好きな人の一番になれないなら自分の存在さえ無いのと同じだと思っていた。
愛する人を手に入れる事は、死と酷く似ている。
ここが自分の家なのはわかるし現に今もこうして見知った食卓に座って本を読んでいる。
遊びに来たリュウジと食卓でご飯を食べてそこからの記憶が曖昧で自分でもその事に驚いていた。
食べ残されたままの皿とそこいらに飛び散った水で乱雑に散らかった食卓の中、彼が手土産に持ってきたケーキの箱だけがきれいに残されている。
リュウジは帰っても寝てもいなかった、俺がさっきこの場所で殺してしまったのだから。
とてもあっけなかった。
人は苦しみながら死ぬと天国に行けないんだって。ちょうど良かったよね、地獄でも一緒に居られるよ。
事の発端は本当に下らない事だった、といってもそれが自分には耐え切れない事だったのだから笑ってしまう。
彼の大好物だった牛肉のビール煮が上手く出来て上機嫌だったし今日まで特別にとっておいたワインも飲み進めるままお互い饒舌になって、話してる姿が可愛いななんてぼんやり思ったりしながら。この瞬間までは。リュウジは顔を赤らめながら付き合ってる女の話を切り出した。
俺達は今付き合ってはいないから束縛する権利も口だしする権利もないけれど、何が苛立たしいのかと言えばこの二人だけの空間に第三者の存在を持ち込まれた事だ。
汚された、二人の空間を。
その無神経さと自分を見てくれていない事への苛立ち。
もう子供じゃない、聞き流してやり過ごそうと相槌をうっていたのに頭が付いていかなくて体中が煮え繰り返えるように強張りだす。
気付いたら右手に持っていたグラスでリュウジをぶっていた。
とにかく頭が真っ白で、訳が分からないとでも言いたげな顔で面を食らうリュウジの表情さえ苛立ちのもとにしかならず髪の毛を引っ掴んで椅子から引きずり降ろした。
「ヒ、ロ…ぶっ…あ、はぁ…も、うやめ……!」
気付くとそこは風呂場で、後頭部を掴んだまま水中に沈めて浮かせてをひたすらに繰り返していた。
組ませた両腕はタオルで固結びにして背中越しに覆いかぶさる様にしているから抵抗も出来やしない。
「ねえなんで女の話なんてするの?俺がお前の事まだ好きだって気付いてるくせに。ねえなんで?」
「ち、が…!話き…いてっ…」
もはや彼を掴む腕と心は別の生き物になっていた、本当は抱きしめてこんな事してごめんって言ってやりたいのに恐ろしく野蛮な生き物に取り憑かれてしまっているみたいに止められなかった。
浴槽を見ると嘔吐物らしきものが水面を白く汚している。
「…ごめんちょっとやり過ぎた」
はっと我に返り、ぐったりとしたリュウジの肩を抱きしめるとあまりの冷たさに息を飲んだ。
肩を抱いたまま恐る恐る顔を覗きこむと目をつむって下唇を噛んだまま蒼白くなって、彼は動かなくなっていた。
先程まで彼を鷲掴みにしていた手の平を見れば薄いみどりの髪の毛がまばらに指に絡み付いて、しばらく凝視しているとそれが一体何なのか分からなくなってしまう。
さっきまで確実に生きて養分を吸収していた彼の一部。
動かなくなったリュウジを眺めながらただ不思議な気持ちで、まるで寝ている様なその姿は小学生の頃よくやった気絶ごっこをしているんじゃないかとさえ思うそれだ。
俺はなにか清々しい気持ちだった、苦しさから解放された様な同時にある思いにまたとり憑かれクロークの中からあるものを探した。
以前少しやっていたキャンドル作りの本を見ながら考える。
眼球はジェルワックスに入れて透明なろうそくにしようか、けどリュウジの顔を破損させてしまうのは嫌だ。せっかく透明だから、仰向けに寝かせてきれいな色を付けよう。
着色料は彼の髪と同じ色のものを選んだ。健康的な肌にきっとよく映えるだろう。
まだ体が柔らかいうちに、浴槽の中へリュウジの体をまるで夢見てるみたいに配置した。
浴室のドアは完全に隙間をガムテープで塞いで完璧だ。
これで誰も入ってこないよ、怖いものももう無いし俺がずっと一緒だからね、リュウジ。
錠剤を全部飲み干して暫くすると目の前がゆらゆらと歪みだす。
もうさっきまでの事が夢なのか現実か、間違っていたのか正しかったのかさえどうでもよくてただ確実なのは、もう苦しまなくて良いという事だけだった。
リュウジの形したキャンドルが燃えて、その一酸化炭素に末端から犯される。なんて理想的な死に様だろう。
まだ微かに残る視界でタコ糸に火を点け、彼の眠る浴槽のふちに顔をうずめた。
途中からの記憶は無い。
隣にはいつもと変わらずリュウジが居て、どこに行こうかといたずらに笑いながら俺に尋ねた。
君が君じゃなくなる日
それは君を愛するということ。