つむぎうた | ナノ
思い返してみると、今日のコムイさんは何だか、妙に優しかった気がする。朝からスタバのコーヒー買ってきてくれたし、お昼に書類を持っていったら、「みんなには内緒だよ」って、こっそりシュークリームをくれた。
そのシュークリームがあまりにもおいしかったせいで、わたしはその優しさの真意を見抜けなかった。……だって、本当においしかったんだ、いちごクリーム…。
その真意を知ったのは、定時で上がる直前のこと。
「……なまえちゃん、あのさ…」
「?はい」
「あのね、ものすごーーーく言いにくいことなんだけどね…」
「…?」
「いや、ね、あの……なんていうかね……」
「はい」
「…や、やっぱり別の人に頼もうかなあぁ……いやでも、新人育成として…」
「…よくわからないですけど、わたしにできることでしたら、やりますよ?」
「……その言葉に、二言はないね?」
俯いたまま呟くコムイさんの背後に、わたしはほんの少し黒いものを見た気がした。なんていうか、オーラ的なあれが。なんか悪いこと考えてます的な。
「実はねなまえちゃん」
「は、はい」
「あそこの書類を、今日中に全部データ化してほしいんだ」
コムイさんがひっそりと指差した先には
もう山としか例えようのない、膨大な量のファイルが、絶妙なバランスで積み重なっていた。
あ、今一冊落ちた。
……え、ていうか、「今日中」?
え、一人で?この量を?
色んな疑問が頭の中をぐるぐるしてて、ファイルの山から目を離せないわたしを尻目に
「残業届けはビルの警備員さんに提出してあるから!あとよろしくっ!」
コムイさんはそう言い捨てて、笑顔で退勤していった。
「………さて…やろっかな…」
時刻は、午後6時ジャスト
とぼとぼ、
ファイルの山から一冊手に取り、ふと思った。
我が上司ながら、本当に書類の整理が下手くそな人だ、と。
。*゚
「お先に失礼しまーす」
「あ、お疲れさまです…」
「頑張れよみょうじー!」
「あ、はい、がんばります…」
「なまえちゃんごめんね、手伝えたらよかったんだけど今日は…」
「いえっ、全然平気です!お疲れさまですリナリー先輩」
「うひゃー!何このファイル!すげぇ量!これ全部なまえちゃんがやんの!?」
「…あれ、なんでラビ先輩が…」
「営業ならとっくに終わったさー」
「まだ、帰らないんですか…?」
「いんや、帰るー」
「……そうですか」
「あ、チョコあげる。これ食ってがんばれー!」
「…あ、はい、ありがとうございます…」
「え、みょうじ、これ全部一人でやんの!?俺も手伝「李桂ー!何やってんだ飲み行くぞ!」……ういっす」
「…お互いがんばろ、李桂くん」
「…おー」
上司に引き摺られるようにして帰っていく李桂くんを最後に見届けると、一気に部屋が静かになった。
初めての残業。しかも、一人きり。カタカタ、響くのは、パソコンのキーボード音のみ。外は真っ暗で、時計の短針はそろそろ9を示す。
「…静かだ、なー…」
作業自体は単純作業。ひたすらパソコンに入力していくだけ。単調な繰り返しに、思わず独り言が零れる。
「…あ、チョコおいしい」
ラビ先輩にもらったチョコが、じんわりと口の中で溶けた。
「あと何冊だろー…いち、にい、さん…」
……数えるの、やめよう。なんか悲しくなってきた。
「…寂しいなー…」
イスの上で膝を抱え、顔をうずめてみた。普段なら、絶対できない体勢だ。
「…みょうじ、さん?」
……え、あれ、今、出入り口から、声が…
「…へ?ウォーカー、せんぱい…!?」
慌てて足をおろす。
「びっくりしたー、具合悪い?」
「いえ…えっと、帰らないんですか?」
「うん、僕も手伝おうと思って」
ウォーカー先輩はそう言って、ファイルを手に取った。
「コムイさんにね、言われたんだ。みょうじさんに頼んだはいいけど、さすがにあの量じゃ大変だろうから手伝ってあげて、って」
「で、でも先輩、帰る時間が…」
「大丈夫、終電に間に合えばいいし」
そう言いながら、既にパソコンに向かって作業を始める先輩。
「でも、わたしが頼まれた仕事なのに、」
「みょうじさん」
「は、はい…」
「…僕、みょうじさんの先輩なんだけど?」
先輩の言うこと、聞けるよね?
「………はぃ」
にっこり笑って言う先輩を前に、これ以上、二の句は継げなかった。職権乱用とはまさにこのことだ。
「…ありがとうございます」
「よし、目標10時ね。終わらなかったらシュークリーム奢ってもらうから」
「ええ!?」
「ほら時間なくなるよーがんばれー」
「ちょっ…どうしてシュークリームのこと…!」
「えー、何のこと?あぁ、僕はいちごクリームとカスタードとチョコクリームでいいよ」
「3つもですか!?」
シュークリームは隠れて食べましょう
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