福良雀の

ファントムはゆるりと瞑目した。微笑むようなその仕草は、午睡に至るように視界を奪う。瞼という帳が落ちながら、陽光はファントムに暗黒を与えなかった。橙色の火が灯ったように煌めく景色は、季節を歌いあげるかのように美しい。ファントムはそのまま、ゆっくりとした歩みを続けた。足裏から伝わる感触は、硬質な石とそれを覆う薄い布が作っている。調和しないそれらでも、歩きなれた足は滑ることもとられることもない。迷いない足取りを与えられ、開眼という選択は捨てられたままだ。
 見えなくとも分かっていた。生まれ直してから、住み続けている城なのだ。その廊下に無駄な装飾品がないことも、滅多に他人が訪れないことも、何もかも把握している。たとえ目で見なくとも、何の問題もない。しかしそう思っているのはファントムばかりのようだった。

「ファントム! 前を見て歩いてください」


 まるで子供を叱りつける親のようだ。従者が主を窘める声にしては、内容があまりにもお粗末ではないか。ペタの声に含まれた真剣さの分だけ、ファントムは笑ってしまった。こぼれて止まない笑声を遮る無粋はペタにない。ただ呆れたような溜息が、たった一つの障害として投げられた。

「君は本当に真面目だ。それに僕ばかり見ている」
「それが私の役目です。それよりも、きちんと、前を見て下さい」

 しっかりと釘を刺される。笑いに流されなかったペタに降参したファントムは、振り返った。窄まった瞳が、ファントムのそれとかちあってから広げられた。くつろいだ目許から怒りの色は逃げ出し、刹那のうちに普段の能面がペタを覆う。途端に沈黙が空気を支配し、震えるのは鼓動ばかりになった。
 二人きりの無音だ。しかしファントムはそれが心地良いと知っていた。ペタが黙し語らないのは、ファントムと相対しているときばかりなのだ。一心にファントムに仕え、命を待つひたむきな覚悟の表れに他ならない。ただこの瞬間のファントムを見つめ、害が及ぶことがないようにと、彼は沈黙を守り続ける。死することのない生をファントムが得ても、ペタは変化を望まなかった。慈しむように、縋るように、彼はファントムが損なわれるのを忌避している。

「真面目だなあ」
「不満でしょうか? それなら、私ではなく他の者を」
「嫌なんてありえないよ。君に代わる人なんかいないよ」
「有り難き幸せ」

 恭しいお辞儀も見慣れたものだ。まるでこの遣り取りが形骸化したようで、ファントムは恐れた。慌てて「本当だよ」と紡ぐも、唇は震えてしまっていた。不安が伝播しないかとペタを見やれば、彼は優しく微笑んだ。何もかも見通したような様子に、少しの恥ずかしさと多くの安心感を得られた。

「私は、ファントムに代えられるものなど、何一つとして持ちません。そしてそれは永劫変わらないでしょう」

 僕も、と言いかけて止めた。ペタと同様に確信していると、断じきれなかったのだ。覚束ない不純がファントムの胸に浮かぶ。波間に漂うそれは掴めず、輪郭すらも知れない。一抹の不安に駆られ、声は喉に詰まってしまった。そうして二度目の静寂が廊下に生まれた。
 此度は寂寞だ。去来する思いが、胸を締め付けてやまない。ペタは何を思っているだろうか。憂慮に駆られた面がとうに見破られたかと思うと、声は益々枯れてしまう。ペタに頼ってばかりのようで、ファントムの自尊心は削れていった。面映さに押され、とうとうペタから視線を外してしまった。自由になった双眼は不安定に揺らぎながら、光の方へと流れて行った。眩みそうなほどの光明は硝子を透けて、二人に影を与えていた。暢気に晴れた空にも心は照らせず、春の陽気は軽薄である。
 ふいに花の四肢が通り過ぎた。満開に咲き誇ることが罪であるかのように、花々は身を落としていく。速足で通り過ぎる花弁を窓越しに見やれば、それを追い掛けるのが己だけではないと知った。
 鳥が一羽だけ、踊るような飛翔で青空を彩っていた。それも嘴に、花弁の古巣を銜えている。


つぎ


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