つむぎうた | ナノ



浮いた指先に力を込める。震える人差し指を見つめながら、…正確には、その指の指し示す先を見つめながら、わたしはふう、とひとつ息を吐き出した。寒気で白くなったその息までも、震えていた。
日も暮れた夕飯時。とあるマンションのドア前で、もう随分と立ちすくんでいるわたしは、はたから見ればさぞかし不審に思われることだろう。だけどそんな細かいことをいちいち気にかける余裕なんて、ない。
「…301号室…ここ、だ…」
すっかり冷えた左手で、握られたメモを何度も見返した。

紛れもなく、ここはウォーカー先輩のおうちだ。
このドアの向こうに、ウォーカー先輩が、いる。







…遡ること11時間前。
朝の出勤時。駅の改札を抜けて、同じく出勤中のサラリーマンの群れに混じって歩いていたわたしは、少し前方に、よく見知った後ろ姿を見つけた。…見つけてしまった。
「…ウォーカー、せんぱいだ…」
誰にも聞こえないよう、そっと自分にだけ聞かせた声。ただでさえ地味な色ばかりのサラリーマンの装い、物寂しい季節も加わって、視界には黒ばかり。そんな中で、意識せずともひときわ目を引く、きれいな銀灰色の髪。寒さを凌ぐように少し背中を丸めて歩く先輩。その後ろから、見つからないよう歩いた。

…別に、避けているつもりはない。ないけど……

神木さんのこととか、
営業部に異動することとか、
自分の気持ちがおさまらないこととか、

色んなことで頭がぐちゃぐちゃで、最近ウォーカー先輩と上手く話せない。同じ部署にいる以上、話さないわけにもいかないんだけど、顔もちゃんと見れないし、それに反比例するみたいに、先輩と神木さんが楽しそうに話しているのを頻繁に見かけるようになった。わたしが必要以上に意識しすぎているからどうしても目についてしまうのかもしれないけど。
…わかんない。ぐるぐる、堂々巡りの思考回路に嫌気がさして、わたしは俯いて口元をマフラーに埋めた。

(……あ、れ?)
ふと見えた先輩の後ろ姿に、違和感。心なしか、足取りがいつもより重い、気がする。信号待ちの間も、背中が伸びることはなかった。
…なんかストーカーみたいだと自覚したので、会社に着いてからは努めて冷静に振る舞った(つもり)。

「…えーと、来週から準備を始める製薬会社との共同企画ですけど、…」
…口調も立ち振る舞いもいつもと同じに見える、ウォーカー先輩。企画書のページをめくる仕草も、上司に相談して少し固くする表情も、同期の先輩達と談笑する様子も、いつもと変わらない。けど、なんか、なんか変。
…って、ばか!
「だからっ、ストーカーじゃないんだから…!」
だめだ、これじゃあ仕事にならない。わたしは気持ちを落ち着かせるために休憩スペースに向かった。

「…あ、なまえちゃんだ」
「っ、」
…何で、何でこのタイミングでウォーカー先輩とばったり会っちゃうのかなわたし…!どぎまぎする心臓を押さえながら、「…お疲れさま、です」と、何とか言葉を紡ぎ出した。
「さっきラビに会って、『なまえちゃんと最近会ってない』って嘆いてたよー。…あ、ホットのカフェオレ売り切れだ」
「……」
「なまえちゃんも、最近温かいの飲んでるよね。今日どれ飲むの?」
「えと……」
言葉の少ないわたしを気にかけることなく、笑顔で自販機に向かうウォーカー先輩。わたしの隣で、「どれにしようかなー」と指を泳がせる。
…その行為に、わたしは『違和感』の正体を確信した。
「…ウォーカー先輩、」
「うん?」

「…熱あるのに、無理して出勤しないでください」

「…え、」
ぽかん、と口を開け、『何のこと?』とでも言うような表情を浮かべた先輩。わたしは少しだけ自分の心が乱れ始めるのを感じた。
「今日は外出の予定もないし、金曜日だし、コムイさんも事情を聞けば早退って言うと思うし、」
「ちょ、ちょっと待ってなまえちゃん、熱って…」
先輩の顔を直視しないまま話し続けるわたしに、先輩が慌てだす。
「っ…わたしが熱出した時は、何で黙ってた、って怒ったくせに…!」
どうして自分のことになると、そんなに無頓着なんですか。
「え、ちょ…なまえ、ちゃん…?」
きゅっ、と口をつむんで、それから、きっ、と先輩を睨み付けた。
「…『頼ってほしい』って、思ってるのは、先輩だけじゃないんですからね!ウォーカー先輩のばか!」

…ちがう、ばかは、わたしだ。
いうことを聞かなくなった自分の口から、際限なく次々に飛び出した言葉。思わず両手で口を押さえた。いたたまれなくなったわたしは、あろうことかそのまま走って逃げ出してしまった。ぽかんとしたままのウォーカー先輩(発熱中)を残して。

そのままトイレに籠って出てくると、コムイさんから「アレンくん、熱があったみたいで、ついさっき早退したよ」との連絡があった。





…その後、コムイさんの『アレンくん一人暮らしで何かと心配だから』という上司命令により、なぜかわたしが皆さんのお見舞いの品を届ける役目を仰せつかった。


そして現在に至る。
「…がんばれ、なまえ」
いつまでも、ここで立ち往生しているわけにもいかない。わたしは意を決して、小さく震える人差し指でボタンを押した。

数秒後に聞こえる足音に、わたしは再び心臓を跳ねさせることになるのだ。





金曜日のお見舞い
(…ぇ、あれ、なまえちゃ…ぁ、やば、)
(え!ちょ、先輩っ!?)


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