つむぎうた | ナノ
「…っ、なまえ、ちゃん、」
ウォーカー先輩、
微かに、震えてる。
手も足も、肩も、心臓も。
…わたしの名前を呼ぶ、声も。
「……せん、ぱい、」
「……っ」
まるで呼びかけに応えるみたいに、先輩は、わたしを抱きしめる腕にぎゅう、と力を込めた。苦しい、苦しい。上手く息ができなくて、頭も真っ白で、自分の身体が借り物になったみたいに、上手く働かない。離れなきゃって思う一方で、先輩の上に乗っかった体勢のわたしには、その重力に抗う力はなかった。どこから何をどうすればいいのか、もう何も考えられなかった。
ウォーカー先輩の息が耳元に触れて、くすぐったさで思わず身を捩った。それに気付いた先輩が腕を少し緩めて位置をずらす。
不思議なことに、会話らしい会話がなくても、感覚的にお互いの意図を汲み取っているような気がした。
「…ぁ、の…」
何か、何かしゃべらなくちゃ。何とかしなきゃ。そう焦って何とか言葉にしようとするけど、言葉にならない。
「なまえちゃん、」
わたしの声を遮るようにして、ウォーカー先輩が名前を呼んだ。何も言わず次の言葉を待っていると、先輩が「あのね、」と小さな声で切り出した。
「もうひとつ、聞きたいことがあるんだ」
「…最近、露骨に僕を避けるようになったよね」
ねぇ、何で?
抱き締められたまま静かにそう言われて、一瞬息が止まった気がした。
「……それ、は、」
それ以上話せなくて口籠もるわたしの背中を、ウォーカー先輩の手が宥めるように優しく撫でた。
「…なまえちゃんが、何かにずっと悩んでるのは知ってるし、それが自分自身で何とかしなきゃいけない問題だっていうことも分かってる」
…そうだ、確かにわたし、悩んでることを先輩に気付かれて、悟られたくなくて、そう言って先輩の優しさを突き放した。
「…だけど、ごめんね、これ以上気付かないふりをするのは、僕が嫌なんだ。
先輩だとか後輩だとか、そんな立場から言ってるんじゃない。なまえちゃんだから、聞きたいんだ」
…あぁ、もう、
どこまで優しいんだろう、このひとは。何だか鼻の奥がつぅんとして、先輩の肩に顔を埋めてしまった。それに合わせるように、先輩の抱きしめる腕にぎゅうぅ、と力が籠る。
どうして、こんなことになっているんだろう。脳のどこかが冷静にそう問いかける。
ふ、…と、力が緩んだ。
背中にあったはずの先輩の手が、するり、するりと上に動く。わたしの肩に行き着いた先輩の手の平が、少しだけ、肩を押す。ほんの少し生まれた、先輩との距離。ぱち、と絶妙なタイミングで、先輩の視線とはち合う。かぁぁ、とさらに熱を帯びたわたしの顔を、先輩の手がふんわり、なぞる。……綺麗で、妖艶な表情。なのに、どこか男らしさを帯びた、ウォーカー先輩の、顔。少しずつ、少しずつ、縮んで、ゆく、距離。
あ、 …触れ、る、
ブーッ、ブーッ、
「っ!!」
ばっ、
聞こえてきた機械音に、反射的に身体を起こした。音の正体は、
「…ぁ、電話…」
傍らに置かれていた、先輩の携帯電話。未だにうるさい心臓を支えながら、未だに鳴り続けるそこにふと視線を送った。
ど くん、 心臓が鳴った。
…見なければ よかった。
電話の着信相手の名前が、見えてしまった。
『神木さん』
どうして なんで、何で神木さんの名前が、先輩の携帯に、
ふたりが、親しいことを、今までどこか遠いところで見ていたわたしは、今の状況を上手く理解することが、できなかった。
「…すみ、ません、わたし、帰ります」
「…え、」
荷物を鷲掴み、逃げるようにして玄関へ走った。
「なまえちゃ、」
先輩の声が、腕が、わたしを呼び止めようとするのが分かった。それに応える余裕は、なかった。
ばたん、
数時間前、緊張しながら見つめていた、このドア。ぽろぽろ、ぽろぽろ、溢れてくる涙の理由が見つからなくて、ごまかすように拭って、逃げるみたいに走って、マンションを去った。
泣いた理由は、
(臆病な自分の、所為)
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