シーソー | ナノ


「もうだめだ、算数からやり直さないとこれまずいわ…」
向かい側で机にうなだれ、死んだ魚のような目で今にも溶け出してしまいそうな幼馴染みの頭を、僕はぺしんと荒っぽく揺らしてみた。横からぽろっと何かの数式が零れ落ちた気がした。何かごめん。

「今までありがとうアレン…何だかんだ一緒に幼なじみやれて幸せだった…気がするよ…」
「気のせいじゃなく正真正銘の幸せ者だよ君は。今更そんな弱音吐かれてももう遅いからね、もう願書出したんでしょ」
「…違う、違うの…」
突っ伏したままぶつぶつと何かを呟く様は、見ていてとても気色悪い。なまえの受験勉強疲れは最早彼女のキャパをとうに超えてしまったようだ。
「何が違うの。昨日君が持ってた書類は何だったの」
「…っ、願書だよばかぁあぁ!」
「あん?」
「ばっ…ばかじゃないよばか!じゃなくて!ああもう…っ」
「(これは…相当追い詰められてるな…)」

我が幼馴染みとはいえ、人間は慣れないことで追い詰められるとこうも壊れてしまうのかと、僕は若干の驚きと恐怖を覚えた。



 ♪シーソー 17





夕日に照らされる彼女の俯いた顔をぼんやり見つめながら、僕はふと先日の出来事を思い出した。
あの日も、この場所で、こんなふうに夕日が教室をオレンジ色に染めていた。

『両角くんと、話してくる』

あの日そう言って、僕に先に帰るよう伝えてきたなまえ。僕は何も言わず、何となく、ぽすんと彼女の頭に手を乗せた。なまえはほんの一瞬驚いたあと、泣きそうに顔を歪ませた。そのまま昇降口へと歩き出した彼女の背中は、どこか小さく、幼い頃の彼女を見ているようだった。

帰る気にはなれなかった僕は、ふぅと小さく息を吐いて、そのまま自分の席へ腰を下ろした。


…どれくらい経っただろうか。
開いたままの赤本にはほとんど手をつけず、教室の生徒が減っていくのをぼんやりと感じていた。

すっかり静寂を纏った教室に、ゆっくりと入り込んだ空気。
その正体が彼女だと分かるまでに、ほんの数秒を要した。
「…おかえり」
ゆっくり振り向いて、声をかけた。彼女は僕を見つめたまま、ただいま、と消えそうな声で返した。
「…先帰っててって、言ったのに」
苦笑を浮かべて、なまえは僕の前の席へと足を進め、すとんと腰を下ろした。
「アレン赤本やってたの?どこまで進んだ?」
そう言って机上の赤本を覗き込んだ彼女の顔は、赤とオレンジ色が混じった光に照らされてよく見えなかった。
「…全然」
「え?」
「なまえが気になって、全然進まなかった」
「アレン…?」
…あ、今、きっと僕の方を見てる。そう視線を感じても、僕は自分の視線を赤本に落として交わらせることができなかった。
彼女の目を見ないまま、そっと、視界に入った細い指に触れてみた。彼女がほんの少し動揺を見せたのが分かった、けれど、逃げようとはしなかったことに安堵した。
「…話、ちゃんとできたの?」
静かにそう問えば、触れた指先が一瞬時間を止めた。僕はゆっくりと顔を上げ、漸く彼女に視線を移した。

彼女は、なまえは、
零すまいと耐えるかのように、両目を震わせていた。

「…っ、ねぇ、アレン…」

僕の指からそっと離れた彼女の手は、ぎゅう、と、僕のシャツの袖を握る。力のこもった指先が、震える。

「ひとが、誰かを好きになるのって、何でこんなにつらいんだろうね」

今、彼女は、何を想い、誰を案じて涙を流しているんだろう。

自分自身?
両角?

「…つらいことばかりじゃ、ないよ」

そうやって、自分や誰かのために、涙を流せる君だから、好きになれて良かったと思うんだ。

「つらくなんか、ない」

嬉しいんだ。
上手く言葉にできないけど
泣きたくなるくらいに、僕は嬉しい。

愛おしくて
愛おしくて

僕は彼女の腕を引いて、前のめりに傾く彼女の身体を抱き止めるみたいに、両手で包んだ。
隔てた机が煩わしくて、心の中で少し笑えた。

「帰ろうか」
「…アレン」
「ん?」
「…わたし、自分勝手だね」
「…いいんだよ、自分勝手で」
いいんだ、それで。
「…アレンは、そうやって、いつもわたしを甘やかすね」
「そうかな」
「このまま大学行って、アレンと離れたら、わたし何もできなくなっちゃうよ」
「…離れないよ」
ぽつりと呟いた僕の言葉に、なまえが一瞬、声をなくした。そのぽかんとした表情が面白くて、僕はまた少しだけ笑った。


離れないよ。だって、

「なまえには、僕が必要でしょ?」

ああ、少し違うかな。
本音を言えば、


"これから先もずっと、君を手離すつもりなんてこれっぽっちもないんだ。"


…なんて、今はまだ言えないけれど。



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