シーソー | ナノ



いつもより、早く眼が覚めた。眠気なんてどこにも残っていなくて、頭の中はすべての神経がまっすぐ絡まずに伸びているように感じた。実際そんなことはあり得ないのだけど、そう思えるくらい澄んでいて、自分の目指す方向を真っ直ぐに見詰めている自分がいた。今、目指すものが、はっきりと映る。


「がんばってね」
両親の声を背に、いってきますと言い残してドアを閉めた。




 ♪シーソー 06




「…アレン?」
部屋着姿で家の前に立っていた、いかにも寝起きです、というようすの彼。

「おはよ、何してるの?」
「……眠い」
「補習、午後からでしょ?まだ寝てればいいのに」
「うん、用が済んだら寝る」

アレンは自分のポケットを漁り、小さな何かを取り出してそのままわたしに差し出してきた。
「リナリーとラビの提案で作った、あと神田も強制的に巻き込んだから」
「これ、みんなで作ったの?」
「うん、なまえが数学の追試受けてる時に」
「…ああ、うん、そっか…」
つい先日返ってきた期末テストの結果は、とても受験生のものとは思えないほど酷い数字の羅列だったことを思い出した。部活ばっかりやってたわたしがいけないんだけど。ていうか神田も追試になってたはずなのにいないと思ったらそんなことしてたのか。

「支部大会、がんばれ、っていう、4人分の応援」
「うん、ありがとう、アレン。がんばってくる」
「…うん、」

アレンにもらったそれをポケットにしまい、よいしょ、と楽器ケースを持ち上げる。ずし、と少しだけ重たい左手は、心臓に若干の負荷をかけた。これから始まる勝負の象徴のように思えた。
「じゃあ、行ってくるね」

「なまえ、」

わたしを呼んで、アレンは左手を伸ばした。伸ばした先にあったわたしの頭に、アレンはぽすん、と左手を置いた。そして、ぐしぐしと控えめに乱した。

「…3年間やったこと、全部、ぶちまけてこい」

そう言って、彼はかすかに微笑んだ。彼とわたし、たった二人しかいない空間で、彼はなんとも貴重な笑顔を見せたのだ。

「……なんか、今日のアレン、優しいね……なんか、気持ち悪い」
「そうですかなまえは優しさのない冷酷な僕がお好みでしたか、それは失礼しました、ではまずこの左手でこのちんくしゃのくるくる頭を形が歪むほどに握りつぶ、」
「いたたたたたたた、ごめんなさい言い過ぎましたいたたたいたいいたい」

涙目になってアレンの左手を必死に掴むわたしに、アレンは「ほんと一言余計なんだから」とため息をついた。むしろアレンのほうが二言も三言も余計な悪態をついてくると思うのだけど。
じんじんと痛む頭を整え、もう一度、「行ってくる」と彼に宣言した。彼はうん、と頷き、それ以上は何も言わずに家に戻っていった。


さぁ、勝負の幕開けだ。






「最後の合わせ、いきます」
顧問の先生が指揮棒をゆっくり上げる。
動いたことを確認して、息を、吸う。
全員が息を吸う、瞬間。この一体感が、緊張感と切迫感、そして、覚悟を連れてくる。

激しい、荒波。岩に打ち付ける、水飛沫。雨。風。嵐の後の、穏やかな、凪。哀愁。平和。
曲からイメージする、場面。フィルムみたいに脳裏を忙しなく巡る、情景。


「次の高校、準備お願いします」

係員が、控室のドアを開けて呼びかける。
ぞろぞろと、移動する。

真っ暗なステージ裏。私たちの前の高校の演奏が、始まった。

息を呑む、ほどの、演奏。びりびりと、肌に音が走った。怖いと、思った。

「…手、震えてる」
ぽつりと、隣で呟いた声。
「…両角くんこそ、顔に汗、かいてる」
「だって、暑いし」
「わたしだって、これ、あれだもん、指の運動だもん、」
「その嘘はちょっと、苦しくない?」
「…嘘じゃ、ないもん…」


