+真っ暗でも+


 よく知った靴音が響く、廊下で。ガリアンは秘密の内に、顔をしかめた。
 運が悪いとしかいいようのないのは、一番会いたくない人物が、此方に向かっているから。
 ひとつ。また、ひとつ。雨垂れを数える速度で、少しずつ近づく音。逃げ出そうか、考える間も与えてくれない。
 会いたくない。出来るならば、二度と。勿論そんなことは無理だとガリアンは知っていたし、またそうする気もなかった。
 ペタが角から顔を覗かせると、ガリアンをまだ知らないその瞳に、浚われる。
 鈍い頭痛じみた精神の唸り、奥歯を噛み締めて耐える。このまま気づかなければ、いいのに。
 誰にも明かさない奥でのガリアンは痛切に、祈る。

「どうしたんだ。こんな夜中に?」

 有無を言わさず責める瞳は、誰かと間違える筈ない。ペタの黒い瞳孔は、確かにガリアンを掴んでいた。

「気晴らしの散歩、だ。それを言うなら、お前だって」
「私は見回りだ。同じにするな」
「似たようなものではないか」

 何か言いたそうに、唇が結ばているが、ガリアンは敢えて気づかない降りをする。無理に言葉を促して、浴びるのが辛辣な痛みでは。
 それでなくとも、今の気分は最悪だ。わざわざ更に苦しみを追加する趣味はない。
 出来ることなら、なにもかも知らぬ振りで通せればよかったのに。几帳面にして潔癖な己の性格に、何度もガリアンは呪いの言葉を送った。

「そういえば、聞きたいことがある」
「なんだ?言え」

 ガリアンの潜めた囁きに、ペタは不満そうな声色で答えた。

ああ、痛い。

 どこが、と問われれば、陳腐に胸としか言えない。でも確かに、心臓とは違う、胸の奥が絞めつけられた。
 締めるその手は、残酷なほど白い。何度も重ね指を絡めたその手は、今からガリアンを握り潰そうとしていた。
 それすらも、幸せと語れる、キャンディスがちらりと浮かんだ。そんな風になりたかった。それは、無茶な願いごと。
 他人に憧れて、目標にしたりするのは馬鹿なことだ。何か一つ変わるのか、他人に縋って、他人を求めて。 これを知らせたのは、他ならないペタだ。
 目配せをして、小さく「ここでは言えない」と囁けば、賢いその人はなにか気づいてしまう。
 そっと視線を外したままのガリアンに、ペタの唇が重なる。廊下では不味い、と思いつつ、本能は久し振りの感触を貪った。

「っん………はぁ」
「……どうだ、その気になったか?」

唇を舐めあげ、挑発された。見つめあえば、在るは深淵。

 いつからだろう。ペタとこんな、互いを求めあい、喰いあう関係になったのは。多分、ずっと前。
 誘われて、応じた。甘い言葉を囁きあいもした。だけれど、いつからだったのかが、どうしても思い出せない。
 頭の底から、沈殿した記憶を浚って。汚れた水の中、両手を汚しながら甘い蜜を探した。甘い記憶の蜜を。
だけれど蜜は、泡になって消えたままだ。



「ファントムと、寝ただろう」
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