dgmこびん | ナノ

春分を過ぎた言うても、春の陽気もまだ遠い気候。身を縮こませながら、ガタガタと引戸を動かす。外はまだ息が白く、鳥も囀らない朝の4時。

旅館の朝は、早い。

「ぅあ、さっぶいなぁ…」
わたしは着ていた羽織を正して、まだ薄暗い空を見上げた。そして計らずも、口角がほんの少しだけ上がる。


「…あ、おはようございます」

少しだけかすれた、男の子の声が玄関に小さく響いた。わたしは後ろを振り向いて、彼に挨拶を返す。
「おはようアレンくん、もう起きてはったんやね」
「おかげさまで、ここに来てから早起きが板についてきたような気がします」
アレンくんはそう笑って、まだ寝癖の残る髪をくしゃっと掻いた。人当たりの良い、ふんわりとした笑顔。
「せやんなぁ、厨房もそろそろ動き始める頃やし、その前に顔洗ってその寝癖も直しとった方がええよ」
「えっ!?あっ、ほんとだ!」
ぱたぱたと洗面所へ駆けていく彼の後ろ姿に、わたしは思わずくすくすと小さく笑ってしまった。
「ほんま、かあいらしいひとやなぁ」
握った竹箒も、思わず軽快に動いた。




うちは関西で小さな旅館を営んでいる。老舗といえばそれなりに老舗の『もみじ旅館』。滑りの悪い引戸や風でガタガタと鳴る曇りガラスの窓、ぎしりと時折音を立てる階段。年季の入った建物は、レトロな雰囲気を好むお客さんには好評のようだ。シーズン期にはそれなりに繁盛するこの旅館に、わたしは大学の休みを利用して毎回お手伝いに来ている。(普段は大学の方で一人暮らししとるんやけども。)


「なまえさん、椿のお部屋の掃除終わりました」
「ありがとー、したら梅のお部屋のお布団干しといて」
「はーい」

ここに、今月から住み込みでバイトに来ているのが、大学生のアレンくん。彼もこの春休みを利用してこの旅館を手伝ってくれている。


「アレンくんはほんまよう働くねぇ、はいお疲れさま」
朝食の洗い物を済ませたアレンくんにお茶を淹れると、彼は「ありがとうございます」とそれを受けとってイスに腰掛ける。
「せっかく春休みなんやし、もっと遊びに行ったらええのに」
「それは、なまえさんも一緒じゃないですか」
「わたしはここが実家やし、里帰りも兼ねとるからね」
「でも、ここは落ち着きます。僕まで里帰りしてきた気分になりますよ」
「えー、アレンくんの実家はイギリス王宮とかやろ?」
「ちょ、王宮って何ですか」
わたしの発言に、彼はくすくすと楽しそうに笑った。
「ごめんね安直なイメージで」
「ほんとですよ、どこの貴族ですか僕は」
おかしいなぁ、なまえさんは。アレンくんはそう言って目に涙を浮かべてひぃひぃと笑う。

「…おーい、そこのいちゃついとるバカップル」
「わっ!?」
「あ、女将さん」
「びっくりした…!いきなり背後でしゃべらんといてよもー!」
「せやかて、邪魔したらあかん思てー」
女将(言うてもわたしの母やけど)は、にまにました顔で身体をくねらせる。ほんま、黙っとったら着物がよう似合う別嬪さんやのに、残念。
「あれ、その紙袋どうしたんですか?」
「ああそうや、ちょっとお二人におつかい頼も思ってん。3丁目の神田酒造さんち分かるやろ?あそこにこないだ美味しい麹もろてん、それで麹味噌作ったさかい、お裾分けでちょっと持っていってほしいんや」
「『神田酒造』…!」
神田酒造という名前を聞いて、アレンくんが一気に表情を歪ませる。ああ、確かあそこの息子さんと仲悪いんよねアレンくん。
「ええよ母さん、わたしが持っていくわ」
「せやけど、結構重いで?」
「平気、すぐそこやしわたし一人でも行「分かりました、行きます」
わたし一人で行こう思っとったのに、アレンくんがまるで意を決したように紙袋を持ち上げだした。
「ほんま助かるわー、ほんなら二人でよろしくなぁ」




***

「…ええの?ユウくん苦手なんやろ?」
石畳の道を、大きな紙袋を抱えて歩く。隣を歩くアレンくん(わたしの分も余計に持ってくれる。ほんま紳士や…)に、恐る恐る話しかけた。
「苦手じゃないです、ただ気に入らないだけです」
「あんま変わらんやろそれ…」
ユウくんとアレンくんの間に一体何があったのか、わたしはよう知らない。何度か聞こうと思ったけど、そのたびにアレンくんが不機嫌になるから聞くのをやめた。
「それに、この量をなまえさん一人で持たせるのは、僕が嫌です」
「…それは、ありがとう…」
な、なんや照れる…!わたしはほんのり赤くなった顔を、こっそり背けて隠した。
「あれ、もしかして照れました?」
「〜〜ばか!」
「あはは」

…時々、アレンくんは、ずるいと思う。普段は優しいのに、こうやって時々わたしをからかう。こういう時どうやり過ごしたらええか、わたしはよう分からへん。からかわれてますます赤くなってしもた顔を、紙袋に埋めた。

「…なまえさんて、すぐ顔赤くなりますね」
「もー、言わんといてよ…!」
「あはは、すみません」
ぽんぽん。優しい感触を頭で感じて思わず隣を見上げる。アレンくんがほんまに優しい顔で、わたしの頭を撫でる。心臓が、きゅうぅぅ、ってなる。
「女将さんから聞きました。『もみじ旅館』っていう名前は、創業時の娘さんがすぐに顔がもみじみたいに赤くなる人で、そこから付けられたそうですね」
「…うん」
「なまえさんも、『小さい時から立派なもみじだった』って」
「…母さんてば…!」
ほんま余計なことを…!


「…ほんとだ、たしかに、もみじみたいだ」

ふわり。
頬を掠めた、長い指。他の誰でもない、アレンくんの指。

「…かわいいですね、もみじ色」

「っ、」
言葉が、出ない。

せやけど、
目も、離せない。


「……なまえ、さん、」






ガラガラガラッ、

 どんっ




「…あ?何してんだ、お前ら」

「なっ、なんもあらへんよユウくん!おつかいに来ただけやで!」
「…隣でぶっ倒れてんのは、モヤシか?」
「えっ!?ああっ!アアアアレンくんっ!?ご、ごめん大丈夫!?」
「…遊びに来たんかお前らは」
「せ、せやないよ、お味噌届けにきたんや!」
「(味噌…)…まぁ、入れ」



いろはにもみじ
(もみじとあかぼし、にたものどうし)






************

続くかもしれないし、続かないかもしれない。
関西弁も旅館の知識もでたらめですごめんなさい。


- 23 -


[*prev] | [next#]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -