知らず夢を見た。穏やかに微笑むファントム、その傍らにはペタがいた。まるで今朝を巻き戻したかのような夢に、満たされる。穏やかなこの世界の存続をロランは希求した。神に祈願するよりも純粋に、一途に。しかし純白はやがてくすみ、脆い灰へと化してしまう。
 暗く淀んだ空気。肺を冷気で満杯にされ、ロランは震えた。寒さや息苦しさよりも、寒気をもたらすもの。
 眼前に、あの男が立っていた。

「何故、殺した」

 あの男が言った。ごぽりごぽりと血の溢しながら、繰り返した。刺すような視線は、痛みとなってロランを襲う。穏やかだった男は、今や暴徒のように惨い言葉をなげかける。激痛に苛まれながら、ロランは吼えた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……でも僕は、こうしてしか、生きられない……!ファントムと供にしか、生きたくないんです!」

男が笑った。

「なら、死ねばいい」

 脳裏に言葉が生まれたと同時に覚醒した。夢の土産である冷や汗が、生々しく鎖骨を辿る。起きて初めて、惰眠の存在に気づいた。辺りを伺えば、夜は過ぎていなかった。
 ペタは未だ帰らない。事実は辛く、夢よりも脳裏を傷つける。血に彩られた夢想の方が、ロランには安らぎとなった。あの男の虚ろな瞳は恐ろしくとも、一人ではないと教えてくれる。例え首に回された手であろうとも、暖かいことには変わりない。
 死より、孤独に怯臆した。生命としては歪んだ在り方で、人間としては哀れな在り方だ。自身を構築する骨や肉よりも、他人の熱が糧になった。

しかしロランはあの男を殺した。

 何より恐れた孤独に、身を投げ出していた。男が死んで、もし誰もロランを見つけなかったら。もしペタに捨て置かれたら、ロランはもう何も持たなかった。残るのは怯懦で無力な罪人だけで、誰にも必要とされない。

「ファントム……」

 名を呼ぶ。共に生きることを望み、またそれを望んでくれた人間の名だ。永遠の別離を忘れるための刺青は、誓いとして残っている。ロランは小さな紋様を指で探し、服の上から掴んだ。
 彼の人以外は不必要だと。ロランは何度も自身に言い聞かせ、誇りにした。しかしファントムにはペタがいた。誰よりも近い二人の距離は、互いを束縛し続けるだろう。
 ロランがファントムを唯一と崇めても、ファントムにはペタがいた。それは辛苦に他ならならない。ロランは惨めさを自覚していた。たとえ魂すら捧げようとも、ファントムの一番にはなれない。
 嫉妬は捻れ、ロランはペタを目指した。ペタの強さと優しさは、それでも未だに掴めなかった。ペタになることなど、到底不可能と分かっている。

分かっている。

彼は、遠い。

「……ッ!」

 叫び出す代わりに、立ち上がった。破裂しそうな心臓を抱え、裸足で床を蹴る。足裏を刺す冷たさに背を押され、夢中で扉を越えた。途端、尖った石がロランを拒絶する。熱のような痛みは、悪夢の再来だ。全てを憎むようなあの男の影と、それすら亡くした世界。生命の蝋燭は消え去り、光はもう灯らない。
 真っ暗だ。瞼の裏に巣食う黒より深く広い闇だ。森を食い荒らし、月光と星の瞬きすらも飲み干した。自身を見失いそうな中、ロランは魔力を絞り出した。
 涙のように魔力を溢す。無駄な足掻きと分かりながら、力を求めた。それがファントムがロランに願った唯一だった。乱れた集中で愚かにも魔力を練る。腐蝕した魔力ばかりが生まれ、ARMには拒まれた。強くならなくてはいけないのに、それすら出来ていない。ファントムに捨てられない強さが欲しい。
 ぱちりと、ARMが弾かれた。掌に納めて限界まで魔力を食わせ、爆ぜてしまったのだ。発動には至らなかったのは、魔力が濁っていたから。贋物のようなARM一つ、まともに使いこなせない。

「どうして……」

自分はこんなに弱いのか。

 草原に倒れ、夜を見た。星はこうごうと空を彩っているのに、明るくない。遠い星明りに手を伸ばし、掴んだのは虚無だ。

届かない。

ロランは、黙した。





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