真、前から好きなの?』
『…動かないでください、今セッティングしてるので』
『あ、わり』
慣れない機材を手さぐり状態でセットしていく彼女。見ていて、なぜだかひどく心臓が高鳴る。
『…キミ、A組の子でしょ?みょうじなまえちゃん。』
『…そうです』
ぴぴぴ、かしゃ、
『オレ、A組副担任のラビ。新卒だからまだまだ若いんさ』
『…知ってます』
かしゃかしゃ、
フラッシュを光らせて、レンズがオレを捉えて音を鳴らす。
『好きな食べ物は焼き肉でー、誕生日は8月10日の夏生まれ』
『……あの、そういうのは新聞部の取材の時にお話ししてください』

そう遠慮がちに言う彼女。
じわりと芽生えた、ほんの少しの悪戯心。


『…もっと知ってよ、オレのこと。』

かたんっ、彼女が立てた機材が乾いた音で倒れた。オレは彼女の腕を引いて、気付いたらめっちゃ顔を近づけていた。

『お前のことも、もっと教えてよ。』

なぁ、その固い壁をぶっ壊したら、きっとすげぇモンが眠ってんだろ?見せてみろよ、お前の中身。


…なに、してんだ、オレ。こんなのがタイプだったんか?つーか、赴任して早々不祥事を起こす気か?正気になれよオレ、生徒に手ぇ出したって何のメリットもついてこねぇさ。ましてや、こんな“優等生”を絵に描いたようなガキに、


『……っ、』


何で
こんなガキが、こんな表情できんだよ。

『…っ、せん、せ…?』

畏怖、困惑、切望、色んな感情に支配されたような、表情。危険を察知した彼女の本能が、瞳を潤ませ眉を下げる。
艶のある髪に、化粧っ気のない、若くて綺麗な肌。

長い睫毛に捕えられた涙の雫。

若葉に滴る水滴を欲する昆虫の気持ちが、なぜか分かるような気がした。


『…わり、泣かせるつもりじゃなかったんさ』
ぱっ、と彼女の腕を手放した。
『…大丈夫、です、少し驚いただけ、なので…』
オレと決して目を合わさず、倒れた機材を抱えて逃げるように退室する彼女の背中を、オレはただ黙って見つめていた。








……あの訳の分からない妙な出来事から約1年間、オレはそれ以降彼女に近づかないよう距離を置き、副担任として新任としての体裁を保ちながら、努めて大人しく過ごした。そして彼女も、まるで何事もなかったかのようにほとんどオレと接触することもなかった。


ただ、オレはこのまま『何事もなかった』ことにするつもりは毛頭なかった。あの時芽生えた悪戯心は、見えないところでむくむくと増していた。

この学校に赴任して1年。それなりに安定した地位と信頼を得た今なら、多少の『お遊び』であればバレずにできる気がする。

好きだとか、そんなんじゃない。単にこのくそ真面目な優等生の固い皮を剥がしてみたいだけ。1年前のように、見たことのないカオを暴いて、泣かせてみたいだけ。


…そろそろ、動いてもいい頃かな。
「ラビ先生、聞いてますか?」
「んあ、わりぃ、何だっけ」
「だから、今完下のチャイム鳴ったので帰ります」
オレの呟きを聞き逃した彼女は、いつものようにあっさりと俺に一礼して職員室を出ていった。

「…また明日ね、なまえチャン」

頬杖をついて、彼女の後ろ姿にひらひらと手を振った。

今年は楽しいクラスになりそうだ。







******

何だか、けいは高校をいかがわしい舞台に仕立て上げようと奮闘しすぎですね。
真面目な職種の癖にチャラいラビさんを書きたくて。そして彼は遊びだと思っていた自分の感情が、実は結構本気だったということに後々気付けばいい。



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