音が、止んだ。


きゅ、と、不意に握られた、小指。
びっくりして、楽器を落としそうになった。

「やるだけのこと、やったんだ、あとは、ぶちまけるだけ、だろ」

震えは、止まった。

「…びっくりした、両角くん、」
アレンと、同じこと、言うから。

「強気でいけよ、なまえ」


照明を纏ったステージに、足を踏み入れた。

ポケットに入れた、小さなお守りを、ぎゅ、と服の上から握りしめた。








――演奏の後は、もう何も残っていなかった。
全部全部、ぶちまけた。





客席に戻り、結果が発表される。
次々に、金・銀・銅に当てはめられていく高校。

「――高等学校、」

私たちの高校。
両手を組んで、祈るように目を閉じた。

「―…金賞、ゴールド」

わぁ、と、近くの部員たちが声を上げた。
「…きん、しょう、」
どうしよう、どうしよう、まだ早いのに、泣くのはまだ、早い。
金賞の高校は、多い。その中から全国に行けるところは、限られる。


「―続きまして、全国大会の出場校を発表します」


アナウンスが、やけに耳に響く。
それと同じくらい、自分の心臓の音が、耳のすぐ近くにあるかのように聞こえた。


ひとつ、ふたつ、呼ばれては歓声を上げる。


そして、
私たちの、前の、高校が、呼ばれた。

歓声が充満した客席で、ただ祈った。
お願い、お願い、どうか、




「―…大学付属高等学校」



呼ばれたのは、私たちの、後の高校。





私たちの高校は、呼ばれなかった。





停止した、思考。開いたままの、両目。
そして、ぐらり、

 歪んだ  。







帰りのバスの中は、すすり泣く声と、嗚咽しか、聞こえなかった。

座席の上で膝を抱えて、わたしは、外の景色を眺めた。高速道路だったから、何も見えなかったけれど。


部室に着いて、未だ意気消沈する部員たちを考慮し、反省会は後日行うことになった。
楽器を片づけ、ぽつぽつと帰り始める部員。
わたしは、楽器のピストンに油を差して、丁寧に磨いた。
気づいたら、周りはみんな帰っていて、ぽつんと一人、わたしだけ。

「…かえろ、」
そう呟いて、楽器をケースにしまい、楽器庫のドアを開けると、
両角くんが、ぺたんと座りこんで、楽器ケースに顎を乗せていた。
「…びっ、くり、した…帰らないの…?」
楽器を置いて、両角くんの顔を覗き込んだ。
ぼーっとしていたかと、思うと、顔を、伏せた。

「…なんか、こんなに、あっけないんだな」
ぽつりと、声をもらした。

「もう、終わり、なんだよな」
「……そうだね、なんか、あっけないね」
「はー、出し切ったんだけどな、全国の壁は厚いんだな、マジで。“ダメ金”はキツいよな、ぶっちゃけ」
「…うん」
“ダメ金”は、金賞にも関わらず、次の大会に進めないことを指す。まさに、私たちそのものだった。

ゆっくりと、顔を起こした両角くん。表情から、涙は見えなかった。
いつもの両角くん、だけど、いつもと違うようにも見えた。
いつもより饒舌だった。

「…泣いてるのかと思った」
「俺?まさか。泣いたって全国行けるわけじゃねぇし」
「それは、そうだけど…」
「……なまえこそ、泣くと思ったのに」
「あー、うん…ね、なんか、ね」
「何だよそのはぐらかし方」
「わ、ちょっと!」
両角くんは笑って、私の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。


「全国、行きたかった、な、」
「………うん、」

手を止めず、わたしの頭を撫でる両角くん。

撫で方も手の大きさも、ちょっと違うけれど、
よく知っている彼を連想させた。

今朝も、頭をぐしゃぐしゃってして、見送ってくれた、あの人。

わたしの涙を止めるのも、出させるのも上手な、幼なじみ。



…ごめんね、応援、してくれたのに、ね。


「……もろずみ、くん」
「ん、」
「…ごめん、ちょっと、泣きそう、に、なるから、さ…」
もう撫でなくていいよ、そう言いたかった、のに、
彼は一向に手を止めようとしなくて、だから、


「…泣けばいいよ、誰もいないし」


そんな言葉を、かけるのは、卑怯だと思ったんだ。

止まらなくなるのを、分かっていた、くせに。




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