頬を撫でるそよ風が暖かい。煌めきながら星空は踊り笑う。草花は芳しく麗しく風に揺られ、五感を満たしてくれる。ここは原罪すら赦された楽園に似て、孤独だ。 ロランは瞳を閉ざした。一人きりで己以外の鼓動を探す。期待して裏切られ、それでもペタを待たずにはいられなかった。寂しいと呟く心根に水を与えることも出来ないまま、虫けらの声を聞いた。 さくり、と。 ふいに青草の悲鳴が届いた。身を折られる苦痛をさめざめと訴えている。しかしロランはその悲痛な嘆きを、幸福とした。 さくさく。さくさく。 緩やかに増える音量。重なり合う犠牲の数だけ、ロランは喜びを知ることが出来る。未だ暗黒に視界を置きながら、彼を確信する。ロランは嬉しく、そして悲しかった。 「ペタさん」 「おい、どうしてこんなところで寝ている?」 「……修行していたら、疲れてしまって」 阿呆がと引き起こされた。ペタの腕に抱えられ、命の熱さに顔を埋めた。何時だったか、こんな風に抱き連れられた時は絶望だったのに、今は救われた気分だ。 ゆっくり揺れる。穏やかな歩みは優しく、揺り篭のようだ。それは気遣いではないと、ペタの衣服に住んだ血潮が語ってくれた。探れば常より少ないペタの魔力。遅延の理由すら容易に想像でき、ロランは恥ずかしくなった。しかしロランは黙したまま、更に強く喪服を掴む。溢れ出た血液の香りに、疲労を思い出した。無駄にした魔力は多く、鍛練の疲労も残っている。安心してしまえば弛んだまま、ロランの瞳は別の意味で閉ざされる。 暖かい。 このまま永久に孤独を奪ってくれたら、どれ程幸せだろうか。 他人の腕の中で眠る幸福をロランは貪った。矜持を忘れたふりをして、子供という形を保つことにした。幼い身体に見合った振る舞いを、今という時にだけ託す。そうしてロランは身体の力を抜いた。 しかし眠りは訪れなかった。ペタが低いあの声で、「起きろ」と命令したからだ。逆らうことを見失わせる尊大な口調は、ロランを覚醒させる。 「鍵はあるか」 「あります。けど、僕、鍵は閉めて……」 「知っている」 言葉と同時に落下した。遺棄するかのように溢され、ロランは拒絶を恐れた。慌てて探した遠ざかるペタの瞳は、疲労に滲みながらも優しい色合いを孕んでいる。呆然と視線の意味を考えれば、綿布に着地した。僅かな反発を残しロランを受け止める寝台は、ペタに似ている。暖かく柔らかく、何より心を憩わせてくれる。 「それで、鍵は何処だ」 「こ、ここです! 首から下げて、何時もあります」 「ならいい。……次から心細くなったら、そいつをお守りにしろ」 見抜かれている。上昇した体温に紅潮を思った。隠そうと小さく俯き、肯定を示してしまったことに気づく。沸き上がる思考は、捨てた筈の己だった。自身を恥とするような真似は、ペタには似つかわしくない。 「……責めているわけじゃない。ただ、その、あまり……あんな風だと、倒れたのかと」 「え?」 終わりは本当に小さかった。段々と消え行く声は、らしさを欠いていた。ロランが驚き顔を上げれば、ペタは「もう寝ろ」と言った。力ずくで横にさせられ、表情は窺えない。 嬉しい。感情は不器用に伝わった。庇護される擽ったさは、抱擁の手触りのように安寧の使者だ。ぬるま湯に浸かった気分のままペタに頭を撫でられ、益々熱くなる。別室に去る彼の姿を、ロランは捉えようと目を開いた。しかしそこには去り際の背中ではなく、傍らに座した姿だった。 「眠れないのか」 「違います。ただ、眠りたくなくて」 「同じことだ」 寝台が重さに軋む。布団がペタの大きさに膨らみ、ロランは事態に気づく。先程まで座っていたペタは、今はロランに並んで寝ていた。それは失った人々との記憶を呼び起こす。 「少し狭いか」 「あの、ペタさん。僕は大丈夫です」 「煩い。黙れ。さっさと寝ろ」 「はい……」 眠れるわけない。落ち着けない視線は首よりはぐれた鍵を見つける。簡素な作りで弱々しいそれを、ロランは撫でてみた。やはり金属特有の張りつめた感触だけで、ペタの言うお守りとは思えない。しかし、これがあればもう忘れない気がした。 自分のままで、愛されたことを。 end |