シーソー | ナノ



聞いてない。そうぼやけば、彼は「あれ、言ってなかったっけ?」と何とも白々しく答えてみせた。その横顔がどこか楽しそうで、わたしは半ば呆れて両肩を落とした。まったく、長い付き合いとは言え、この幼馴染みの考えていることは時々訳が分からない。
受験票や参考書を詰め込んだ鞄を抱え、朝の電車に揺られるついでに、隣に座る彼の足を軽く蹴ってみた。
「いった、右足折れたかも」
「あら大変、センター試験どころじゃないわね」
「随分と余裕ですね、昨日まで微分積分なんて滅べばいいって泣き喚いてたくせに」
「うるさい話しかけないで、数式忘れそう」
「なーがるるかーわのー」
「ちょっと、耳元で校歌うたわないで!」



 ♪シーソー 18



アレンが受験大学をS大にしたと聞いたのは、センター試験当日の朝だった。先生方は我が校から東大生が出ると大いに喜んでいただけに、そのショックは計り知れない。
「…まさかと思うけど、わたしが絡んでるからとかじゃないよね」
「わー、出た、自意識過剰。僕がこんな馬鹿でちんちくりんな幼馴染みのためにわざわざランクを下げるわけないでしょう」
「もうちょっと言い方に配慮しようよ馬鹿アレン」
なら、あの言葉の真意は何だったのだ。


『離れないよ』

『なまえには、僕が必要でしょ?』


口が悪くても、何だかんだ優しいのは知っている。そんなアレンだから、あの日、泣いているわたしを慰めようとしてくれたのも分かる。抱きしめられるのだって随分小さい時以来だけど、別にそこに特別な意味があるとは思わない。

けど、ここ最近の彼は、何だか今までと違う、気がする。
いや、違っているのは、わたしだ。


アレンに拒まれることを、こんなにも怖がる自分がいる。
「自分勝手でいいんだ」と、抱きしめてくれたアレンに、胸が熱くなった自分がいる。

アレンがS大を選んだことを、こんなにも喜んでいる自分がいる。


(…自分の気持ちを自覚するって、こんなに苦しいことなんだなぁ)
苦しい、だけど、どこか清々しくもあって、視界が眩しく見える。
自覚したところで、所詮わたしとアレンは『幼馴染み』であって、今もその関係性は変わらないのだけど。
(でも、両角くんと約束しちゃったしなぁ…)
受験が終わったら、アレンにこの形容し難い気持ちを伝えなきゃいけない。それは即ち、『幼馴染み』の殻を破くこと。温室みたいに平穏で安全なこの関係性から抜け出すこと。
そこで、わたしははた、と気付く。

幼馴染みの殻を破って、わたしはアレンに何を望むんだろう。

別に、何を望むわけでもないのだ。ただ今まで通り、傍にいて、一緒に話をして、くだらないことで笑っていたい。

(……なら別に、今まで通りでいいってこと…?)
何、何なの、よく分からない。じゃあどうしたいの。

「うーん……?」
「ねぇ、さっきから何してんの」
「いや、自分との対話…?」
「頭大丈夫?」
本気で引いているアレンの表情を見て、わたしは漸く我に返った。
「見事な百面相だったよ」
「…そ、それはどうも」
「ごめん、別に褒めてないんだけど」
そう苦笑するアレンに、ただ何となく、ああこの人最近よく笑うようになったなぁなんて、どうでもいいことを考えた。

センター試験も終わり、来月から自由登校になる。この教室とももうすぐお別れなのだと思うと、何だか妙に感慨深い。こうやってアレンや皆と放課後ここで過ごすことも、今となっては貴重な時間だと思った。
「おまたせー」
「あ、おかえりリナリー。ラビと神田は?」
「ラビは進学先の資料提出で、神田はまだ先生に捕まってる」
「神田、センターギリギリだったもんね…」
「なまえは?自己採点どうだったの?」
「ふふふ」
「変な反応しないでさっさとリナリーに見せてあげなよ」
「あのね、すごい頑張ったと思うの」
奇跡って起こるものだなと思った。文系教科は言わずもがな、あれだけぼろくそだった数学が飛躍的な成長を遂げていた。
「アレンくんの指導の賜物ね。頑張ったもんね」
リナリーに頭を撫でられながら、合格安全圏の得点を取れたことに安堵した。
「小学生からやり直させたいと何度も思いました」
「そ、その節は本当にお世話になりました…」
アレンにぺこりと頭を下げれば、「お礼はハーゲンのファミリーパックでいいですよ」とにっこり笑顔が返ってきた。
「来月のお小遣い日まで待ってください」
「駄目です、今月限定のフォンダンショコラ味が入ってるやつがいい」
「ぬあ…!」
「なまえにも半分あげるから」
「えっ、フォンダンショコラ!?」
「ううん、ラムレーズン」
「それわたし苦手なやつ…!」
無慈悲な彼を睨めば、アレンはいつもの涼しい顔で「うん、知ってる」と綺麗に微笑んだ。悪魔だ。

