馬鹿馬鹿しい。そう言ってしまいたい程、広い部屋だった。それなのに置いてあるのは、小さな食卓と三つの椅子のみ。やたらと庶民的なそれらは、部屋とは一線を画してた。
 現実感がない。釣り合わない部屋と、家具。そこに呆れるほど馴染んだ、この男が。

「ご飯を食べる部屋だよ」
「大きい、な」
「まあね。でも必要ない。どの部屋も広すぎて、住むには不便だ」

 そうかもしれない。一つの机に、椅子は三つなのだ。これっぽっちの家具で十分な人数しかいないなら、この広さはいらない。

「君で、この城の住人は四人になる。嬉しいよ」
「……まだ、住むとは」
「ここを出たら、殺されるよ」

 また、だ。男はあっさりと、アルヴィスの知りたい事を漏らす。捨てるような態度に反感はあるが、真実は受けとるしかない。
 住むか、死ぬか。不自由な二者択一は、前者に傾いている。監獄みたいな城で囚われようとも、殺されるよりはましだ。ロランもきっと、そう思っただろう。

「それは、村の者にか?」
「うん。君は賢いね。そうだよ、外に逃げようとすれば殺される。あの村は、そのためにあるんだ」

 それは、一体。意味を問おうとして、止めた。聞いてしまえば、猜疑にまみれることになる。村人は薄情と憐敏を兼ね備えていたから。まだ色が混在するキャンパスを、黒に塗り潰すには早い。
 それに。それにこの男が義であるか、アルヴィスには分からない。全て信じることも出来ずに、何を問い質せばいい。賢明に踏み止まり、アルヴィスは別の疑問に心を向けた。

「それで、ロランは?」
「ここに住んでるよ。呼ぼうか?」
「お願いする」

 柔らかい。ただ、そう思わせる笑みだ。仮面で上半分が隠れた表情に、暖かさだけが見える。恐らく一生、アルヴィスには不可能な顔だ。
 才能といえば、そうなのだろう。胡散臭く、仰々しい衣装を忘れさせられる。人心掌握に長けた男を、アルヴィスは脅威に思った。

「ちょっと待ってて。この時間なら、多分中庭にいると思う」
「そうなのか」
「それじゃあ、待ってて」

 静かになった。男一人が消えただけで、全ての音も等しく消えた。生命の息吹とでもいうべき気配すら、ここにはない。
 自然と、己の音が耳につく。荒い呼吸、震える手足の衣擦れ、早鐘を打つ鼓動。押し潰されそうな息苦しさは、十年の恐怖がもたらすものだ。長い年月を隔てて、やって来たのは救いじゃない。ロランに何かを与えられる自信はなく、アルヴィスは怯えた。
 拒絶されるなら、まだ救いがある。真実の恐怖は、忘却の白に取り残されることだ。取るに足らない存在だったと、脳髄から否定される。

忘れられていたら、どうしよう。

 想像して、身震いした。無垢なあの瞳で、初対面の挨拶をされる。差し伸べられた絶望に、どんな顔をしていればいい。
 自業自得。短い言葉でも、アルヴィスの胸を占拠するには十分だ。十年よりも多く足踏みしていた事実は、消えない汚れだ。太陽が持つ黒子に似た、熱い絶望の形。
 アルヴィスは時が凍りつくのを願った。このまま無言が続き、男の足音が響かなければいい。そうすれば、ロランの心を知らずにいられる。

「今更、何言ってるんだ……」

 十年以上、外で生きたのはアルヴィスの意思だ。ロランの末路から目を逸らし、生を甘受したのは夢ではない。そして今、ここにいるのも選んだ道だ。己に都合の良い世界だけを渇望して、その他を拒絶するなんて馬鹿じゃないか。
 後悔して、どうする。アルヴィスに出来るのは、受け入れることだけだ。
 拒絶されても、忘れられても。それがロランの意思なら、尊重するしかない。

「お待たせ」

 男の不在は終わった。夜に怯えれば、日は早く暮れる。来るな、と願う心を嘲笑われた。逃げ出す暇すらない。決意を新たにしても、恐れは形を留めていた。

「感動の対面だ、と言いたいんだけど」
「何か……」

 言葉が出ない。予感は預言みたいに、実現するのか。頭に響く声は、運命を司る女神かもしれない。恐怖が影を持つのは、案外簡単なんだ。
 大丈夫。大丈夫だと、胸中で呟いた。ロランがいるなら、それでいい。嘘を真にしようと、何度も繰り返した。

「ロランは君に会いたくないって」





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