*家族が、出来ました


 朝は嫌いだ。

 ペタがそう呟く。ファントムはその隣で苦笑している気がする。霞みがかった視界の中で、ロランは二人の狭間にいた。他愛のないされど幸福な時間を、驕陽は晒していた。
 それを夢だと知ってしまうのは、もう朝だから。陽光に現を示され、ロランは俯いた。

「朝は……嫌いだ」

 夢とは違う。ロランの声に応えはない。音はただ虚しく谺して、一人きりの静寂に気づかせる。孤独の冷たさは、早朝の寒さと同じだ。一層染みる外気に、ロランは抗わなければならなかった。助けはなく、胸に吊るした鍵は体温を奪うかのように肌を撫でた。
 ファントムが死に、あの男を殺して、それから暫くたった。癒えない悪夢を抱えたまま、ロランは家に取り残されていた。箱庭のようなここで一人のロランに出来るのは、強さを求めることだけだった。
 「強くなってね」と、ファントムは言った。たったそれだけを望まれた。今でも大切にしまった囁きと、まだ隠れたタトゥ。なぞるように思い出して、ロランは誓いを新たにした。

「おはようございます……ファントム」

 届かないことは解ってる。だけれど、ロランは未成熟な喉を震わせた。怯えた挨拶をして、自身の存在を示す。ロランがここにいることを、ファントムは知らない。だから、知ってもらうために、幼い声を形にした。
 酷い矛盾だ。ファントムは今も土中で眠っているのを、知っている。それなのに、声をかけずにはいられない。

彼は、遠い。

 夜空に浮かぶ星のようだ。それを掴めると信じた愚かさすら、もう失った。絶望のような孤独は、ロランを腐食していく。剥がれ落ちていく感情を、それでも無くさずにいられるのは、ペタとの約束があったから。
 ロランにはたったそれだけしかない。か細い繋がりは、不可視の運命よりも曖昧だ。口約束のみで与えられ、反故される未来に畏懼して、待ち続けるしかない。ロランはそれでも毎日を重ね、約束された今日という日に辿り着いた。

「早く、帰ってきて下さい」

一人は、寂しいから。

 そんな願いをペタは嘲笑うだろうか。酷薄な笑みで、弱さをなじるだろうか。それとも、冷淡な口調で一蹴してしまうのだろうか。
 ロランが幻想のペタに恐怖を抱いたのは、空が暗やんだ頃だった。太陽が鮮血をしたたらせ、空を染め上げてもペタがまだ帰らなかったから。窓枠の中から刻々と夜を吸う虞淵に、ロランは吐き気を覚えた。何もかも隠す暗闇は、全てを白日の元に晒すと朝と同じで、残酷だ。
 これでは見つからない。家へと来るペタの姿は、簡単に埋もれてしまうだろう。唯一の繋がりが絶たれてしまう。ロランの怖悸を無視して、闇は世界となった。
 窓には己の顔が浮かぶ。幼い顔つきは、夜を嫌がる子供の表情だった。黒色に呑まれた森奥は、網膜に映せない。無能な瞳は、ファントムに褒められた過去がなければ、価値がない硝子玉だ。決して暗闇を見通せず、ロランは一人の世界で体を縮めた。

「ペタさん……」

 雛鳥のように掠れた呼び声。親でもないペタに、何か意味があるのだろうか。ロランは泣くように何度も呼びながら、身勝手だと思った。

子供でないのに。

ペタさんにとって僕は他人でしかないのに。

いつもいつも縋るばかり。

あの男に抱えられた時も。

あの男を殺した時も。

ここに連れて来られた時も。

 ロランは甘えていた。頼っていた。ペタを目指しながら、彼に支えられていた。それを恥としながら、絶つことは叶わなかった。今もこうして、ひたすらにペタを待ってしまう。魂はそれを良しとしないのに、記憶は孤を忌むようにペタを求めた。張り裂けそうな胸を飼い、ロランはまた呟いた。それが最後の独語だった。
 ロランが黙すれば、静寂が訪れる。当然が今は重くのし掛かる。ロランの心情を知らずに沈黙を破ったのは、人ではなかった。
 日付を殺す鐘の音だ。古臭い時計は重厚な音で、重苦しく今日を終わらせた。虚ろにそれを聞きながら、ロランは膝を抱えた。視線は彷徨い、答えを探せない。

一人は嫌いだ。






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