つむぎうた | ナノ


カレンダーの12月のページが、顔を出した。

「うわ、今日寒いねーっ」
コート持ってくればよかったかなぁ。肩を縮こませながら、ウォーカー先輩が呟いた。わたしは冷たくなった両手をこすり合わせて、それからすっかり冷えた営業用車の助手席のドアを開けた。
運転席には、ウォーカー先輩。その隣で、地図を片手にカーナビを操作するわたし。
「順調にいけば、40分くらいで着くと思います」
「そっか、じゃあ時間には余裕あるね。ゆっくりいこうか」
そう笑いかける先輩に、わたしはナビに目を向けたまま、はいと言った。


企画開発部であるわたしたちは、本来、あまり取引先に出向くことはない。営業部で処理しきれないことが起きた場合や、企画開発部の専門分野が関わってくる場合には、こうして直接出向く。
今日は取引先から直々のご指名を受け、ウォーカー先輩と二人で向かうことになった。


「いやぁ、お待ちしていましたよ、ウォーカーさん。例の企画の件で、いくつかご相談したいことがありましてね」
取引先に着いて、代表の方に引っ張られるようにして迎え入れられたわたしたち(というかウォーカー先輩)。

「……いやー、やっぱり君に企画をお願いしてよかったよ、わざわざ出向かせてしまって悪かったね」
「いえ、とんでもないです、またよろしくお願いいたします」
代表の方はほっとしたように笑って、ぽんとウォーカー先輩の肩を叩いた。

ラビ先輩からちらっと聞いたのだが、ここの会社の方がここまで砕けて話をしてくれるのは、うちの会社ではウォーカー先輩だけらしい。営業部ですら、この方の本音をここまで引き出すことは難しい、と。

それだけの信頼を、先輩は得ているのだ。仕事ぶりでも、人柄でも。
一緒に仕事をしていれば、分かる。

…営業部に行ったって、十分通用する。



「…なまえちゃん?」
「え、」
「次の信号って、どっち曲がるんだっけ?」
「あ、すみません、えっと…左折、です」
「ありがとー」
先輩は笑って、ハンドルを左に回した。

…いけない、今は仕事中なんだ、こんなこと、考えてちゃ、いけない。


『来月から営業部に異動になるっていう話が出てるらしいよ』


わたしは思念を振り払うみたいに、ふるふると頭を振った。そしてきゅ、と口を紡いで、潤んだ視界でまっすぐに前を見つめた。

あんなの、ただの噂じゃないか。なんの確信もない。先輩に問うのは、確信が持ててから。それからだ。

車は交差点にさしかかり、丁度赤信号に変わったところだった。ゆっくりと止まる車。




「…えいっ」
ぐにっ、
「いっ!?」

突如、右頬に感じた、小さな痛み。慌てて頬を押さえると、そこにあったのは、ウォーカー先輩の左手。
先輩が、わたしの頬をつねっていたのだ。

「…え、な、」
「また、出てる」
「へ、」
「なまえちゃんの、悪い癖」
わたしの頬をつねりながら(今度は痛くない程度に。)、先輩はわたしに言う。わたしは何のことなのかさっぱり見当がつかず、ただたじろんで先輩を見つめた。というか、今自分がどれだけぶさいくな顔になっているか、想像もしたくない。

「あ、あの、悪い癖、って…」
「分からない?」
「…す、すみません、何のことだか…」

「また、我慢して、溜め込んでる」

先輩がため息交じりにそう言った頃、信号は青に変わった。先輩はわたしの頬からようやく手を離し、ゆっくりアクセルを踏んで車を発進させる。
「がまん…?」
「なまえちゃん、前に風邪引いて無理したとき、僕言ったよね。『頼ってほしい』って」
「…はい、」
「今、何かにずっと悩んでる。『聞いてほしい』って表情するくせに、すぐに押し殺して、何でもないって言って隠す」
心なしか、ほんの少しだけ怒った声色で、先輩は言った。わたしは返す言葉を見つけられなくて、ただ俯いた。
「…そんなに、頼れないかな、僕じゃあ」
「違うんです、そんなこと、ないです!」
そんなことない。慌てて訂正しようとして、思わず声が大きくなった。
「…悩んでるのは、本当です。でも、これは自分自身で整理したいことで、そうしないと納得できないことで…、だから、本当に、大丈夫なんです」
「…本当に?」
「…先輩、わたしがそんな器用な嘘をつける人間だと思いますか?」
「思わない」
「即答ですか…!なんか複雑です…」
「…なまえちゃんは、素直だよ。まっすぐで、一生懸命で、頑張り屋で…だからこそ、無理しないで頼ってほしいって思ったんだ」
小さく微笑む先輩に、わたしは恥ずかしくなって、ぱ、と目を逸らした。
「…心配、させてしまって、すみません」
「…ううん、僕も、干渉し過ぎた。…ごめんね」
先輩は前を向いたまま、ぽんぽんと左手でわたしの頭を撫でた。



運転席と助手席
(まるで今みたいな、微妙な距離)



- 15 -


[*prev] | [next#]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -