夜だけの部屋

 夜が万物を呑み込んだ。ろくに咀嚼されないから、物事は形を残して色を失った。光がなければ色彩というものは存在できないらしい。共存関係なのか依存関係なのか、判別できなかった。
 とにかく暗い。夜目がきこうと何も見えなかった。こうなると実存を掴むのに、視覚以外の何かが必要だ。瞳は役に立たないなかで、皮膚と耳が全てを感じる。
 例えば、小さな嘆息。熱を吐く一瞬の鼓動。微笑む唇が呼ぶ名前。

ペタ、と。

 この声は耳に馴染み過ぎている。ありとあらゆる時に、ファントムはペタを求めていた。乞われるままに応じているから、僅かな揺らぎでも感じられる。音律に含まれたファントムの感情にペタはゆっくりと頷いた。
 互いに見えてはいない。しかし何事も承知していた。

「ファントム」

 甘えた声が出た。過分な甘味に舌打ちの一つでもしたくなるが、不用意な行動は差し控えた。なにより彼に応えることが大切で、それ以外は必要ない。なにもかも、全てが、彼で構成されるべきだった。その点、暗闇というものは都合がいい。視界を封じられれば、自然と彼一人に集中できるというものだ。
 ファントムには見えているのだろうか。彼の二本の腕は迷いなくペタの首に回され、寝台へと引き摺り落とす。墜落の衝撃は寝具が優しく受け止め、微睡みのような心地よさが胸を擽った。抱きとめるその肌に温もりはない。鼓動もない。小難しい学者連中に言わせれば、ファントムは生物ではない。しかし彼は紛れもなく生きている。そうでなければこれほどの快楽を与えられるものか。

「ファントム、あいしています」

 たどたどしく告げれば、微笑む気配がした。すぐに唇を塞がれ、ペタはやおら瞑目した。瞼の奥には美しい彼の顔が浮かび上がっている。

 やはり光なんて必要はなかったのだ。



END

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