2


 昔となに一つと変わらない、暗い闇の洞窟。
 変わらない世界に彼女は救われないで、縛られたまま。
 緑色の絨毯にも似た、されど悪趣味な植物を踏みつけ、ファントムは再深部を目指す。
 ふかふかに繁った植物たとに紛れ、足をとろうとする、死んだ者。
 片手を上げて、久しぶりと挨拶をすればそそくさと退散してしまった。
 しばらく進めば、開けた場所に出られる。日の光は無く、亡霊たちに照らせれた廃船が変わらず佇んでいる。
 彼女が愛した海と船こど。魂すらも閉じ込められた暗い墓標。未だ出られない彼女は未だ会いにこない。

「きたよ、会いに」

 答える声のないことに、ファントムはわずかばかり肩を下げた。
 彼女が愛でた、白い花。毎年供えにきて、毎年後悔をする。

 咲いているから。生きているから。美しく、意味がある。
 最期の日に彼女は深海色の瞳を濡らし、ファントムに呟いた。とじた瞼の裏で、深海は暗く揺れる。
 死んでまで。憎むことは、それは、哀しい。
 なぜ泣くのか、分からない。ファントムが首を横に振れば、彼女はまた深海色に水を注ぐ。
 あふれないように、必死で蓋をして、必死に伝えようとした言葉は。

「まだ、許してはくれないみたいだね…またくるよ」

 花束を小さな海に投げて、ぱしゃんと跳ねた音をきいた。波間にあがいた白い花は呑まれ。
 腐った木の一つも。繁った植物の一房も。なびかないまま、ファントムは体を反転させた。

「やはりここでしたか」

 すっかり変わった視界には見慣れた三角帽子。彼の長い裾が、小さな染みをつくっているのをファントムは見逃さなかった。あがった息を鎮めきれずに、彼も花束を握っている。

「あ…ペタ。分かっちゃった?」
「分かってますよ、あなたのことならば…」

 ペタの黒い瞳は斜め上、壊れた帆船にむかう。ぎしぎしに揺れる底板はすぐにでも、壊れてしまいそう。
 千切れて、飛びたった帆は世界の果てに辿りついたのか。それとも、まだ。

 あの深海色の瞳のかわりに、黒い瞳をみるようになってから。ずっと変わらない。ぼやける視界を拭いきれず、地面にはまるい痕。
 足に力をこめるのが、ただひどく面倒臭かったから。
ファントムが寄りかかるのを、ペタは黒衣で包みこむ。
ファントムはどこか冷静な頭の底で、情けないなと思った。

「もう…君しかいない。もう、いないんだ」

今日だけは。
 染みが増える布は今日だけ、と。沈んだ花束が浮かばないのは分かっているから、今日だけは。
 初めて愛した女性のなかに、自分はおらず。
 人として愛した女性は、自分の前にはおらず。
 咲かない赤い花と、枯れてしまった白い花を両手に抱えて。いま、ファントムは黒い花のなか。
 背中を上下する、優しい両手。降りそそぐ暖かい水、君も泣いているんだね。
二人しかいない世界で。


end


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