頷くのが精一杯だった。

「ありがとう。君の言葉を聞いてたら色々思い出しちゃった。あのね、私にもいたんだ。世界で一番好きな人、両想いだった。だけど悲しい別れ方をしちゃった」

 アルマはなんでもないことのように微笑んでいた。風になびく髪を抑えて彼女はロランに背を向けた。足元に映る彼女の後姿は漣で歪んでいた。

「彼はきっと一番に私を愛してくれていたと思うの。だけど彼には他にも大切なものがあって、それは何かで代わりが務まるものじゃない。そういうもの全部ひっくるめて彼がやろうとしていたこと、私は反対したんだ。……ただ幸せになってほしかっただけなんだけど、彼の幸せはたった一個だけじゃなかった。ええと、つまり私は、仕事と私どっちをとるのーと無責任に怒って、振られちゃったんだ」

 戯けて笑うアルマはしかし悲しみの海に溺れていた。愛する人に選ばれなかった哀切は文字通り胸を裂く痛みなのだと互いに知りすぎている。祈るように悲しみをこらえる彼女にならって、ロランも胸を抑えた。
 そこにはいつかの悔しさがかかっていた。捨てることもできずに形見の品と成り果てた鍵が物言わずにいる。もう長い間帰っていない小さな家を思い出して、ロランは再び海に溺れた。熱いものが瞳を浸して、刺さった棘はぬけないまま。

「生きているから、水も空気も食べ物だって全部必要なのに、たった一つ、私を選んで欲しいなんて酷いことを望んだと思うよ。君がその大切な人の特別になりたいと思うのも同じだ。君はもう特別だよ。彼の特別に大切な人がたった一人じゃないだけさ」

 ひときわ強い風が吹いた。全てを浚うかのような勢いは、水面を波立たせる。掻きまわされる足元に翻弄されながら、ロランは必死にアルマを見た。踊れる髪の隙間から微笑む彼女に言いたいことがあった。

「でも私はそれを信じられません!」

 瞬間、全てが崩れ去った。

 ロランの足元は消えさり、空白の空間に落とされる。身体は重さを感じないまま身体はどこまでも落下していった。すでに遠く去った景色のなかでアルマが笑っているのが見えた。このままでは彼女を孤独な世界に残してしまう。必死に手を伸ばすが、青は遠のき続けて届きそうにない。エル・ダンジュの発動を試みても魔力は通わず、打つ手なくただ落ちるに任せるしかない。
 また何も変わらなかった。醜い心は変わらず、今度こそ本当の地獄に落ちるのだろうか。ロランは諦めとともに目を閉じた。

声が聞こえる。アルマの声だ。

「ロランは優しいのね。私のこと心配してくれて。自分が落ちているっていうのに」

違う。優しくなんてない。

「そう思っているのは君だけだよ。……この場所、綺麗だなんていったけど、最初は怖かったの。でも、君が来て一人じゃなくなったら、途端に綺麗に見えたんだ。同じ景色だけど、感じ方ひとつで全く違って見えるものね。君の心も同じだよ。いくら君は汚いものに見えても、私たちには優しいとしか見えない。胸を張って。君は優しいし、愛されていた。それはその鍵が証明してくれる。その鍵は私が彼にあげたARMなんだ。彼からもらったARMのお返しにね。効果は――」

 残響を聞きながらロランは胸元を探った。光り輝いていた鍵を撫でると、魔力の律動を感じた。圧縮された膨大な魔力はどこか懐かしい色を帯びて、呼応する鍵は暖かい光を放ちロランを包む。瞼越しに伝わる光の奔流は命のさざめきのようにロランを運ぶ。

 次に現れた景色は現実だった。すっかり夜の明けたクラヴィーアの城だ。鼻につく埃と黴の匂いも、全身の倦怠感も全てが現実の重みだった。

「いたっ」

 掌に痛みが広がった。握りこぶしを開くとそこには粉々に砕けた鍵が、皮膚を裂いていた。太陽に照らされて光る欠片にはもうなんの魔力も感じない。
 この鍵をARMだとアルマは言った。あのとき感じた魔力は間違えるはずもなく、ペタだった。

「有り得ない」

 もしかしたらこれはホーリーARMだったのではないか。ペタはそれを知って、自身の魔力を渡したのではないか。命を落すような怪我を負っても、一度だけ守ってくれる力をもったARMを。
 君は愛されていた。アルマの言葉が蘇る。

「ずるいですよ、ペタさん」

 窓のないこの部屋に光が射し込んでいる。
 これが幸せなのだとペタが笑った気がした。



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