「…え?ウォーカーくんかい?」
腰痛から復活した峯先生に、彼のことを聞いてみたことがある。
「確かにねぇ、完璧すぎて隙がないし、謎なところあるかもねぇ」
湯呑みでお茶をすすりながら、のんびりとした口調で峯先生は「ただ…」と言った。
「ただ?」
「よーく見れば、意外と隙だらけなんだよねぇ、彼。それを隠す『そぶり』は取り繕って見せるけど、やっぱりそこは若者なんだろうねぇ、器用になりきれてないんだよねぇ」
「…ちょっと、おっしゃってる意味がよく分からないのですが…」
「はっはっは、君もまだ若者っちゅーことだねぇ」
「えー…?」
「君はまだ若い。若いからこそ、彼の隙が見えない。そこはお互いにもがくしかないんだよ」
もがいてもがいて、正面からぶつかってあげなさい。
峯先生はそう言ったきり、ヒントをくれることはなかった。


見えていなかった。彼のことを。
それに気付くのは、これよりもう少し後のこと。




   




「…大体、名字先生には教師という自覚が足りない!」
「す、すみません…」
「まぁまぁ、名前ちゃんだって真面目にやってるじゃないっすか」
「ティキ先生はちょっと黙っててください。大体ね、君生徒達になめられてるじゃないか、そこんとこ分かってる?」
「まぁまぁ、ほら、教頭先生あんまりカッカすると血圧上がりますよー」
「だからティキ先生はちょっと黙ってて」


…やってしまった。朝から教頭先生の長いお説教を受けたわたしのメンタルは既にボロボロになっていた。そんな日なのに、今日も峯先生は腰痛でお休み。何これ、泣けてくる。だけど学校は泣く時間なんて待ってはくれない。虚しく響く予鈴に、わたしは重い腰を上げてトイレの個室から出る。よし!と鏡の前で気合いを入れ直し、先生達にいただいた慰めのお菓子達をお守り代わりにポケットに忍ばせて、いざ教室へ。
「起立ー、礼ー、着席ー」
ざわついていた生徒達が一斉に席に戻り、数秒後には静かになった。このクラス、何だかんだメリハリついてて優秀だなぁといつも感心する。わたしも切り替えないと。
「名前ちゃん、今日も峯先生休みー?」
「そうです、なので先生が出欠取りますねー」
…良かった、ちゃんとこなせている。ちゃんと切り替えられてるわたし。5限目の授業を終え、チャイムとともにようやく息をついた。頑張ったわたし。
「名前ちゃーん、課題プリント持ってきたよー」
「あ、じゃあもらうね」
「名前ちゃんのプリントいつも分かりやすいよね」
「そうそう、要点絞られてるし」
「そうだよー、先生皆が分かりやすいように頑張ってるんだよ、だから尊敬の意味を込めてせめて『先生』はつけてよ」
冗談混じりでそう言っても、やはり皆は「だって名前ちゃんの方が可愛いもん」と笑うだけ。
「ティキ先生も絶対名前ちゃんのことガチでねらってるよねー」
「まじで!?俺も実はねらってるんだけど!」
「へぇー誰を?ティキ先生を?」
「ちげーし名前ちゃんだし!」
「あはは、あしらわれてるー」
男子生徒の冗談を受け流しながら、わたしは受け取ったプリントをクリアファイルに綴じる。…そりゃそうだよねー、そんなすぐに教師の威厳が持てるわけでもないもんねー。はは、と一人で苦笑しながら、教室を後にする。

「先生、」

柔らかな声に呼び止められ、反射的に振り向く。教室の窓から身を乗り出すウォーカーくんの姿が見えた。ざわついた教室と廊下、その中で、彼の姿だけが何故かクリアに切り取られているように見えた。
「なぁに?質問?」
小走りで彼のもとへ向かい尋ねると、
「先生、名前で呼ばれるの嫌なんですか?」
と、意外な質問。
「…嫌、じゃないけど…どうして?」
わたしの質問返しに、彼はただにっこりと笑って
「名前先生は、そのままでいいですよ」
と返すだけだった。
「…?」
ウォーカーくんの言わんとしていることがよく分からなくて、わたしはただ首を傾げる。

「……でも、」

ぐいっ、

突然腕を引かれ、バランスを崩したわたしは彼の方へ倒れそうになる。ウォーカーくんに抱きとめられるかたちになり、そのまま彼はわたしに耳打ちする。


「…いくら生徒でも、男の前であんまり隙を見せない方がいいですよ」


吐息でくすぐったくなり、思わずバッ、とウォーカーくんから身体を離した。
「…な、っ…え…?」
ぐるぐるぐると混乱する頭では、自分の耳を手で覆うことしかできなかった。
目の前の彼は、確かにウォーカーくんで、今、わたしに耳打ちしたのも、彼。
何、何なのこれ。

「名前ちゃーん!ホームルーム始めなくていいのー?」
教室からの呼び掛けにハッと意識を取り戻したわたしは、慌てて職員室に走って戻った。



「…ふは、可愛い、先生」



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