+知恵熱+


暑すぎるのだ。

 顎から垂れる汗を拭いながら、キメラは格子硝子の向こう側を覗いた。悪趣味な薔薇庭園は太陽に彩られ、大袈裟に輝く。
 真っ赤に時期外れな花を、隠すことなく披露する薔薇。じっと外を見据えたまま、キメラもう一度汗を拭った。

暑すぎるのだ。

 緩やかな陽は優しいまどろみと、厳しい熱ををもたらす。填め込みの格子窓にとりこんまれた日光は、存分に廊下を蒸した。
 面の底から染みでる鬱陶しい汗に、いい加減閉口する。着地を幾度繰り返そうとも、物足りないらしい。
 血よりも滑らかで、水よりも柔らかい。額から下降した汗は塩辛く、キメラは顔をしかませた。
 繊細に面を撫でれば、神経を暑さから遠ざけられた。ゆっくりと愛おしげに感触を確かめれば、滑らかな金属の触感が見える。
 雨風に晒すかわりに、血しぶきをたっぷり吸わせた。愛しい、仮面は今日もここにいる。
 あの人に替わり、生涯を共にするだろう。硝子に映ったキメラは、ふっと微笑んでみせた。
 水を吸わない、その欠点さえなければ。
 薔薇と重なった姿に、首にも汗がたまっているのを知った。袖で丹念に拭き取ると、微かに布は湿る。

暑すぎるのだ。

 相変わらず、風そよぐ庭園は悪趣味な造りのまま。咲き誇る薔薇が揺れれば、手入れをする人間がぼんやり脳裏に浮かんだ。
 赤に、黒と、白のペタは合わない。キメラは思う。せめて彼の瞳が赤ければ。
 夜の闇みたいな、底ない瞳には足をとられそうになる。だって、あの人の髪も同じ色だったから。屈託なく笑う度、自慢のつんつん髪が少しだけ揺れていた。
 見たくのないことばかりの世界で、これはその最たる。彼もいっそ、仮面を外さなければいいのに。
 キメラが浮かべる、死んだ人間と、死ぬ人間。若干の吐気と高揚感を代償に、二人を合わせ鏡に閉じ込めた。
 暫く鏡に己はいない。
 己など。この仮面の下には、無力で、愚かだった過去がいる。
 顔の傷がじくじく痛んだ。責めているみたいに。

 部屋の鏡という鏡を叩き割ったのは、まだ新しい記憶だ。
 握り締めた手は、予想を上回る固さ。素手で砕いたのに、不思議と拳は痛まなかったのを覚えている。
 そういえば、その日も今日のように暑かった。
 熱に冒された頭は、時々とんでもないことを考えるのは知っている。
 破片を前に立ち尽くすキメラの替わりに、後始末をするペタが寂しそうだった、なんて。
 キメラが知る限り、ペタは何事にも興味を持たない。何にも、ファントム以外の何にも、執着したことなど、ない。
 これは体のいい幻想で、自分は熱病を患っている。寂しそうな彼はあの人に似すぎていた。

熱すぎるのだ。



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