つむぎうた | ナノ
「ウォーカーさん!企画書できました!」
「ありがとう李桂、そっちのスポンサー依頼のアポは取れそう?」
「医療施設へは全て取れました!各関係企業とも再度連絡を取ってみます」
プロジェクトチームが動きだして、2週間たった。最初のプレゼンを来週に控えた今、チームは怒涛の忙しさだった。部屋中に声が飛び交い、書類が飛び交い、ホワイトボードは隙間なく文字が埋まって真っ黒に見える。
何より、リーダーであるウォーカー先輩の忙しさはわたしたちの比ではなく、今にも倒れてしまうのではと思うほど働き詰めだ。だけど、自分の疲れを嘆くよりも、わたしたち後輩のフォローを優先してくれるウォーカー先輩には、頭が上がらない。
「…あ、その企業は僕がこの間直接行って交渉してきたから大丈夫だよ」
あそこ電話だとなかなか都合つけてくれないんだ、
せわしく手元の書類に目を通しながら、先輩はわたしの書類を覗き込んで教えてくれた。
「え、そうなんですか?すみません知らなくて…」
「いいよ、お得意様だし、顔出すついでみたいなものだったから」
……嘘だ。本当は、長い時間をかけてお願いしてきたはずなんだ。きっとこの間、遅くに会社に戻ってきた時だ。わたしの負担を、考えてくれてのことなんだと思った。
わたしは何も言わないで、ただ「ありがとうございます」とお礼を言った。先輩は優しく微笑んで、わたしの頭にポンポンと手を置いた。
何だか最近、ウォーカー先輩によく頭を撫でられるようになった。嬉しいよりも恥ずかしさのが勝る。
「ていうかみょうじさん、ちゃんとお昼食べた?なんか最近やつれたような…」
わたしの頭に手を置いたまま、怪訝な顔で覗き込んだ先輩。まったくもう、心臓に悪いです。
「そ、そう、ですか?あんまり自覚ないですけど…。先輩こそ、隈が濃くなりましたよね…」
「あぁ、うん…最近ずっと終電だからね…」
そう言って苦笑する表情が、ひどく悲しい気持ちにさせた。
「ウォーカーさん、これの確認お願いします!」
「あ、うん」
名前を呼ばれて、再び動きだす先輩。背中が、何だか疲れたように見えた。
「…がんばらなきゃ」
わたしが、しっかりしなきゃ。これ以上、迷惑かけないようにしなきゃ。
予定がびっしり書き込まれた、付箋だらけの手帳の隅っこに、『しっかり!』と、小さく決意を書いた。
・*゚
いつの間にか日が落ちて、窓の外は真っ暗だった。定時がとっくに過ぎて、働き続けていたみんなもバラバラと退勤し始める。
「…っはー、疲れた…」
パソコンから顔をあげ、ぐーっと伸びをしながら時計を見ると、10時過ぎ。
「ぅあ、また10時過ぎてた…!」
疲れたし、今日はもう帰ろう。気付けば部署室に残っているのはわたしだけで、廊下の電気もほとんど消えていた(省エネ!)。
パソコンの電源を切り、帰る準備を始めると、一室から光が漏れていた。
――コン、コン
「失礼しまーす…」
消し忘れじゃないかどうかを確認しようと、静かに部屋を覗いた。
部屋の隅っこで、ノートパソコンを開いたまま、机に突っ伏す人の姿が見えた。
その色素の薄い銀灰色の髪に当てはまる人物は、この会社では一人しかいない。
「…ウォーカー、せんぱい、」
腕を枕にして、静かに寝息をたてる先輩。スーツのジャケットは脱いで、ワイシャツの袖が捲られていた。その寝顔は、あまりにきれいで、だけど、疲れが見えた。
起こすのが躊躇われる、けど。
「…先輩、起きてください、ウォーカー先輩」
ゆさゆさと肩を軽く揺らすと、先輩は「ん…っ」と声を漏らして小さく身をよじった。(な、なんだか色気を感じるのは気のせいかな!)
「せ、せんぱい!起きてください!」
動揺を紛らわしながら、さっきよりも強めに揺らしてみる。
「、んぅ……んー、すみま、せん…」
むくり、と身体を起こし目をこすりながら、なぜか謝りだす先輩。(なんだこのかわいいひとは!何に謝ってるんですか!)
「えと、10時過ぎちゃいましたよ、もう帰ったほうが…」
「…うん、かえる…」
まるで子どもみたいに、ぽやんとした目で呟いた。
そして、ゆっくりわたしのほうを見た。
「………」
「…え、あの、ウォーカー先輩?起きました、よね…?」
先輩は、しばらくぼーっとしたままわたしを見つめたかと思うと、
ふにゃん、という効果音がついたように、首を傾げて表情を緩めて、笑った。
「っ、(ふ、不意打ち笑顔!)」
「そっかぁ、みょうじさんかぁ…」
「へっ?あ、はい、みょうじ、です…」
そっかぁー、うん、みょうじさんかぁ、
そう繰り返し呟く先輩。
…えーっと、どうしよう!もうほんとどうしようこのかわいい先輩!大丈夫ですか!
あたふたしていると、
…ふいに、わたしの左頬に伸びてきた、――手。
ウォーカー先輩の、手が、わたしの頬をそおっと撫でた。
「…っ、!?」
ウォーカー先輩の表情は、相変わらず『ふにゃん』の状態。…心臓が、走りだしたみたいに、元気よく騒いだ。
「…っあ、の…!せん、ぱい、」
早く目覚めて!お願いします!
わたしが必死に心のなかで叫ぶと、聞こえてきたのは、
信じられないほど、甘い声。
「…もうちょっと、一緒にいようよ、みょうじさん」
―――反則だ、こんなの。
心臓が、どくんどくんと、無駄にポンプを働かせるから、今にも破裂しそうで、苦しくて苦しくて、きゅうう、って、泣きたくなるくらい、痛い。痛い、痛い。
―…『痛い』?
ちがう、
これは、
『痛い』じゃなくて、
…ぐらり、
先輩の身体が、ゆっくりと傾いて、いすから消えた。
と同時に、どたんっ、と派手な音と、「いてっ!」という声が聞こえた。
「先輩っ!?大丈夫ですか!?」
「ったー…背中打ったー…」
慌てて先輩に手を差し出すと、迷いなくわたしの手を握った。
「いたた、寝呆けてた…ごめんねみょうじさ…」
「、っ!」
ばち、と目が合って、反射的に目を逸らした。顔が再び赤くなるのを、嫌ってほどに感じた。
「あちゃー、もうこんな時間なんだ…ごめんねみょうじさん、迷惑かけちゃったね」
「いえ…」
帰ろっか。
さほど気にするようすもなく、腕時計を見つめて先輩は言った。
「一緒にいようよ」
――さっきのは、寝呆けてたから出た言葉で…きっと先輩は、覚えてない。
なら、あれは、本心?
分からない
だけど、
「…みょうじ、さん?どうかした?」
「…何でも、ないです、」
だけど、これは
この、心臓と、熱が、伝えるものは
『痛い』、なんかじゃ、なくて、
――いとおしいんだ、すごく。
10時20分の自覚
(先輩の、ことが、)
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