A requiem to give to you
- 逆位相の交響曲・後編(4/11) -



ヴァンは面白そうに、濡れて下がってきた前髪を手で掻き上げながら笑った。



「今のは少しだけ焦ったぞ」

「どの口が言ってンだか」



全然余裕そうじゃねーか。

奥歯を力一杯噛み締めながらそう返せば、ヴァンは「本当だ」と否定する。



「僅か二年足らずでここまで磨き上げるとはな。だからこそ、惜しい」



グレイ、とヴァンはこちらを見据える。



「今からでも、再び我らの手を取らないか。今のお前では、何もかもが中途半端だ」

「あ?」



米神が震える。譜業銃を握る指に力が入るのを抑えていると、ヴァンは続けた。



「力も、思考も、そして…………お前自身の覚悟も。何を考えているのかはわからないが、少なくとも私には………お前は何かに迷っているように思える」

「……………例えそうだとしても、それがテメェらに手を貸す事と何の関係もねーだろ」



そうだ。真実から目を背けて、色々な事から何かしらの言い訳をして逃げているのは確かだ。記憶の事も、家族の事も、そして………タリスの事も。

しかしそれはあくまでもこっちの内情であって、この世界の人々には何の関係もない。それにヴァン達に協力すると言う事は、フィリアムとの約束を破る事になる。それだけは、絶対にしたくはない。












もう、大切な人達の絶望する顔を、見たくはないのだ。



「何と言われようとも、オレはあんた達には着いて行かない。つーか大体、前に人との約束を盛大に破っておいてふざけた事を抜かしてンじゃねーぞこの栗毛侍がっ!」



忘れたとは言わせねェからな、といつしかの事を思い出し沸々と怒りが込み上げる。そんなグレイに、彼が決して折れる事はないとわかったのか、ヴァンはそうか、と呟いた。



「それは、非常に残念だ」



そう、言い終わるが早く、ヴァンは何かをこちらに向けて投げつけてきた。剣を握っている以外に手元が全く見えておらず、グレイは慌てて譜業銃を盾に防御態勢をとる、が……



「っ!?」



投げて来たのは先程己が奴に向かって使った苦内だった。頑丈な、それでいて非常に透明度が高く、見え辛いワイヤーが取り付けられたそれは譜業銃ごとグレイの右腕に巻き付くと、ヴァンは力一杯手前に引っ張った。

流石にそれは予想外だったグレイはバランスを崩し、かかる力に逆らえずにヴァンの足元に引き摺り出されてしまった。



(ぬかった……っ!)



直ぐに起き上がろうとしたが、それはヴァンによって右腕を足で踏まれ、押さえ込まれた事によって阻止された。先程とは真逆の戦況にグレイはヴァンを睨み上げ、視線を受けたヴァンはワイヤーを持つ手とは反対の手に握られている剣を彼に向けた。



「預言のない世界から来た者とは言えど、所詮は戦いとは無縁の脆弱な人間だ。最初から敵うなどとは、思ってはいなかっただのだろう?」



ヴァンは先程までとは違う、冷たく刺すような目でグレイを見下ろす。それに背筋が凍りつくような感じがしたが、決して怯む様子は見せずに黙って彼を睨み続ける。



「殺す覚悟も、切り捨てる覚悟もない者が、私と対等に戦える筈がない」



右腕を踏む足に力が入り、思わず顔を顰める。



「鍛えれば、六神将に並ぶ力を手に入れる事だって容易かったであろうに。我らの計画が成功すれば、何の邪魔もされずに……貴様だけの自由な時間を得られたと言うのに。………余計な重荷だな」

「っ、ごちゃごちゃと喧しいンだよ。別に、オレが今やりたい事が出来りゃあ……何だって良い。他人にとやかく言われるのが、一番嫌いだ………特に、テメェみたいな自分の利益の為だけに人の人生を平気でぶっ壊しまくるような奴にはなっ!!」



彼に利用され、裏切られた者は果たしてどのくらいいたのだろうか。確かに彼の記憶を見た。彼自身が世界を、預言を恨む理由はわからなくはなかった。けれど、それを憐れむことはあれど、同情などは絶対にしなかった。

結局のところ、彼自身がやろうとしている事もまた、自己満足にしか過ぎないからだ。その為に関係のない者達の気持ちを踏み躙ったり、世界を、命を奪って良い理由にはならない。

ヴァンは怒りに震えるグレイを変わらぬ温度で見下ろしていたが、やがてどこか訝しげに目を細めた。



「………どうにも、その目には既視感がある。色が変わったからか……? それとも、」

「テメェ………人の言葉ガン無視で何をブツブツと言ってやがる! 動く気がねーなら、一発殴らせろ!」



グレイは怒りに声を上げ、空いている左手に再びナイフを取り出す───が、



「残念だが、貴様の舞台はここで幕引きだ」



そんな声が鮮明に耳に入ってきた。それと同時に、己の右腕から普段聞かないような、とてつもなく鈍い音が鳴り響いた。



「───っ!?」



あまりの衝撃に、一瞬何が起こったのかがわからなかった。思わず視線をヴァンから音のした方へと向ける。そこには本来ならば向かない方向に曲がった、己の右腕があった。

それを自覚した時、遅れて激しい痛みが襲ってきた。



「ああぁぁあああああぁあああっっ!!!??」



今まで体験した事のない激痛。痛みには比較的強いとされてきた己が我慢出来ずに叫び出す程の衝撃。思わず取り落としたナイフや譜業銃など気にする余裕などなく、自由だった左手で右腕を押さえる。



「はぁ………はぁっ………ぐ、ううぅ……」



少しでも痛みを忘れようと、荒い呼吸を繰り返しながら無意識に体を丸める。そんなグレイの頭上から、冷笑が降ってきた。
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