シーソー | ナノ



「…遅い」

待ち人が来る気配はなかった。ちらほらと横切る同級生やら部活帰りの後輩から、「アレンくん誰待ちー?」「一緒に帰ろうよー」「きゃー!アレン先輩がいる!」と、やたらと声をかけられながらも、それらを笑顔でかわすのは我ながらお手の物、だ。



 ♪シーソー 08




夏期講習が終わった後の、日が落ちかけた夕暮れの学校。昼間ほどの暑さはないものの、むわっとした纏わりつくような空気は消えなかった。寄りかかった正門から背中に感じる石の冷たさが唯一の救いだった。傍らにとめた自転車にちらりと目線を送り、うんともすんとも言わないそいつから、ふい、と目線を外した(何も言わないのは当たり前だが)。この自転車の持ち主は、部活を引退したにも関わらず、今日も校舎を出るのが遅いようだ。一体何やってんだ。

夏休みの夏期講習中でも、僕は自分のこの習慣を変えようとは思わなかった。なまえが志望大学を国公立にしようが、両角とかいう男と親しくなろうが、僕たち幼なじみにとっては、関係が変わるほど大それた出来事ではないと思っていた。…意地だろうが押し付けだろうが何だろうが、これが僕の習慣なのだ。


「…いつまで勉強してるんだ、あの馬鹿なまえ」
くるくると、自転車の鍵(いつだったか僕が勝手に作った合鍵だ)を指で回しながら、そろそろ背中にも汗が伝ってきた。サウナかここは。我慢大会かこれは。


ブー、と、ポケットの携帯電話が震えた。


【わたしの自転車、持ってった?】

絵文字もない、たった1文のあっさりしたメールを送ってきた相手は、先程からずっと僕を待たせている人物だった。


【持ってる。正門にいる。いつまで待たせるつもりですか】

【え、ごめんずっと待ってた?】

【2リットルくらい汗かいた。帰りにジュース奢って】

おかげで脱水症状でくらくらしそうだ。



【ごめんね。夏休み中だし、待ってると思わなかった。ていうか、待ってなくてもいいよ】


何のジュースを奢ってもらうか考えている頃、予想外の返信が返ってきた。
待ってなくてもいい、って、どういうことだ。
メールを閉じ、発信履歴からなまえを見つけて発信ボタンを押した。


『……もしもし?アレン?』
「どういうことですか、さっきの」
『どういうことって、アレン、ずっと待ってたんでしょ?』
「それが?」
『だから…夏期講習中だし、帰る時間もズレると思うから…部活引退してまで待たせるのも悪いもん』
「…時間、ズレるの?」
『うん。今日から、部活の友達と残って勉強してこうって話になって…』

部活の友達、と言ったなまえ。真っ先に思い浮かんだのは、カラオケでもなまえの隣にいた、あいつ。


『……あのね、アレン』
僕が返答しないでいると、かしこまったように話を切り出してきたなまえ。

『わたしなら、ほんとにもう大丈夫だから。そんなに遅い時間にならないし、アレンだって自分の勉強があるでしょ?夏休みだし、遊んだりもするでしょ?』
人の勉強の心配するほどの余裕なんてないくせに。一丁前に僕を諭すように話すなまえに、少しだけいらいらする気持ちが見え隠れした。

『…それにね、遅くなったときは友達が途中まで送ってってくれるって言ってくれてるの』

「…へぇ、」
『だから、大丈夫。自転車はそのまま使ってもいいから。…じゃあね、』
「なまえ、」

後ろで誰かの声がする電話越し。部活の友達に急かされているであろうなまえを、僕は分かっていながらも呼び止めた。

『ん?なに?』
「…“両角くん”に、送ってもらうの?」
『え……うーん、』

「なまえ、先に教室行ってるよ!」と、後ろで女子の声がした。「あ、うん、すぐ行く!」とあわてて答えたなまえ。
『ごめんね、もう行かなきゃ。じゃあね』
「なまえ、」

『なーに?』
「…国公立大、受けるの?」
僕の投げかけた質問が思ってもいなかった内容で、なまえは「へ?」と、何とも素っ頓狂な声をこぼした。
「ラビが、国公立文系クラスでなまえを見たって言ってた」
『あー、うん…そっか…』
「県外の私立受ける、って言ってたから、志望大学変えたのかと思って」
『…変えた、っていうか…』

何とも煮え切らない返答しか返さないなまえ。苛々しながら、答えを待った。さんざん僕を待たせた挙句、返ってきた答えは、



『…もー、わたしのことならそんなに心配しなくてもいいんだよ』


僕を控えめに突き放す、言葉だった。

『帰り道とか、志望大学のこととか、アレンには心配ばっかりかけてるね』
「別に心配とか、そんなんじゃなくて、」
『大丈夫だよ。もう迷惑かけないから。…わたしもいい加減、アレンに頼りっぱなしな自分じゃいけないなぁって、思ったから』

「…何で、そんな、いきなり…」



情けないことに、僕は上手く言葉を吐き出せなかった。僕のよく知る幼なじみのなまえとは、ほんの少し違う人物に思えた。なまえは、なまえなはずなのに。自分のよく見えるテリトリーにいた彼女が、隠れてこっそり片足を出し始めていた、みたいな、感覚。





「変わった」なんて、思わせないでほしい。




得体の知れない感覚が、じわじわと、身体じゅうを巡った。その感覚に耐えきれなくて、僕はそれを吐き捨てるように、電話越しに言った。

「……分かった、もういい。先に帰る」
『…あ、うん、ごめんね、』

なまえの声を、僕は自分の耳に届けなかった。言葉を吐き出して、すぐに携帯をポケットにしまいこんだ。


じわじわ、
まだ身体に残る不快な感覚を振り切るようにして、僕はスピードを上げて自転車を漕いだ。

汗で貼りつくワイシャツと前髪が、うざったくて、気持ち悪かった。



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