苛立ちは胸を腐らせる。溶けて混ざりあった気持ちが喉に詰まった。もどかしさばかりが募り、感情は霧のように掴めない。ただ平静を乱されたという結果だけがあり、水面に落とされたものが何であるかの知識が全く欠けてしまっていた。やがてそれは更に混沌の色を呈していき、ハロウィンは憤った。心の在処が不明瞭なのを誤魔化すように、苛立ちを舌打ちに変える。それが聞こえたはずのロコは、しかし何の色も見せずにいる。宝物を相手にするように、小さな鍋一つをかき混ぜ続けていた。充満する香りと熱気は魅了の力を持つが、ハロウィンの心は動かせない。地べたにかしずき小さく丸まった背中に、罵声と疑問を浴びせてしまいたかった。

「食べますか、これ」

 呑気な誘いだった。ハロウィンに燻る怒りを素知らぬ風情で、ロコは器になみなみと液体を注ぐ。返事もないのに差し出された液物は風景の色をしていて、空腹を加速させるように輝いていた。ハロウィンは乱暴に胸の靄ごとそれを飲み干した。どろりと喉を下る感触は苦悩を食らったかのようで、不快に他ならない。

「嫌いでしたか、南瓜?」
「……そういう訳じゃねえ」
「なら良かったです。作りすぎたので、好きなだけ食べて下さい」

 そう言って、ロコもようやく食事を始めた。小さな唇で緩やかに飲み込む姿は、彼女の年齢を忘れさせる。冷淡な態度も、無感動の瞳も。何一つとして、ロコはかつてと解離していなかった。本来なら年数を数える背丈ですら、成長を忘れたままである。それはまるで、ハロウィンの退屈を具現化したようであった。
 変わらないロコに安堵は抱けない。それどころか妙な苛立ちが募り、後味すら苦くしてしまう。ハロウィンは食事と一緒に胃に納めてしまった言葉を探した。しかしそう簡単に失せ物は見つからず、間抜けな吃を繰り返した。

「あー……それ、旨いな」

 吶吃を誤魔化すためだけの、心にもない言葉だった。それなのにロコは驚きに目を丸くして、そして微かに笑った。底から喜びを歌う表情に、ハロウィンの心は更に掻き乱されてしまう。照れたようにぼそぼそと紡がれる声は届かないが、些細なことに思えた。
 ロコの笑顔を見たのは初めてかもしれない。浅からぬ付き合いであるが、記憶に刻まれた彼女は表情を殺しているか、不機嫌さを浮かばせて小言を並べ立てるぐらいだ。哄笑に至らなくとも喜悦が伝わるそれは、ハロウィンにとっての喜びにも成った。ひしゃげた喉を震わせハロウィンも笑った。

「なあ、こんなところにいないで、俺と一緒に来いよ。楽しいぜ」

 ふいに洩れたのは紛うことなく本心だった。

「そうですね」

 ロコの声色は甘い。果実のように豊潤な肌理が形作る笑窪は、幽婉となった。

「きっと楽しいと思います」

 蛾眉であると感じた。幼く未成熟だからこそ、秘めた危うさが際立つのだ。弛緩した目許が、薄い唇に更なる華を与えた。
「だから、ロコは行けません」

 彼女に相応しい詞が見つからない。

「なんだよそりゃあ」
「ロコは自分の意思でチェスの兵隊でした。十分に好き勝手出来ました。だからもう、いいんです」
「……お前がそれでいいならいいけどよ」

 偽りを吐いた。しかしハロウィンにはもう真実を通す心算はない。諦めを呼び起こすまでに、ロコの瞳は決意で固められていた。先程までの撓みは夢幻であったか、彼女は夜の深海ほどに暗く淀んでいる。途端に発火する気持ちは、もはや慣れてしまった憤怒だ。

「もう行って下さい。早く……お願いします」
「ああ、邪魔したな」

 促されたからではない。ハロウィンは自分の意思で出ていった。低く唸る扉の外は木枯らしで、ハロウィンを苛立たせる。暖かさに包まれていた室内に比べて、この森は寒すぎるのだ。ハロウィンは骨身まで冷えるのを感じながら、枯れた草を踏み潰し進む。一度だけ振り返れば、ロコがたった一人で立っていた。別れの言葉は木々のざわめきに消され、二度と生まれることはなかった。


つぎ





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