「雀だ」

 呟いたのは無意識だった。しかし確実に静かは取り払われた。

「どこです?」
「そこからじゃ見えないよ。こっちに来て」

 ペタは従順に傍に寄った。彼は雀が見たいわけではないだろう。ファントムと感覚を共有することを理由としたのだ。どこまでも近づきたいと互いに思っているのは明白だった。縦に細長い額縁からの風景を共にすれば、主従という境界が融け合ったような錯覚に溺れる。ただ一つ、硝子を支える棒の影が、二人を分かつものだった。

「珍しいですね。ここまで飛んでくるのは」
「うん。それになんだか、普通の雀より、大きくて丸い」
「福良雀ですね。太った雀を、そういいます」
「へえ。まだ食べるつもりなのかな。花を銜えているよ」

 どこまで飛ぶ心算なのだろうか。雀はひたすらに高みを目指しているように見えた。重い身体を否定するように、地を嫌った羽ばたきだ。滑稽なその雀は、人が自由を求めて足掻く様に似ている。本当の飢えを知らないで、贅沢ばかりを纏っているのだ。
 愚かだ。今の幸福が永続すると信じている。冬がくれば花は枯れ、作物は実らない。蓄えた脂肪はいつ絶えても何ら不思議ではない。
 不幸は、傍にある。決して離れることはできない。それなのに、ああも簡単に幸福を手放してしまう。
 雀は花を空中に放り投げた。哀れな一輪の花は、成す術なく死んでしまうだろう。瞬目の狭間に、美しい花と薄汚い雀は姿を消したのだった。

「馬鹿だ」

 至上の喜びはいつだって無視される。何度も繰り返される人の営みを雀は体現していた。憎悪は奥底から湧き上がり、眉間に皺を寄せる。人間であった頃の記憶さえ掘り返され、ファントムの身体は怒りに震えた。こんな些細なことが許せず、憎んでしまう。強く根付いた思いはファントムの心を壊すように、恨みを生んだ。

「あれは、畜生です。何も考えていませんよ」
「本当に?」
「ええ」

 ペタの声は透きとっていた。曇りも濁りもない、硝子のように美しい心で出来ている。冷たくも確かな感触をなぞり、ファントムは平静を思い出した。凪いだ心で思い起こせば、あれだけの怒りに理不尽すら覚えた。
 どうして、あれほど許せないと思ったのか。脳の底にまで問いかけ、答えを探した。

そして、ファントムは気付いてしまった。

「ペタ、僕の傍から離れないで」
「当然です」
「違う、違う。そうじゃない。例え僕が君から離れようとも、傍にいるんだ。どんな命令をされても、傍にいることだけは違うな」

 ペタは困惑を無言で表した。ほんの少しだけ開いた唇が、肯定を否定している。人形の澄まし顔は消え、ここには惑う個人がいた。ファントムの命令に逆らうことを考えないペタにとって、許諾は容易ではないのだろう。自嘲も含んだ笑みでファントムも沈黙を守った。ペタが答えを示すまで、譲ることはできない。

「それは、難しいです。貴方の願いに優劣はつけられません」
「……なら、嘘でもいい」
「貴方がそれでいいなら。私は貴方のお傍を離れません」


 泣いてしまいたい。ファントムはペタと同じ表情をしていた。悲痛な未来を描き、心根から震えるばかりだった。愚昧なあの鳥と同じように、いつか傍らの幸福を捨ててしまう気がするのだ。身に覚えのない感情が、少しずつ植え付けられているから。ただの怨嗟を吐き出す化け物へと、成り果てることを望む者がいる。恨みという業火に身を焼かれ、燃え滓となる時がすぐ近くにあるようで怖かった。
 だから未来を口に出せなかった。あのときのペタのように、誓うことはもう出来ない。今やもう嘆きを押し殺して、未来を待つので精一杯だ。
 逃げ出さずにはいられない。忘れてしまおうと足早にその場を立ち去る。夢中で廊下を駆けながら、ペタは追い掛けるだろうかと疑念が襲う。振り向く勇気のないファントムは、ペタの存在を探した。
 そうしてファントムは目を閉じた。聞こえる足音は、ペタそのものであった。


ファントムは目を閉じて歩くのが好きだった。





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