名前先生が好きだから、触れたいって思うんです



言葉をなくすとはこういうことを言うんだなと、我ながら国語教師らしいことを頭の片隅で思った。自分の口から、何も言葉が出てこなかったのだ。
自慢じゃないけど、恋愛経験は人並みかそれ以下の経験しかしてこなかったので、ましてや今時の高校生の恋愛事情なんて分かるはずもなくて、だけどこれだけは言える。

彼の言う『好き』は、いわゆる本気の恋愛で使われる『好き』ではない。

からかい甲斐のある新任教師を、ただどこまでもからかってみたいだけか
だけど彼の性格を考えると、到底そんな浅はかな気持ちでこんなことを言う子ではないということも同時に分かった。

だったら、理由はこれしかないはずだ。

「…えっと、ウォーカーくんが、先生のことを慕ってくれてるのは分かりました」
まだ高校生。恋愛感情と疑似恋愛感情の違いだって曖昧な時期だ。彼はとても聡明な子だけど、その感情を本気の恋愛と勘違いしてしまうのは、あまりにも酷な話。
「ありがとうね、なんか元気出たよ」
「…先生、本気だと思ってないでしょ」
少しだけムッとした表情で、彼は握った手に力を込める。いたたた、握力すごい。
「えっと…き、気持ちだけ受け取ります、でもほら、ウォーカーくんのことはとてもいい生徒さんだと思ってるから…」
だから、彼には、真っ当な人生を歩んでほしい。こんな一時の感情に流されて大事なことを見失わないでほしい。それが教師として示せる態度なのだと思った。
「……どうすれば、ちゃんと考えてくれるんですか」
「え…」
「どうすれば本気だって、一時の感情じゃないって、分かってもらえますか。どうすれば、一人の男として見てもらえるんですか」
「ええっと、ウォーカーくん?」

「…ちゃんと、僕のこと、見てください」

ウォーカーくんはそう呟いて、わたしの手を離した。そして「失礼します」と律儀に頭を下げて職員室をあとにした。
…そう、ここは職員室。まだ先生はまばらだったから良かったけど、一部始終を数人に見られてしまった。
「名字先生、モテモテですねぇ!」
「やるねぇ、少年」
…何だろう、わたしに向けられるこの甘酸っぱい視線は。




   




あの一件以来、ウォーカーくんの態度が目に見えて変わった。出欠の時に返事はしないし、授業で指名しても仏頂面で渋々解答するし(いやほぼ正解だからいいんだけども)、クラスの用件を伝えようと呼び止めても無視されるし、もうすぐ始まる体育祭の練習をしてても、わたしにだけはとことん無愛想。
(…拗ねている…あのウォーカーくんが拗ねている…!)
自分に思い当たる節がありすぎて、ずきずき心が痛む。
(…いや、本当に心が痛いのはウォーカーくんの方なのかな…)
いやいや、絆されてるよわたし。あなた教師でしょしっかりしようよ。

「ありゃあ名前ちゃんが悪い」
「…じゃあ、何て言えば良かったんですか…?」
普段良い子なだけに、あの子が捻くれるととんでもなく疲労する。自分のしたことがどう間違っていたのか、いくら考えても答えが見えない。
「言っただろ?男子高校生の頭ん中はエロいことか好きな奴のことだって」
「…それが、わたしだったってことですか…?」
そんなばかな。まさか彼の気持ちが本気だとは誰も考えないでしょう。
「そもそも、教師と生徒がそういう関係になっちゃいけないじゃないですか」
「そうか?俺は全然アリだと思うけどな」
「一般的なことを言ってるだけで、ティキ先生の個人的な意見はどうでもいいんです」
「おま、容赦ないね、もう飴あげないよ?」
「いりませんよ…」
もうどうしたらいいんだろう。分からなくなって自分の頭では整理しきれない考えが、ぽろぽろと頭から零れ落ちていく。そうか、だから人は零れ落ちたものをなくさないように頭を抱えて悩むのかもしれない。
「…まぁ、若気の至りって言ってしまえばそれまでなんだろうけどさ、そういう経験も今だからこそのものじゃねぇの?少年が本気でぶつかってきたんだから、こっちも本気で返してやらねぇと、いくら生徒でも失礼だろ」
「…うぅ……」
ま、頑張れよ。そう言ってティキ先生にまた飴を突っ込まれた。これびっくりするからやめてほし……あ、いちご味だ。




***


頭を抱えっぱなしのまま、学校は体育祭を迎えた。
「名前ちゃん!うちのクラスの男子サッカー準決勝で勝ったよ!」
「え!すごいねー!」
「アレンくんが逆転のシュート決めてくれたんだよ!何あの人マジ王子だね!」
女子生徒達がきゃあきゃあ騒ぐ視線の先には、試合を終えてシャツの裾で汗を拭うウォーカーくんの姿があった。「アレンくん腹筋見えてるマジ隠れマッチョ!」と別の意味で騒ぐ女子生徒。ああうん、そうだね、腹筋チラ見えしてるね。細い割に立派な腹筋してますね。
「あー、名前ちゃんがアレンくんの腹筋に見惚れてる!」
「え、いやちが、見惚れてないよ!」
「分かるー!堪んないよねあの腹筋!触りたい!」
「分かる!撫で回して写メ取りたい!」
…女子高生の会話って、難しい。

「名字先生、次の決勝までに1回グラウンド均しておいてくれますか?」
「あ、はい、整備係の子呼んできますね」
生徒達とグラウンドを均しながら、サッカーゴールを数人で動かす。びゅうう、と強い風で砂埃が舞う。「ぅわっ」と、砂埃が目に入った生徒が声を上げ、ゴールから手を離した。


ぐらり、

傾いたゴールの影が、自分の足元に伸びてきていることに、気付く。




  「、先生っ!!!」


え、






 ドォン…ッ





重々しい音と、目も開けられないくらいの砂埃。気がつくと、わたしの身体は地面に伏せていた。
…痛くない、けど、重みがある。
誰かが、わたしの上に、覆い被さってる。


「ぃ…っ、」




「…っ、ウォーカー、くん…っ!?」

彼がわたしを庇って、苦しそうな表情を、見せた。


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