「…何か、雰囲気変わったわね」
ぽつりと呟くように聞こえたのは、リナリーの声。振り向けば、何故だか妙に嬉しそうな
彼女の顔。
「リナリー?」
「アレンくんもなまえも、今まで通り仲良しなんだけど、でも何だか、ちょっと変わった」
「別に仲良くないですけど…」
アレンのコメントにうんうんと同調するも、やっぱりリナリーはどこか嬉しそうだ。
「良かったわね、なまえ」
…あの、リナリーさん、そういう意味深な発言やめてください。






***

1月最後の登校日。
お昼休みの廊下をとぼとぼ歩きながら、尚も私の頭はぐるぐると答えを探していた。あれから散々考えてみたけど、やっぱりわたしはアレンに望むことなんてそんなに見つからなかった。今まで通りでいい、でも、今まで通りじゃ何かが違う。ずっとその堂々巡りだった。
(自分のことなのに何でこんなにもやもやするんだろう)
受験勉強で酷使しすぎた自分の頭を何となく撫でて労わってみたところで、当然ながら何の解決にもならなかった。少しは頭良くなったつもりでいたのに、ちっとも答えが浮かばないや。…さっさとお茶買いに行こう。きっと皆屋上でお腹空かせて待ってる。


「…アレンくん、あの、ちょっといいかな」

自販機に向かって足を速めた直後、よく知る名前を呼ぶ声が聞こえた。前方5メートル先には目的の自販機、そしてその手前には、先程の声の主と思われる女の子と、今わたしの悩みの大半を占める幼馴染みの姿。
タイミングが悪かった。「いいですけど」とアレンの声が聞こえて、咄嗟にすぐ近くの掃除用具入れの陰に隠れた。
嫌な、予感しか、しなかった。

「アレンくんが、好きなの。付き合ってください」

…ああ、そうだ、時々忘れちゃうけど、彼はこの学校じゃ王子様的存在だったなぁ。こういう光景だってもちろん一度や二度じゃないし、寧ろ多すぎて数えていないくらいだ。
(ここのところ学校全体が受験モードだったから、久しぶりかも)
アレンが彼女の告白を断ることは、何となく分かっていた。何故なら彼は人生の中で受けた星の数ほどの告白を一度たりとも受け取ったことがなかったからだ。女の子からすれば非常に残念だが、彼にとってああいう行為はさほど心を揺さぶるものではないらしい。

「急にごめんね…このまま何も言わないで卒業して、離れちゃったら、後悔しそうで…」

そう言う女の子の声は、既に涙声になっていた。

離れたら、後悔する

彼女は、アレンと、離れる





……わたし、は?

これから先、今まで通り、アレンと一緒にいられる?



(……アレン…?)

「………」

アレンは、何故かすぐに返事をせず、じっと考えているようだった。

(いつもなら、すぐに「すみません」って、言うのに)




『いつまでも怖がってたら、誰かにもってかれんぞ』


こんな時に、先日の両角くんの言葉が、頭をよぎるなんて。
どうしよう、ざわざわ、苦しい。

怖い。どうしよう。
アレンがもし、あの人を選んでしまったら。「いいですよ」なんて、笑って返してしまったら。
今までみたいに、一緒にいられなくなってしまったら。




『今まで通り』

それがごく自然で、当たり前で、何があってもわたし達は今まで通り、一緒。






  本当に?

 そんな確信、どこにもないのに。






「…ああ、そっかぁ」

小さく小さく呟いて、わたしは、情けなく笑った。


漸く、気付いた。


『今まで通り』が、何よりも難しいこと。

そして、
『今まで通り』では満足しない欲深な自分がいること。

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