シーソー | ナノ


「…なんかお前、雰囲気が柔らかくなったな」
教科担任に提出物を出すために訪れた職員室で思いがけないコメントを受け取った。返答に困った僕は「…そう、ですか?」と曖昧に答えることしかできなかった。
「おー、胡散臭い笑顔がなくなった」
「…胡散臭いって…」
教師としてあるまじき発言に思わずげんなりしてみせるが、相手はただガハガハと大口開けて笑うだけだった。
「あーそうなんよ、こいつ最近なまえと何かいい感じになっ…あいたたたた!痛い痛い!爪!爪剥がれるさそれ!何その陰湿な嫌がらせ!」
隣でいけしゃあしゃあと喋りだしたラビの親指の爪を、僕はぐぐぐ、と押し上げた。はっ、ばーかばーか!タレ目!

「ははーん、何、ようやくくっついたわけねお前ら」
「………」

…どいつもこいつも、僕となまえの何を知ってるっていうんだ。

「先生、これ以上からかうようなら、先生がAKBの隠れファンだってこと皆にバラしますよ」
「もう何も申しません」




 ♪シーソー 15





なまえがS大の受験を決意してから数日が経った。もはや習慣となりつつある、なまえ対象の『数学講座』。夕暮れ時の教室にいるのは、僕となまえの2人だけ。…どうせ2人きりになるならどちらかの家でやればいい話なのだが、なまえ曰く、「家だと気合いが入らない」らしい。…なるほど、どうやら相当本腰を入れて勉強する気になっているようだ。僕としては正直家の方がリラックスしてやりやすいのだが。……や、別にそんな、やましい下心があるわけじゃなくて。本当に。

「…なんか、久しぶりだね」
向かい側でずっと問題集と睨めっこしていたはずのなまえが、突然ぽつりと呟いた。
「何が?」
「こうやってアレンに勉強教わるの」
なまえはそう言ってふにゃりと笑った。大嫌いな数学の時間なのに、彼女はいたく幸せそうに目を細めた。何が彼女をそうさせるのか僕はよく分からなくて、だけど妙に照れ臭くて、堪らず視線を問題集に向けた。
「…手ぇ、止まってるけど」
「えへ、ごめん」
なまえはふにゃふにゃの笑顔のままそう言って、再び問題集に目を戻した。…くそ、何か悔しい。何だその余裕の笑顔。



…あれ、そういえば、

「…ねぇ、今更だけど、部活の勉強会は、もういいの?」
「ああ、あれね、さすがにみんな焦ってきたみたいで、それぞれの勉強方法でやろうってことになって解散したよ」
みんなでわいわい言いながらやるのもわたしは好きだったんだけどねー。
そう言って少しだけ残念そうに微笑むなまえに、ずくり、ほんの少しの苦味。何だ、これ。

…と、僕が心の中でもやもやと戦っているなか、向かい側の彼女が突然ぴたりとペンを止めた。
「…なまえ?」
「……は、」
「は?」
「はっ…………くしゅっ!」

……ただのくしゃみだった。

「…ぅあー、」
「…そのおじさんみたいな余韻、いい加減直したら?はいティッシュ」
「う"ー、ごべん…」
なまえはずびずびと鼻をすすりながら僕の渡したティッシュで押さえた。子どもの頃から変わらない、彼女の変な癖だ。
「受験前に風邪引いたらどうすんの」
「きをつけます…」
しょんぼりと背中を丸めて縮こまったなまえ。僕は溜め息もそこそこに、自分の着ていたカーディガンのボタンをぷち、ぷち、と外して、彼女の頭にばさっと乱雑に被せた。彼女は「ゎぷっ」と奇妙な声を洩らした。
「それ、羽織ってて」
「え、だ、だめだよアレンが風邪引いちゃうよ!」
慌ててカーディガンを突っ返そうとするなまえの手を、僕はカーディガンごと握った。
「いーから着てろ、なまえが引くよりマシ」
はたから見れば、「何かっこつけてんだ」と思われるだろう。だけど、何だか強がりたい気分なのだ。少しくたびれたグレーのカーディガンは、彼女の手によって漸くその背中に落ち着いた。

「…ありがとう」
僕のカーディガンは、彼女には少し大きかった。それでも大事そうにそれを握って、彼女はふにゃっと柔らかく笑った。
「アレンの匂いがするー」
「やめなよ匂い嗅ぐの」
「えへへー」
「きもっ」

僕が暴言を吐いたところで、今の彼女にはさほどダメージにはならなかったようだ。何だか悔しい思いの反面、嬉しそうに眉を下げて笑う彼女を見て、何だかもう、どうにでもなれとも思った。

ふと、窓ガラスに映った、自分の顔を見て、
(…なるほど、たしかにこれはいつもの僕らしくない、奇妙な表情だ)
と、緩んだ口元を手で隠してごまかした。



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