今宵、無くなる君へ


「痛いと思う?」
「存じ上げません」
「素っ気ないね」

 何時ものことか、とつけ足す主。壊れた人形か、狂った人間のように笑っている。無垢な子供を装うのは、恐れを湛えることを恥じているからなのか。
 滑稽だ。道化よりもおどけた彼を、いとおしむ自分が。恐怖に身を委ねられず、ただ笑みによってのみ狂気を表す彼。どうしようもなく、哀れで美しい。

「私は、何も存じません」
「知ってるよ」
「ですが、貴方が望むのならば、私は全てを知る身になりましょう」

 本心でしかない。ファントムの望みは、全て容易い。彼が欲したその瞬間から、不可能と可能の区分は溶けだすのだ。もっともそれは、ただ己の心内のみに限られる。
 彼がその恐れを知りたいのなら、犠になろう。
 ペタは待った。ファントムが是を示す未来を、一途に思う。伏せられた睫毛、その色を確認するように、ひたすら。

「君は、完璧な従者だ。僕に勿体ないぐらい優秀だよ。だから、あげる」

 ファントムは右手を掲げた。それに付随して、黒い刺青がこちらを覗く。禍々しく光を食むそれらは、己よりも醜悪だ。

 憎い、とすら。

 でも、それは、恐れているからだ。

 彼の主。己にとっては主の主は、今日だと言った。この太陽が沈み、また昇る頃には、悪趣味な刺青は失われる。そして、ファントムの命も失われる。
 呪いではない。けれど祝福でもない。ファントムが望み、与えられた夢。具現化した永遠を、忌々しく思う。もしかしたらこれは、全てを奪うかもしれないからだ。光だと思ったら闇だった、なんてのはありふれている。
 ファントムが失われたら。何に縋って生きたらいいか、分からない。

「何時か、これをあげる。でも今は駄目だ」
「何故」
「君が完璧で、僕に必要だから」

 この顔は、知っている。彼が恋しい人を亡くした、あの時に見た。薄笑いは変わらず、絶望は瞳が教えてくれる。

「私は、貴方の為に死ぬ為に、生きております」
「初耳だ。君がそんな無駄が好きだったなんて」
「恐ろしいのなら、私の命を使って下さい。貴方のタトゥーが回りきる、前にどうか」
「……どうすればいいのさ」

 失言をしたらしい。笑みは純粋に保たれたまま、ただ声色だけが変わった。微かに荒立ちを呈し、ファントムは動いた。
 近距離で見つめ合う。だがそこに、甘いものはない。ペタはぼんやりと、これからを夢想した。霞がかった未来が、黒い事しか分からない。

「ねえ、どうすればいいの?これは、もう、止まらない」
「手立てはあります。キングもそう仰っておりました」
「仮にこれが解けた所で、それを彼らが許すとでも?」
「いいえ」

 嘘は言えない。忌憚のない、と飾れば立派だ。ただ夢を見させてやることが出来ない、それだけなのに。 不出来な従者だ。主に汚泥に近き言葉しか、与えることしか出来ない。偽りでもいいから、彼に灯りを掲げられないものか。
 不可能だろう。ペタは悲しく、顔を振った。苦渋が滲んだ面は、仮面と称される素顔を崩している。

「なら、このままでも一緒じゃないか。それに僕は、そんなに恐れてやしないよ」
「貴方が、そうであることを望むならば、肯定します」

 ですが、と付け加えようとして止めた。ファントムの決定に反逆することは、遠い昔に落とした筈だ。
 ああ、やはり。己は不出来な従者だ。彼は、ファントムは恐れているではないか。どうして肯定する。どうして慰め、憐れまない!

「泣きそうな顔、してる」
「……貴方が失われたらと思うと、悲しい。それなのに、何も出来ないからです」
「ありがとう。僕にはそれで、いいよ」

 良くない。これで迎える結末など、何一つ幸福はない。
 しかし、もう何も出来ない。
「貴方は、何故泣かないのですか?」
「恐いけどね、一番じゃないから。僕はどうやら、自分を一番に出来ないみたいだ」

 吐息が分かる。至近距離で見詰められ、見詰め返した。紫煙の瞳は、ようやく真実の笑みを見せた。

「君が無くなる方が、恐いよ」


end


top
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -