暗い
くらい



act1...闇への扉




命を玩んだ罰だ。
闇に閉ざされた牢獄で。蟲になった彼女を前に、イアンは思った。

 震える指先でなでる、彼女の輪郭は得体が知れない。元は締まった足の筋肉も、今は見る陰すらない。
 水が一杯の風船のように、蠢く下半身。水もないのに、濡れているのは粘液だろう。蟲なのだ、もう人ではない。

 制裁とは名ばかりで、これはそんな生易しいものではない。みせしめを込めた罰は、予想以上に重くのしかかる。
 誰が施したか、それをイアンに知る術はない。こんな生き殺するような、真似を。
 抱き上げることも、不可能な無力を呪った。半端に彼女に触れて、安寧する現実は酷く、恐ろしいものだ。

 救いを渇望するだろう彼女から、伸ばされた手は淡い。
 抱きとめる腕に力を込めれば、破裂する。そんな気がして、こうして輪郭をなでることすら戸惑われた。
 彼女が伸ばした、人の形を留めた手。変わらない白さに、そっと手を重ねた。 触れるだけでも、これ程までに儚く。砂の城のように、脆く崩れてしまいそうだ。
 愛おしむように、イアンは柔肌に口づけた。甘い香りは、今の彼女には合わない。

 女らしさを嫌う彼女に、イアンが冗談で渡した香水。桃色の瓶に詰められた、控え目な香りは、彼女によくあうと。
 渡したとき、呆けたように目を丸くさせた彼女。一拍おいて、顔を赤くさせた、小さな声の「ありがとう」も覚えている。
 柔らかな笑みを守りたい、と強く感じた。強がることはしないけれど、男だらけの場所でずっと胸を張っていられる、その強さを受けとめてあげたい。
 毎日ほんの少し、二人だけの秘密のように漂う甘い香り。仮面と外套に隠されても、甘く色づく空気に、笑いあった。
 銀色の指輪の代わりに、二人を包む幸せ。
 こんなところで感じた、彼女の面影。たまらず、彼女の胸に顔を埋めた。もっと香りを味わいたくて。

「っう、ああアア!」
体を、離す。 全身に感じた、人間ではない感触。
 これは彼女以外の、なにか別のものだ。目を背けた心から金切り声が上がる。
 生理的な吐気を無視できないのは、埋めた顔に感じた何かが胎動していたから。
 鼓動とは別の所、彼女はもう彼女ではないと弱い心が暴露する。

「これはギドなんだ。これ、は…ギドなんだ」

 説明して欲しい。何故自分の唇震えているのか。腕にこめた力が意図せず弛んでいるのか。

「俺っちのせいで、ギドはこうなったんだ。俺っちが怖がってどうする」

 一際強く、抱き締めた。ぷちりとなにかが潰れるような、人ではない音が響く。
細胞が拒絶するのを必死で、黙らせ。更に更に、力をこめる。華奢な体に骨の感触はなく、折れそうな体に腕が沈んだ。

「あっ、あー」
「ギド…愛してる」

 ここで離したら、闇に落ちる。形が変わっただけの恋人を、愛せないのか。彼女はきっと、待っているのに。
 これは罰だ。馬鹿だった自分に、神様がばちを与えたんだ。

暗い、くらい闇の傍らで、イアンは必死に彼女を抱いた。


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