物語の始まりは奇妙な掟だ。老婆が粛々と語り継ぎ、翁によって封じられるそれ。アルヴィスの村において、何よりも権力を持っていた。不可解で絶対的で、不可侵な不文律である。 古きが棲む村は、変化を敵と見なす。異邦人からすれば愚かなしきたりでも、破ることは許されない。 曰く、外れの城に立ち入ってはならない。 子供達は童歌よりも早く、それを教えられる。理由を尋ねることを許されず、ただ守ることを強要された。 誰も疑問に思わない。思っても、口には出さない。なぜなら、掟は生よりも重いから。死をもってしても償えない十字架を、課せられるらしい。 眼に写したことはない。どんな責め苦を追うのかは、深い闇の中だ。 けれど、残酷な現実は知っている。アルヴィスの二十に満たない時の内、罰を受けた人間が一人いた。赤の他人なんかではない。親友と言って差し支えない、友人だ。 正確な年月に意味はない。ただ十年よりは前とだけ。ただ、寒い冬の日だったとだけ。 村人に引き摺られ、彼は泣いていた。小さな身体を震えさせながら、小さく声を震わせながら。集会所に集まった大人達に、必死に詫びていた。 遠くからでもその風景が、異常なことぐらい分かる。子供とはいえ、乳呑み子ではないのだから。それでも大人達が子供達から彼を隠さなかったのは、見せしめだろう。 破れば、こうなる。無機質な無数の瞳に見下ろされ、許しを乞うても無視される。そもそも誰に詫びればいいのか、誰も教えはしない。 「ごめんなさい」と、何度も。とうとうそれだけを口にしながら、彼は何処かに連れて行かれた。 それから、彼の声は聞かない。最期の言葉にしては、あんまりだ。 嘆くことも許されなかった。彼の姿が見えなくなっても、彼は消えない。当然を大人達はねじ曲げた。彼の両親、親戚、友人。彼に繋がっていた全ての人間は、忘却を強要された。彼の両親すら、それを感受した日は雨が降っていたと思う。 彼を知っていた人々の群れ。その中で、今でも彼を思うのはアルヴィスただ一人だ。 許せない。憎しみすら抱きながら、アルヴィスは生きていた。胸の内で燻り続ける感情に、名前をつけてから十年より長く。 アルヴィスは、城門前にいた。 震える足を奮い立たせる。日常を捨て、異常を手に入れるのだ。怯えることを否定の海に投げたりはしない。 「よし」 呟いて、一人。錆で出来た門を開く。門の重々しい溜め息は、かなりの時間を感じさせた。どれだけの間、動かなかったのだろう。恐らく、十年よりは上。 禁忌、禁断、許されざる。どれだけ言葉を並べようとも、やはり肌で感じることには敵わない。そびえ立つ城が放つのは、威圧感と軽々しく表現出来ない何かだ。 華美だったろう外装は、蔦の巣。整然としていただろう石畳の道は、獣道よりも凸凹だ。ぼうぼうと生い茂る草花に、虫はどれだけ住まわっているのだろう。 生唾を呑み、覚悟を確認した。無事に済むとは思わない。なあなあで済ませる気も、ない。 ここに何があるか。子供達の噂では、化け物が住み着いていると。大人達の言葉では、亡霊が住み着いていると。そのどちらも、生きた存在を肯定しない。 しかしアルヴィスは知っている。ここには、生きた人間がいる。 それは昨日。小鳥の朝よりも早く、薪を広い出たアルヴィスは見た。場所は、この城の裏手の森。内容は、見知らぬ青年と騎士。温厚そうな青年は、騎士から大きな何かを受け取っていた。それが何かは分からない。状況を整理する内に、青年は城に消えた。 身震いがした。青年が城に入ったからではない。その青年は、かつて掟を破った少年に似ていた。 生きているなら。もしもう一度会えるなら。十年よりも長い間溜め込んだ思いは、簡単にアルヴィスを押し流す。 もう戻らない。 アルヴィスは、扉を開けた。 ⇒ |