短編 | ナノ
俺が先生に恋をしたのは、いつのことだったっけ。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。最初は、純粋に憧れているだけだった。そのことに、間違いはない。なんでも完璧な先生は、とても輝いて見えて、自分もあんな大人になりたいと思った。優しくて、生徒のことを一番に考えていて、でも、意外と天然なところがあって……。そんな先生を、俺はいつから好きだったんだろう。初めて授業を受けたときだろうか?数学を教えてもらった放課後だろうか?それとも、生徒会の仕事でお世話になったときだろうか?
考えても考えても見えることのない答えに、俺は頭を悩ませる。

「要くん、さっきから難しい顔して、何を考えてるの?」

眉間に皺寄ってるよ?と笑う声に、落としていた視線を上げれば、いつもの優しい顔をした先生と目があった。いつもなら恥ずかしくて顔を逸らしてしまうが、今日は先生をしっかりと捉えたまま。そんな俺の様子に、先生は困っているようだ。なにも言わない。言わないけど、目線は外さない。要くん?と戸惑い気味に呼ぶその声も、ただただ愛しいなぁと感じるだけで、返事をするという選択には至らなかった。
俺は、いつからこんなにも先生が好きなんだろう。今まで好きだったのは、かおり先生とか静ねぇで、年上の綺麗な女性だった。優しく明るい彼女たちは、自分の理想の女性で、そのすべてに惹かれていった。そんな俺が、男に惚れるなんて、誰が予想しただろう。たしかに年上だし、優しく明るい。でも、それでも、東先生は俺と同じ男なのだ。そんな先生にここまで惚れたのは、なにがきっかけだったのか。自分のことだが、それが不思議でたまらない。

「俺、いつから先生のことが好きなんですかね」

独り言ともとれるような口調で、俺は静かに呟いた。先生に答えを求めたというよりは、考えていたら自然と口から出てしまったのだ。先生は、きょとんとして俺を見下ろしている。まさか、いきなりそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。人間、予期せぬ出来事には、対応が遅れるもの。先生のこの反応は、正し過ぎるくらい当たり前のものだ。でも、さすがに固まられたままというのも、少し困る。
先生?と、さっき彼が俺を呼んだように呼べば、彼はようやくあぁ、うん。と言葉を発した。

「えと、それは要くんにしかわからないよね」
「そうですね。でも、俺にもわからないんです」
「そっか。……俺も、要くんのことをいつ好きになったかなんて、わからないよ」

先生の手が、俺の髪をくしゃりと撫でる。そして、そのまま言葉を続けた。

「俺はね、人を好きになるのって、水が広がっていくのに似てると思うんだ」
「水、ですか?」
「うん。例えば、水を零したとするよね?そうすると、ゆっくり、じわじわと周りに広がっていくでしょ?でも、その動きは端の方へいけばいくほど目では確認しにくいものになる。いつの間にか、あんなところまでって。恋もそれと一緒じゃない?コップの水を零すみたいに、きっかけとなるものがあって、そこからじわじわと好きって気持ちが広がっていくんだと思う」

なるほど。じわじわと、ゆっくりと、好きの気持ちで心が満たされていく様は、たしかに水と似ているかもしれない。きっかけがはっきりしないのもそのせいか。だって、水を零したとき、どの水の粒が最初に床や机を濡らしたかなんて、わかりっこないのだから。
どこまで広がるのか、終わりの見えない先生への好きという気持ちは、きっと浴槽一杯の水を零しても足りないのだろう。

- END - 





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