「そうですね。私はまだ力不足です」

 事実だ。今更落胆もしない。受け入れられないと脳裏に言葉は過ったけれど。心に嘘を吐けば、幾分かは軽くなる。かつてそれを汚く恥ずべきだと盲信していた。しかし綺麗事は脆く、大事にしていてもいつの間にか崩れてしまった。

「だが、それは未だ発展途上ということだ。それだけの力がありながら!」
「でもあなたには勝てませんでした」

 後悔に形を与えた。血反吐と汚泥にまみれ、死に物狂いで手にした力もペタには及ばなかった。憧憬を捕まえられずに、ただ年月が畳重した。夢は現に変容しないことなど、考慮せずとも分かっていたはずだ。

それでもロランは悔しさに胸を詰まらせた。

「いいや、充分だ。顔を上げろ、お前の力で愚かな世界は変わる」

 強く眩しく、それはロランを引き上げた。絶望を忘却したような声色は、優しくロランに染みていく。付与された暖かさに何度甘えれば済むのだろうか。

「ありがとうございます。その言葉だけで私は……満足です」
「つまらん謙遜は止めろロラン。強さの証明だ、受けとれ」

 放られた贈り物をロランは慌てて掴んだ。ぞんざいな扱いのそれは、チェスの兵隊ならば誰しもが憧れる形だ。無機質に虚空を見つめる馬の瞳は、祝福とは程遠くとも力強い。

ロランの手に収まったのは騎士の称号だ。

 その瞬間、確かにロランは全てを失った。言葉も時も、感情すらも亡くしてただそれを見つめた。理解が及ばないまま、徒に時が過ぎていく。全てを取り戻すにロランは無力で、ペタはそれを見越していたかの如く口を開いた。

「さっさとつけないか」
「え?……あ! はいっ! 」

 嬉しいとか、思いつきもしない。ロランは必死にペタに従い、それまで耳を飾っていた階級を外した。代わりに耳朶に下がったナイトは重く、痛みすら感じた。現実感のない中、却って好都合だとロランはぼんやり思った。

「ファントムの目覚めが近い。存分に働いてもらうぞ」
「ほ、本当ですか!?わ、わ、私に出来ることなら、何でも!」
「期待している」

 ペタの微笑みは、ファントムを待ちわびている。久方ぶりに見たその曲線にロランは胸を高鳴らせた。なぜなら、ファントムの復活を確信した表情だったから。恋い焦がれるが如く待ちわびたファントムがあと少しで蘇る。それはロランにとって、何よりの喜びだった。

「ここに留まる必要ももうあるまい。暫くは私の手伝いをしてもらうぞ」
「はいっ! ……そうだ。それなら、これ、お返しします」

 胸に吊るされた鍵を差し出す。それが仄かな温もりを宿しているのは、先程まで縋っていた証だ。もう随分とロランを支えた物だったが、ファントムがいきれば不要になる。
 いつまでも、与えられた頼りを持ちたくなかった。信用がないのだと、言外に告げられた気がしてしまう。

「……いや、それはお前が持っていろ」
「ですが、」
「命令だ。黙って従え」

 獰猛な唸りだ。威嚇に似た通告に反抗の術はない。返事すら忘れて、ロランは小さなその鍵を再び胸に吊るした。理由を問うことも許されず、ロランは鍵の冷たさを思い出した。
 ペタはいつでも優しかった。表皮が氷でも、内にあるは生きた体温だ。素振りは見せず、しかし共寝の時には己が寝付くのを待っていた。

だから、ロランは知っている。

 これもまた、ロランのためなのだ。鍵はこれから先、ロランのお守りであり続けるであろう。自身を支える欠片となるであろう。

だから、ロランは不満だった。

まだ己は小さな子供なのかと。

end



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