嘘だった。湖に自覚はなくとも、それは大罪を犯している。即ち、欺瞞。純粋を見せかけ、底の内に隠した汚さ。泥土を沈黙させ、光で多い隠した卑劣さ。許されざる、罪だ。
 汚い。汚い、穢い。湖にあるはただの泥寧であるのに、イアンにはそれ以上の醜さで映った。美醜を越えた嫌悪感の源泉は、同族嫌悪だ。
 全ては、嘘。ギドが喚いた声は、真理になって立ち塞がった。透き通したのは表面で、その下に押し込めた黒がある。
 ギドだけを見てる。そのつもりだった。しかし、違う。ギドを見る度、彼女を思い出していた。愛を誓う度、彼女の思いを考えていた。
 かつて一つだった愛は、記憶に裂かれてしまう。それが生きることなら、哀しくて愚かで恐ろしい。生まれてから、純粋だった魂をどれだけ汚した。それでも尚、地上に這いつくばる輝きはありますか。
 何もかも、暗い。生きるもの在るもの、全てが闇を居っている。存在し始めた刹那から、治りようのない傷を溜め込む。傷痕は呆気なく膿み、闇になる。つまり在ることは、闇になることだ。ただ誰彼もがそれを認めたがらず、嘘で固める。
 イアンはそれで、動けない。嘘だと分かって、すぐに捨てられるものなど持っていなかった。汚いから手を離すとは、随分と都合のいい絵空事を並べる。そんなこと出来やしないから、苦しむのだろう。
 ギドのように。
 彼女のように。
 また並べて、考えている。もう汚れはこびりついて、取れることはないだろう。
 汚い。汚い。誰よりも嘘つきで、救えない。

 それでも、手を伸ばした。

 ギドにではなく、沈んだ約束を掴もうと足掻く。蔑んだ瞳がギドから注がれても、指輪を手放すことはギドを手放すことと同義だから。
 必死に懸命に、一途に。汚いだけの土を浚って、見つけた。固くて柔らかい重さは、自然の石ではあり得ない。滑らかなそれを引き上げ、太陽に晒す。
 光が損なわれていないか。劣化してしまっていては、守ったことにならない。イアンは目を凝らして、細部まで検分した。
 所々、指輪を装飾する土。丁寧に落としながら、消えない汚れが視界に付く。土ではない、もっと根本にある劣化だ。指輪の輝きをほんの少し、鈍くするそれら。つまり年月の証明は、薄い膜のように存在していた。
 汚い。あれほど神聖な誓いですら、時は傷つける。抗えない劣化を、彼女は気付いてなかったのだろうか。いいや、気付いていた。だって、擦った跡がある。
 すがるように磨いた。そんな風に思える細やかな傷は、それでも最初の美貌を取り戻すには至らない。

 しかしそれでも、指輪は綺麗だった。

 ずっと綺麗だった。輝きを、思い出を守ろうとしたキメラ。アイリンであった嘗てを、忘却に託しはしない。辛苦にまみれた過去を、無いことにはしなかった。
 時が彼女を歪めただろう。身を獣に変え、復讐の神に心を捧げた。それでも、それでも、だ。この指輪は、光り輝いている。

「馬鹿、だ」
「……なにが?」
「俺っちも、お前も、大馬鹿さ!」
「誤魔化すつもりなんですか!強い言葉で言えば、騙せるとでも?」

 やはり、貴方も。ギドはそう言いたいのだろう。敵意を宿した言霊に力はあったが、イアンは耳を塞ぐ。そんなことに意味は存在しないから。

「そうじゃない。……底に泥が溜まっていても、ここは綺麗だろう」

 沈黙を落とした湖は、光を生んでいる。眩しさと同義の輝きは、黒い視界を照らし尽くしても尚明るさを保つ。波と共に揺れる光は、ゆらゆらと優しさを孕んだ温もりだ。

「ここは、綺麗だ」
「……はい」

 小さく頷いたギドは震えていた。
 この波のように。

end



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