満たないんだ 足りないんだ 欠けた器に注がれた水 なみなみと、洋盃に注がれた水が、端から底の穴から、溢れていく。 どんなに、水を注いでも底にある穴は、浚っていく。決して満ちることはなく。決して足りることはなく。 洋盃に注がれた水は冷たいがために、外面に水滴をつくる。手に持った瞬間、ひやりとした感覚は気持のいいものではなく。ペタは冷たいものを注ぐ度に、逐一拭き取っていた。 大雑把なファントムには几帳面だと、笑われるのだが。苦手なのだから、仕方ない。 そうやって、目立った水滴が全て吸いとられてから、口にする。 僅かな、少しの時間だけれど、温くなった水に顔をしかめる。そういえば、今日は暑かったのだと、今更ながらに思い出した。だから自分が冷たい水を飲んでいたことも。 ARMで冷やすのも、面倒臭いから。ペタは外気に熱せられ、本来の冷たさを失った水を飲み干した。 温い水でもって、熱った体を冷やせはしない。それこそ今更なことを、不味い水を飲み干してから思い出した。 足りない。 なにが、と訊かれれば返答できないのだが、確かになにかが欠落している。曖昧な感情に、堪らずペタは二杯目の水を飲み干した。立ち上がって、床に置かれた水瓶から、汲んでくるのは面倒で。いっそのこと、水瓶を洋卓の上においてしまいたい。しかし、支える四本の脚のことを考えれば、気が引ける。 喉を潤して、体の欠乏を解消していく。それはそうだが、やはりなにかが足りない。 「それ以上は、体を冷やすから、止めときな」 三杯目になる水を、瓶から杓で洋盃に注ぎかけたところで。どこからか現れたファントムに手を止められた。 「しかし、足りないのです」 「なにが?」 「それは…分かりません」 「それ、6年前にもいってたよ」 ファントムに指摘されてペタは、やっと思い出した。そういえば、この渇きは始めてでない。 血と煙にまみれた戦場で。ペタは独り鎌を振るっていた。頭蓋に鎌を突き刺して、ずるりと引き抜く。 もう誰もいないのに。ペタの戯れは続いていた。 刃についた血糊はべったり、磨かれた光沢を鈍くする。普段なら、拭きとって終りだが。 なんとなく、渇いていた。 指先を傷つけない様、慎重に血を絡めていく。一定量、溜ったら溢れない内に、舌に載せる。 口内に広がる、錆びた鉄の味。そこに塩気が混じった、美味いとも不味いとも。これがなくなるだけで、人は死ぬのだと。そう自覚すれば、この味は不適説なのかもしれない。 これは命の味なのに。 どうにも、足らない。 血が飲みたいだとか、無責任な吸血衝動は抱えていないつもりだ。ただ、この錆びが命なのだとしたら、足りない。 命はあまりにも素っ気ないことに気づいてからだ。正体不明の渇きが、急速に体を支配したのは。今更、ペタは思い出した。渇く、というよりは、そう、水瓶。無限に潤いを吸いとる砂漠ではあるまい。いうならば、底に穴があいた水瓶。 限度はあるのに、貯められない。そんな感じだ。 全く意味がなかった。どれだけ水を飲んで、血で喉を潤しても。 穴から、溢れていってしまうのだから。 「で、どうなの?」 「全く、進歩しません。満たされない、ままです」 「ふーん…」 満たされない、多分死ぬまで。 end |